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出雲国風土記 神門郡 『波須波社(波須波神社)』

出雲国風土記 神門郡 『波須波社(波須波神社)』 ご 由 緒 波須波神社之由来 御祭神 意富斗能地神     大斗乃辯神  二柱 此御祭神は古事記依れば神代七代の 五代目に当り国造りなされた神であり 此神をお祭りした神社は全国で この波須波神社のみと云ふ極めて由緒ある神社で あります。出雲風土記に依れば応神年間 約一五五〇年前宮之部鍬𠮷に御鎮座 往年は田中大明神と称し現在地には 元龜三年十月廿九日再建され以来 延宝二年と安永五年に本毀再建遷宮 今回昭和五十六年に二〇五年振り四回目の 遷宮が行われ其間屋根茸替は昭和 二十八年までに十回を数えます。 昭和五十六年辛酉年秋吉日 以上 『神社境内説明板』より 御 祭 神 意富斗能地神(おうとのぢのかみ) 大斗乃辯神(おうとのべのかみ) 本殿 本殿 拝殿 拝殿と本殿 境内社 稲荷社 拝殿の扁額 御由緒 参道階段の途中にある倉庫(?) 狛犬 狛犬 鳥居の扁額 社号標 参道階段 階段の鳥居 地図 問い合せ 住 所 島根県出雲市佐田町下橋波172 電 話 -- ホームページ -- メールアドレス -- ご朱印 有無は不明 駐 車 場 国道184号線沿いに下橋波簡易郵便局があり、そこを70mほど北に向かっていくと、右に入る道があります。そこからさらに70m程行くと宮の部公民館があり、前の道路が少し広くなっていてそこに同乗者を残して参拝しました。後になって宮の部公民館の駐車場に停めさせてもらえば良かったかなと思いました。境内や参道など草ぼうぼうで手入れをされていないようだったのが少し残念でした。

出雲国風土記 大原郡 『日原社(大森神社)』

出雲国風土記 大原郡 『日原社(大森神社)』 ご 由 緒 特別社 大森神社 御由緒 鎮座地 島根県木次町東日登一三四五番地 主祭神  素戔嗚尊 稲田姫命 大己貴尊 天日腹大科戸美大神 配祀神  市杵島命 倉稲魂命 菅原道具霊神 沿革 当社は出雲國風土記に載っている「日原社」で有ることが定説と為ってお り雲陽誌には「大森大明神」と記されている 此処は素戔嗚尊が八岐大蛇を退治され稲田姫を救い 須賀の地(大東町 須賀)に赴かれる途中 この大森の地下暫し宿られ 御大婚の諸要事を準備 された処と伝えられている 其の後大己貴尊が御大婚に関わる業また妖賊 退治に関わる遺業を継承されし処と云われている 当社社殿が参道正面より横向きに鎮座なされているのは 社殿正面を横切 るのは畏れ多く不敬であるとされ因って安泰を願い横向きに鎮座為された と伝えられている。 また当大森神社(日原社)旧跡地付近より銅鐸及び土器等が出土 なかで もこの銅鐸は 弥生時代中期前半頃のものと推察され Ⅱ式の「外縁付鈕式」 の四区小型袈沙文銅鐸」で 同型の銅鐸は荒神谷遺跡・賀茂岩倉遺跡か らも出土している この銅鐸は「伝木次銅鐸」として現在京都物館に保存されている 境内社 事比羅神社 若宮神社 鷲神社 八坂神社 社日神 枳佐加比社 牛荒神社 例大祭日 毎年十月二十三日 『大森神社御由緒』より 御 祭 神 素戔嗚尊 稲田姫命 大己貴尊 天日腹大科戸美大神 配  祀 市杵島命 倉稲魂命 菅原道具霊神 本殿 本殿裏側 拝殿 拝殿の扁額 境内社 枳佐加比社 枳佐加比社の扁額 境内社 (右から)鷲社・事比羅社・若宮社・八坂社 社日碑 境内狛犬 境内狛犬 参道狛犬 参道狛犬 鳥居 御由緒 参道 参道 鳥居扁額 飯石ふれあい農道から

出雲国風土記 神門郡 『波加佐社・同波加佐社(波加佐神社)』

出雲国風土記 神門郡 『波加佐社・同波加佐社(波加佐神社)』 ご 由 緒 波加佐神社 御祭神 猿田彦命  天鈿女命 御由緒 「出雲国風土記」神門郡の「波加佐社」と 「同波加佐社」を合祀した神社に当たる と思われる。  中世以前のことは不明であるが、 「雲陽誌」では西神在の頃に「田中明神」と 記載してあり、また「出雲神社巡拝記」では、 「田中大明神、記云波加佐社」と書かれている。 社伝によると「もと本社の東南数十歩の 田中にあり、何時の頃にか今の地に移転せり」 とある。昔の神門水海が干拓や湖面低下に よって耕地が造成され、この地に住み着いた 人々が奉斎した神社だと思われる。 波加佐神社社務所 『 波加佐神社御由緒 』より 御 祭 神 猿田彦命  天鈿女命 本殿 本殿 拝殿 境内の鳥居 境内社 稲荷神社 狛犬 狛犬 鳥居 鳥居の扁額 御由緒 地図 問い合せ 住 所 島根県出雲市西神西町641 電 話 0853-43-1256 ホームページ -- メールアドレス -- ご朱印 有無は不明 駐 車 場 無 鳥居横に 停めれそうな所がありますが 宮司さん宅の駐車場なのか不明。神社手前の広い場所に同乗者を残して参拝しました。

出雲国風土記 意宇郡 『加豆比乃社(富田八幡宮境内社勝日神社)』

出雲国風土記 意宇郡 『加豆比乃社(富田八幡宮境内社勝日神社)』 ご 由 緒 富 田 八 幡 宮  とだはちまんぐう (島根県安来市広瀬町広瀬)  総説  当社は島根県安来市広瀬町広瀬勝日山に鎮座し、社有風致保安林共三万坪、参道は苔むした 石畳が両脇の杉、欅の大樹に覆われ、神秘的な森厳さが保たれており、パワースポットと呼ば れています。社殿の構成については、精細かつ巧緻であり、近辺のお社にはそれを比較するも のはありません。本殿、中殿(幣殿)、拝殿、神饌所、楼門、随神門、末社、手水舎、社務所 などを備えています。 祭神  主祭神 応神天皇(誉田別尊)  配祀神 天照大神 神功皇后 仁徳天皇 神紋  三つ巴 祭日  例祭 十月十五日 春祭 四月十五日 新嘗祭 十一月二十三日  有形文化財 島根具指定 昭和五十年八月十二日 本殿 (流れ造) 山陰地方では稀有の神社建築 中殿(切破風) 石畳造り  拝殿(入母屋造) 十二枚通しの板張り 能楽殿の形式 能面二面(社宝)  ・面 孫次郎(女性)  ・面中将(男性)  由緒概要  欽明天皇三十一年(五六〇)に創立。当初は富田月山に鎮座。保元年間(一一五六~一一五 九)に平家の武将悪七兵衛景清(藤原景清)が富田の城郭を築くにあたり、月山頂上の勝日高 守神社は城内鎮守とし、それまで山麓の里宮勝日神社(延喜式内社)と共に霊地を求め現在の 地に奉遷しました。(奉遷の際の話は「景清の矢中松」と言われ、境内の旧跡の一つとして、 今なお保存されています。)   その後歴代の国主、藩主は領内の大氏神として崇敬し、神領の寄進、社殿の造営、境内の整 備等奉仕しました。明治維新後、明治五年に郷社に列せられ、昭和二年九月九日には県社に昇 列しました。(県社昇列は島根県下の八幡宮としては最初でした。) 第二次世界大戦後は当社も 一宗教法人として再発足いたしましたが、神威は変わることなく、昭和五十年七月一日には 島根県神社庁から特別神社の指定を受け、今日に至っています。  境内神社 勝日神社(延喜式内社) 祭神・大己貴命 祭日・四月十五日  古くは月山頂上の勝日高守神社の里宮として山腹に鎮座。 須賀神社(旧社号祇園社) 祭神・須佐之男命 祭日・七月十九日、二十日、二十