【出雲国風土記】狭長神社(狭長社)|正哉吾勝勝速日天忍穂耳命を祀る古社と「勝手大明神」の伝承|飯石郡・雲南市掛合町

2024年4月13日土曜日

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【出雲国風土記】狭長神社(狭長社)|雲南市掛合町に鎮座し、『出雲国風土記』にその名が記された古社。御祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳命。勝手大明神とも称されたと伝わる、歴史ある神社です。島根県雲南市・掛合町

【出雲国風土記】狭長神社(狭長社)|正哉吾勝勝速日天忍穂耳命を祀る古社と「勝手大明神」の伝承|飯石郡・雲南市掛合町

島根県雲南市掛合町に鎮座する狭長神社(さながじんじゃ)は、『出雲国風土記』に 「狭長社(さながのやしろ)」として記された古社です。
御祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)。 かつては烏帽子岩の上に祀られていたと伝わり、「勝手大明神」とも呼ばれていた歴史を持ちます。

記録類は江戸末期(嘉永元年・安政三年)の火災で失われ詳細は不詳ですが、 1300年以上の信仰が今も息づく、天平時代から続く神社として地域で大切に守られています。

拝 殿

狭長神社 拝殿
拝殿 かつて「勝手大明神」とも呼ばれたと伝わる

御祭神

主祭神 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命
(まさかあかつかちはやび あめのおしほみみのみこと)
合祀神 菅原道真公

御由緒

当社の創建年歴などは、嘉永元年・安政三年の火災により社に関する記録が焼失したため詳細不詳とされています。
しかし『出雲国風土記』にその名が残る古社であり、天平文化の時代(1300年前)から連綿と続く伝統の神社です。
かつては烏帽子岩の上に鎮座していたとも伝わり、「勝手大明神」と呼ばれていたという口伝も残ります。

※「島根県神社庁」掲載情報より引用 (外部リンク

拝殿の扁額
狭長神社 拝殿 扁額
本 殿(右側)
狭長神社 本殿右
本 殿(背面)
狭長神社 本殿裏
本 殿(左側)
狭長神社 本殿左
境内社:大元神社
狭長神社 大元神社
境内社:新八幡宮
狭長神社 新八幡宮
石 碑

本殿裏には祈願や守護を刻んだ石碑群が並びます。

狭長神社 石碑群

灯籠のようにも見える石柱。
右「社日大御神鎮護」/左「愛宕大権現」など判読できる銘も。

狭長神社 灯篭(⁉)
狭長神社 石碑 社日大御神鎮護・愛宕大権現
右側には金祖神・火守神・稲荷神・地主神・竜王神・塞之神など、
左側には山守神・御嵜神・大年神・惣荒神・水祖神などの名が刻まれているように見えます。
三寶荒神
狭長神社 石碑 三寶荒神
征清戦勝碑
狭長神社 征清戦勝碑
神器庫(?)と神社模型

境内には道具を納めたような建物があり、その上には狭長神社の模型が置かれていました。

狭長神社 神器庫 狭長神社 神社模型
境 内
狭長神社 境内
鳥 居
狭長神社 鳥居
随神門
狭長神社 随神門
狛 犬
狭長神社 狛犬
手 水
狭長神社 手水
大智明権現

「大智明権現」と読める石碑。左の石碑は判読が難しいものの、地域の信仰の厚さが感じられます。

狭長神社 大智明権現
社 頭
狭長神社 社頭
『出雲国風土記』登場地標柱

「狭長社(さながのやしろ)」と刻まれた碑。ここが記録に残る社の地であることを示しています。

狭長神社 出雲国風土記登場地標柱

アクセス

地 図

お問い合わせ

所在地 島根県雲南市掛合町掛合2136
TEL 0854-62-0890
HP --
Email --
駐車場
道の駅「掛合の里」から国道54号線を約1.3km南下、左手。
御朱印 有無は不明
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