【出雲国風土記】楯縫郡 山野河川海岸通道|神名樋山と佐香川が描く古代景観|出雲市東部
出雲国風土記「楯縫郡 山野河川海岸通道」条には、山・川・池・浜・嶋・通道といった
地形情報が極めて詳細に記されています。
神名樋山を起点とする水系、沿岸部の紫菜(のり)生産、秋鹿郡・出雲郡へ至る通道は、
楯縫郡が内陸と海を結ぶ要衝であったことを物語ります。
楯縫郡 山野河川海岸通道 条文冒頭
概要
| 風土記の条 | 楯縫郡 山野河川海岸通道 |
|---|---|
| 主な要素 | 山(神名樋山)/川(佐香川・多久川)/通道(各郡国への往還)/ |
| 現在の目安 | 島根県出雲市東部 |
内容紹介
山野の記述:神名樋山(かむなびやま)をはじめ、阿豆麻夜山・見椋山が挙げられます。 神名樋山の石神は多伎都比古命の御魂とされ、旱魃の際には雨乞いが行われたと記されています。
河川の記述:佐香川・多久川・都字川・宇加川はいずれも神名樋山や見椋山を水源とし、 南流して入海に注ぎます。複数水源をもつ都字川の記述は特に詳細です。
池の記述:麻奈加比池・大東池・赤市池・沼田池・長田池が列挙され、 周囲の長さまで具体的に記されています。
海岸・嶋の記述:佐香濱・己自都濱・御津濱・能呂志濱・鎌間濱・許豆濱と、 御津嶋・能呂志嶋・許豆嶋が登場します。 紫菜(のり)の産地として楯縫郡が優れていたことが強調されます。
通道(交通路):秋鹿郡伊農川へ至る道、出雲郡宇加川へ至る道が示され、 楯縫郡が郡境を越える交通の要地であったことが分かります。
出雲国風土記 原文全文(楯縫郡 山野河川海岸通道)
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神名樋山。郡家の東北六里一百六十歩、高さ一百二十丈五尺、周り二十一里一百八十歩あり。 嵬の西に石神あり。高さ一丈、周り一丈。 径の側に小石神百余許あり。
古老の伝へに云へらく、 阿遅須枳高日子命の后、天御梶日女命、多久村に来坐して、多伎都比古命を産み給ひき。 爾の時、教し詔りたまひしく、 「汝が命の御社の向位に生まむと欲りするに、此処ぞ宜き」 とのりたまひき。
謂はゆる石神は、即ち是れ多伎都比古命の御魂なり。 旱に当ひて雨を乞ふ時は、必ず零らしめたまふ。
阿豆麻夜山。郡家の正北五里四十歩なり。
見椋山。郡家の西北七里なり。
凡そ、諸の山野に在る所の草木は、 蜀椒・藍漆・麦門冬・伏令・細辛・白歛・杜仲・人参・升麻・薯蕷・白朮・藤・李・榧・楡・椎・赤桐・白桐・海榴・楠・松・槻。 禽獣には則ち、 鵰・晨風・鳩・山雞・猪・鹿・兎・狐・獼猴・飛鼯あり。
佐香川。源は郡家の東北、謂はゆる神名樋山より出で、東南に流れて入海に入る。
多久川。源は郡家の東北、神名樋山より出で、西南に流れて入海に入る。
都字川。源は二つあり。 東の水源は阿都麻夜山より出で、 西の水源は見椋山より出づ。 二つの水合ひて、南に流れて入海に入る。
宇加川。源は同じき見椋山より出で、南に流れて入海に入る。
麻奈加比池。周り一里一十歩あり。
大東池。周り一里あり。
赤市池。周り一里二百歩あり。
沼田池。周り一里五十歩あり。
長田池。周り一里一百歩あり。
南入海。雑物等者、如秋鹿郡説。 北は大海なり。
自毛埼。秋鹿と楯縫との二郡の堺なり。 崔嵬し。松・栢鬱れり。 時に即ち晨風の栖有り。
佐香濱。広さ五十歩あり。
己自都濱。広さ九十二歩あり。
御津嶋。紫菜生へり。
御津濱。広さ三十八歩あり。
能呂志嶋。紫菜生へり。
能呂志濱。広さ八歩あり。
鎌間濱。広さ一百歩あり。
許豆埼。長さ二里二百歩、広さ一里あり。 周り嵯峨し。 上に松・菜・芋あり。
許豆嶋。紫菜生へり。
許豆濱。広さ一百歩あり。 出雲と楯縫と二郡の境なり。
凡そ、北の海に在る雑の物は、秋鹿郡に説けるが如し。 但し、紫菜は、楯縫郡尤も優れり。
通道。秋鹿郡の堺なる伊農川に通ふは、八里二百六十四歩なり。
出雲郡の堺なる宇加川に通ふは、七里一百六十歩なり。
郡司 主帳 无位 物部臣
大領 外従七位下 勲十二等 出雲臣
少領 外正六位下 勲十二等 高善史
現地写真ギャラリー
十六島風車公園より日本海を望む。楯縫郡条に描かれた「北の大海」を現代の視点で体感できる眺望。
一畑薬師の境内から望む宍道湖。山地と湖、さらにその向こうに広がる平野部までを一望でき、出雲国東部の地形的広がりを理解するうえで象徴的な眺めです。
アクセス・地図
現在の松江市鹿島町・島根町周辺。山野・河川・海岸が密接に連続する地形です。
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