【出雲国風土記】飯石郡 山野河川海岸通道|三刀屋川と琴引山をめぐる古代景観|雲南市周辺

2021年2月16日火曜日

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【出雲国風土記】飯石郡 山野河川海岸通道|三刀屋川と琴引山をめぐる古代景観|雲南市周辺

出雲国風土記「飯石郡 山野河川海岸通道」には、郡家を中心に四方に配される山々、 琴引山に伝わる神話、三刀屋川・須佐川・磐鉏川などの河川、 さらに備後・仁多・神門各郡へ通じる古代の道が詳しく記されています。
本記事では、原文を尊重しつつ、飯石郡の自然環境と交通網の全体像を読み解きます。

飯石郡 山野河川海岸通道
出雲国風土記 飯石郡 山野河川海岸通道 原文扉

飯石郡条「山野河川海岸通道」の冒頭。郡内の山・川・道を体系的に記す。

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飯石郡の山々

燒村山・穴厚山・笶村山・廣瀬山が郡家の四方を囲み、さらに琴引山・佐比賣山・堀坂山などが 遠方に連なります。特に琴引山には、所造天下大神の御琴と石神の伝承が記され、 飯石郡を代表する霊山として描かれています。

飯石郡の河川

三屋(みとや)川は郡内を貫いて斐伊川に合流し、須佐川・磐鉏川・波多小川・飯石小川などが 各地から流れ込みます。いずれも「年魚あり」と記され、豊かな水産資源を有していたことがわかります。

通道と国境

飯石郡の通道は、大原郡・仁多郡・神門郡、さらに備後国へと続きます。 荒鹿坂・三坂などの峠道は、常に整備(剗)される重要路とされ、 古代山間交通の要衝であったことが示されています。

出雲国風土記 原文

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燒村山(たきむらやま)。郡家(ぐうけ)の正東(まひがし)一里なり。

穴厚(あなつ)山。郡家の正南(まみなみ)一里なり。

笶(や)村(むら)山。郡家の正西(まにし)一里なり。

廣瀬(ひろせ)山。郡家の正北(まきた)一里なり。

琴引(ことひき)山。郡家の正南三十五里二百歩なり。高さ三百丈、周(めぐ)り一十一里あり。古老の傳へに云へらく、此の山の峰に窟(いはや)あり。裏に所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)の御(み)琴(こと)あり。長さ七尺、廣さ三尺、厚さ一尺五寸あり。又、石神あり。高さ二丈、周(めぐ)り四尺あり。故(かれ)、琴引山と云ふ。鹽味葛(えびかづら)あり。

石穴(いはな)山。郡家の正南五十八里なり。高さ五十丈あり。

幡咋(はたくひ)山。郡家の正南五十二里なり。紫草(むらさき)あり。

野見(ぬみ)・木見(きみ)・石次(いはすき)の三野(みぬ)、並(なら)びに、郡家の南西四十里なり。紫草あり。

佐比賣(さひめ)山。郡家(ぐうけ)の正西(まにし)五十一里一百四十歩なり。石見と出雲との二國の堺なり。

堀坂(ほりさか)山。郡家の正西二十一里なり。杉・松あり。

城垣野(きがきぬ)。郡家の正南(まみなみ)一十二里なり。紫草(むらさき)あり。

伊(い)我(が)山。郡家の正北(まきた)二十九里二百歩なり。

奈倍(なべ)山。郡家の東北二十里二百歩なり。

凡そ、諸(もろもろ)の山野(やまぬ)に在る所の草木は、卑解(ところ)・升麻(とりのあしぐさ)・當歸(やまぜり)・獨活(うど)・大薊(やまあざみ)・黃精(おほゑみ)・前胡(のぜり)・薯預(やまついも)・白朮(をけら)・女委(ゑみくさ)・細辛(みらのねぐさ)・白頭公(おきなぐさ)・白芨(かがみ)・赤箭(かみのやがら)・桔梗(ありのひふき)・葛根(くずのね)・秦皮(とねりこ)・杜仲(はひまゆみ)・石斛(いはぐすり)・藤・李(すもも)・椙・赤桐・椎・楠・楊梅(やまもも)・槻(つき)・柘(つみ)・楡(にれ)・松・榧(かへ)・蘗(きはだ)・楮(かぢ)。禽獸には則ち鷹・隼(はやぶさ)・山雞(やまどり)・鳩・雉(きじ)・熊・狼・猪(ゐ)・鹿・莵・獼猴(さる)・飛鼯(むささび)あり。

三屋(みとや)川。源は郡家の正東(まひがし)一十五里なる多加(たか)山より出で、北に流れて斐伊(ひ)河(のかは)に入る。年魚あり。

須佐(すさ)川。源は郡家の正南六十八里なる琴引山より出で、北に流れて來嶋(きじま)・波多(はた)・須佐(すさ)等の三郷を經て、神門(かむど)郡の門立(とたち)村に入る。此(こ)は謂(い)はゆる神門川(かむどがは)の上(かみ)なり。年魚(あゆ)あり。

磐鉏川(いはすきがは)。源は郡家(ぐうけ)の西南七十里なる箭山(やのやま)より出で、北に流れて須佐川に入る。年魚あり。

波多小川(はたのをがは)。源は郡家の西南二十四里なる志許斐(しこひ)山より出で、北に流れて須佐川に入る。鐵(まがね)あり。

飯石(いひし)小川。源は郡家の正東(まひがし)一十二里なる佐久禮(さくれ)山より出で、北に流れて三屋(みとや)川に入る。鐵あり。

通道(かよひぢ)。大原郡の堺(さかひ)なる斐伊(ひ)河の邊(ほとり)に通ふは、二十九里一百八十歩なり。

仁多郡の堺なる温泉(ゆ)川の邊(ほとり)に通ふは、二十二里なり。

神門郡の堺なる與曾紀(よそき)村に通ふは、二十八里六十歩なり。

同じ郡の堺なる掘坂山に通ふは、二十一里なり。

備後(びんご)國の惠宗(ゑそ)郡の堺なる荒(あら)鹿(か)坂に通ふは、三十九里二百歩なり。徑(みち)、常に剗(せき)あり。

三次(みよし)郡の堺なる三坂(みさか)に通ふは、八十一里なり。徑(みち)、常に剗あり。

波多(はた)徑(のこみち)・須佐(すさ)徑(のこみち)・志都美(しづみ)徑(のこみち)、以上の三つの徑(こみち)は、常には剗(せき)無し。但(ただ)、政(まつりごと)ある時に當りて、權(かり)に置くのみ。並(なら)びに、備後(びんご)國に通ふなり。

              郡司  主帳 无位       日置(へき)臣(のおびと)

               大領  外正八位下 勳十二等 大(おほ)私(きさき)造(のみやつこ)

               少領  外從八位上      出(いず)雲(もの)臣(おみ)

アクセス・地図

飯石郡(現在の雲南市三刀屋町周辺)

飯石郡は現在の島根県雲南市三刀屋町・吉田町周辺に比定されます。
衛星写真に地名を重ねることで、山・川・通道の位置関係が把握しやすくなります。

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