杵築とは?出雲大社の旧称|出雲国風土記に見る杵築大社の由来

2026年2月24日火曜日

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杵築とは?出雲大社の旧称|出雲国風土記に見る杵築大社の由来

杵築とは何か──古代出雲における意味

杵築(きづき)とは、現在の出雲大社の旧称であり、奈良時代に編纂された『出雲国風土記』に記された地名です。
単なる古い呼び名ではなく、古代出雲において重要な祭祀拠点を指す名称でした。
『出雲国風土記』では「杵築郷」として登場し、出雲郡に属する地名として記録されています。
つまり杵築は、神社の名称であると同時に、古代の行政区画でもありました。
このことから分かるのは、「杵築」とは単なる社名ではなく、古代出雲の中心的な宗教・政治空間を示す言葉であったということです。


出雲大社 拝殿(旧称 杵築大社)
出雲大社 拝殿|旧称 杵築大社

現在の出雲大社。出雲国風土記には「杵築大社」として記される。


出雲国風土記に見る杵築郷

『出雲国風土記』は天平5年(733年)に成立した地誌であり、当時の地名・神社・地形・伝承を記録しています。
その中で杵築郷は、出雲郡の中でも特に重要な地域として位置づけられています。
杵築郷には、大国主命を祀る大社があり、古代から強い信仰を集めていました。
現在の出雲大社の地にあたるこの地域は、神話世界と現実世界が重なり合う場所として認識されていたのです。
また、風土記に地名が記録されているということは、奈良時代以前から「杵築」という呼称が定着していたことを意味します。
つまり、杵築という名は出雲大社よりも古い可能性が高いのです。

▼ 出雲国風土記 原文を読む

杵築郷。郡家の西北二十八里六十歩なり。
八束水臣津野命の國引き給ひし後、所造天下大神の宮奉へまつらむとして、
諸の皇神等宮處に參り集ひて杵築きたまひき。故、寸付と云ふ。
神亀三年に、字を杵築と改む。

杵築郷の具体的な範囲と現在の地理

杵築郷は『出雲国風土記』において出雲郡に属する郷として記されています。現在の地理に当てはめると、出雲大社を中心とした周辺地域、すなわち旧杵築町(現在の出雲市大社町)一帯がこれにあたると考えられています。

この地域は、日本海に面し、神話の舞台として知られる稲佐の浜にも近い場所です。稲佐の浜は国譲り神話の舞台とされる地であり、大国主命と建御雷神が対峙したと伝えられています。その背後に鎮座するのが杵築大社(現在の出雲大社)であることを考えると、杵築郷は神話世界と深く結びついた空間だったと理解できます。

また、出雲大社門前町として発展した地域も、この杵築郷の延長線上にあります。つまり杵築という名称は、単に神社の呼称ではなく、祭祀・門前町・神話空間を含む広域的な地名だったのです。

こうした地理的背景を踏まえると、「杵築とは何か」という問いは、「古代出雲の中心空間とは何か」という問いと重なってくることが分かります。

杵築の由来 ― 神々が「築いた」から

本殿(瑞垣越し)
出雲大社 本殿|神々が宮を築いたと伝わる聖域

神々が宮を「築いた」と風土記が伝える聖域。

風土記は、地名の由来をはっきりと説明しています。
国引き神話の後、所造天下大神の宮を奉るために皇神たちが集まり、宮を「築いた」。
だから「きづき」。

ここでいう「築く」は、単なる建築ではなく、神を祀るための聖域を整える行為を指します。
地名「杵築」は、神話的創建の記憶を宿す言葉なのです。

杵築大社とは何か

現在「出雲大社」と呼ばれるこの神社は、近世まで「杵築大社」と称されていました。
江戸時代の文献や古地図には「杵築大社」と記されており、地域社会でもその名が広く使われていました。
「大社」という称号は特別な格を持つ神社に与えられるものであり、出雲の神々の中心的存在であったことを示しています。 つまり、
杵築郷(地名)
→ 杵築大社(神社名)
→ 出雲大社(近代以降の正式名称)
という流れで変化してきたのです。

また「企豆伎社(きづきしゃ)」の記述もあり、伊能知比賣神社と同社とされています。
地名と祭祀施設が一体となって存在していたことがわかります。

杵築大社と出雲大社の違い

現在は「出雲大社」という名称が一般的ですが、歴史的には長らく「杵築大社」と呼ばれていました。では、この二つは何が違うのでしょうか。

結論から言えば、祀られている神(大国主命)や祭祀の本質に違いはありません。違うのは名称と、その時代背景です。

「杵築大社」という呼称は、地域名である杵築を冠した名称でした。一方、「出雲大社」という名称は、国名である出雲を冠しています。これは明治期の国家的神社制度の整備と深く関係しています。

つまり、

杵築大社=地域中心の呼称
出雲大社=国家的象徴性を帯びた呼称
という性格の違いがあると考えることができます。

名称が変わっても、神格や祭祀の本質は変わっていない。しかし、呼び名の変化は、その時代の政治や制度の影響を映し出しているのです。

出雲大川と杵築郷

出雲大川(斐伊川)は鳥上山を源とし、各郡を経て「伊努・杵築の二郷を経て神門水海に入る」と記されています。
斐伊川下流域に位置する杵築郷は、地理的にも象徴的な場所でした。

大注連縄
出雲大社 大注連縄|古代祭祀の象徴

古代から続く祭祀の象徴。杵築の名が今も息づく空間。

なお、杵築大社を中核とする出雲郡の構造や、 出雲大社・素鵞社など関連社を束ねた案内は 杵築を中核とする出雲郡ハブをご参照ください。

なぜ「出雲大社」に改称されたのか

明治4年(1871年)、神社制度の近代化が進む中で、「杵築大社」は正式に「出雲大社」と改称されました。
これは明治政府による神社制度改革の一環であり、全国的に神社名称が整理・統一された時代でした。
「出雲」という国名を冠することで、国家的な神社としての位置づけがより明確になったと考えられます。
つまり、「杵築」という地域名中心の呼称から、「出雲」という国名中心の呼称へと転換されたのです。

現在も「出雲市大社町杵築東」「杵築西」という地名が残っています。
社名は変わっても、地名は古代の記憶を今に伝えています。

杵築という地名の意味・語源

「杵築」という名称の語源については諸説ありますが、有力なのは「築く(きづく)」に由来するという説です。 
 神々が宮を築いた地、あるいは神殿を築いた場所を意味するという解釈があり、出雲神話と結びつけて理解されることが多い地名です。 
 特に大国主命が国造りを行った地であるという神話的背景と重なることで、「杵築」という名は単なる地名以上の象徴性を帯びています。

なぜ「杵築」という名は表舞台から退いたのか

明治4年の改称以降、「出雲大社」という名称が公式名称となりました。ではなぜ、「杵築」という古い名は表舞台から退いていったのでしょうか。 
 その背景には、明治政府による神社制度の再編があります。近代国家を形成する中で、神社は国家の象徴的存在として整理されました。その際、地域名よりも国名を冠する名称の方が、全国的な象徴性を持ちやすかったと考えられます。 
 また、国家神道体制の中では、神社の格付けや名称の統一が進められました。出雲という国名は全国的に認知されていましたが、「杵築」は地域限定の名称でした。結果として、より広域的な象徴を持つ「出雲大社」という名が前面に出ることになったのです。 
 とはいえ、「杵築」という名が完全に消えたわけではありません。地域史研究や地名、旧町名などにその名は残り、歴史の記憶として受け継がれています。

現在に残る「杵築」の名

現在でも、出雲大社周辺には「旧杵築町」という地名が残っています。

また、歴史資料や地域史研究においても「杵築」の名は重要なキーワードとして扱われています。 

 出雲大社を訪れると、今も随所に「杵築」の名が見られ、古代の呼称が完全に消え去ったわけではないことが分かります。

 つまり、杵築という名は過去のものではなく、現在も歴史的記憶として生き続けているのです。

まとめ:杵築とは何だったのか

杵築とは、
  •  現在の出雲大社の旧称
  •  奈良時代の『出雲国風土記』に記された地名
  •  古代出雲の祭祀中心地
  •  明治4年に「出雲大社」へ改称された名称
という、多層的な意味を持つ言葉です。
単なる古い呼び名ではなく、出雲神話・地名・国家制度の変化を内包する歴史的キーワードであると言えるでしょう。

よくある質問(FAQ)

Q. 杵築とは何ですか?
現在の出雲大社の旧称であり、奈良時代の『出雲国風土記』に記された地名です。
Q. 杵築はいつ出雲大社になったのですか?
明治4年(1871年)に神社制度改革の中で「出雲大社」に改称されました。
Q. 杵築郷とはどこですか?
出雲国風土記に記された出雲郡内の行政区画で、現在の出雲大社周辺地域にあたります。

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現在の出雲大社境内の見どころについては、回り方ガイドで詳しく紹介しています。

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