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2020年6月13日土曜日

出雲國風土記 国の総括的記述

出雲國風土記


國の大體(おほかた)は、(ひむがし)(はじめ)とし、(にしみなみ)(をはり)とす。(ひむがし)(みなみ)とは山にして、西と北とは海に()けり
東西一百三十七里一十九歩
南北一百八十二里一百九十三歩

一百歩
七十三里三十二歩
得而難可誤

(ろう)枝葉(しえふ)細思(さいし)し、詞源(しげん)裁定(さいぢやう)す。(また)山野(さんや)(ひん)()(ところ)鳥獸(ていじう)(すみか)魚貝(ぎよばい)(かい)(さい)(たぐい)(いと)繁多(さは)にして、(ことごと)には()べず。(しか)はあれど()むことを()ざるは、粗梗槪(ほぼあらまし)()げて、(ふみ)(おもむき)を成しつ。

出雲(いずも)(なづ)くる所以(ゆゑ)は、八束(やつか)(みづ)(おみ)津野(づぬ)(のみこと) ()りたまひしく、「八雲立つ」()りたまひき。(かれ)、八雲立つ出雲(いずも)と云ふ。

()はせて神社(かみのやしろ) 三百九十九所
一百八十四所 (じん)祇官(ぎくわん)に在り 
二百一十五所 神祇官に在らず。
九郡。(さと)六十二。(こざと)一百八十一。 餘戶(あまりべ)四。 驛家(うまや)六。 (かむ)()七。里一十一。
() () (のこほり)。 十一。里三十三。餘戶一。 驛家三。 神三。里六
(しま) () (のこほり)。 八。里二十四。餘一。 驛家一。
(あき) 鹿() (のこほり)。 四。里一十二。神一。(こざと)なり
(たて) (ぬひ) (のこほり)。 四。里一十二。餘一。神一。里なり。
() (づも) (のこほり)。 里二十三。神一。里二。
(かむ) () (のこほり)。 里二十二。餘一。 驛家二。 神一。里なり。
() (ひし) (のこほり)。 里一十九。
() () (のこほり)。 四。里一十二。
(おほ) (はら) (のこほり)。 郷八。里二十四。
  右の(くだり)(さと)の字は、靈龜(りやうき)元年(七一五年)の(しき)()りて、里を改めて郷と爲せり。その郷の名の字は(じん)()三年726年)の民部省(みんぶしやう)口宣(くぜん)(かがふ)りて之を改む。


2019年8月25日日曜日

出雲国風土記 大原郡 『日原社(大森神社)』

出雲国風土記 大原郡 『日原社(大森神社)』

ご 由 緒
特別社 大森神社 御由緒
鎮座地 島根県木次町東日登一三四五番地

主祭神  素戔嗚尊 稲田姫命 大己貴尊 天日腹大科戸美大神
配祀神  市杵島命 倉稲魂命 菅原道具霊神

沿革
当社は出雲國風土記に載っている「日原社」で有ることが定説と為っており雲陽誌には「大森大明神」と記されている

此処は素戔嗚尊が八岐大蛇を退治され稲田姫を救い 須賀の地(大東町須賀)に赴かれる途中 この大森の地下暫し宿られ 御大婚の諸要事を準備された処と伝えられている 其の後大己貴尊が御大婚に関わる業また妖賊退治に関わる遺業を継承されし処と云われている

当社社殿が参道正面より横向きに鎮座なされているのは 社殿正面を横切るのは畏れ多く不敬であるとされ因って安泰を願い横向きに鎮座為されたと伝えられている。

また当大森神社(日原社)旧跡地付近より銅鐸及び土器等が出土 なかでもこの銅鐸は 弥生時代中期前半頃のものと推察され Ⅱ式の「外縁付鈕式」の四区小型袈沙文銅鐸」で 同型の銅鐸は荒神谷遺跡・賀茂岩倉遺跡からも出土しているこの銅鐸は「伝木次銅鐸」として現在京都物館に保存されている

境内社 事比羅神社 若宮神社 鷲神社 八坂神社 社日神 枳佐加比社 牛荒神社

例大祭日 毎年十月二十三日
『大森神社御由緒』より


御 祭 神
素戔嗚尊 稲田姫命 大己貴尊 天日腹大科戸美大神
配  祀
市杵島命 倉稲魂命 菅原道具霊神


大森神社-本殿
本殿
大森神社-本殿
本殿裏側
大森神社-拝殿
拝殿
大森神社-拝殿の扁額
拝殿の扁額
大森神社-境内社(枳佐加比社)
境内社 枳佐加比社
大森神社-境内社の扁額
枳佐加比社の扁額
大森神社-境内社
境内社 (右から)鷲社・事比羅社・若宮社・八坂社
大森神社-社日碑
社日碑
大森神社-狛犬
境内狛犬
大森神社-狛犬
境内狛犬
大森神社-狛犬
参道狛犬
大森神社-狛犬
参道狛犬
大森神社-鳥居
鳥居
大森神社-御由緒
御由緒
大森神社-参道
参道
大森神社-参道
参道
大森神社-鳥居の扁額
鳥居扁額
大森神社-道路からの階段
飯石ふれあい農道からの階段
大森神社-社号標
社号標
大森神社-前景
前景
大森神社-何かの跡
何かの跡
大森神社-神社前からの風景
神社前からの風景
大森神社-伊能忠敬測量地の記念碑
伊能忠敬測量地の記念碑


地図

問い合せ
住 所
島根県雲南市木次町東日登1345
電 話
--
ホームページ
--
メールアドレス
--
ご朱印
有無は不明
駐 車 場
飯石ふれあい農道沿いの階段のそばに広い場所があります。そこから100mほど南に行くと上に上がれる道路がありますが、駐車場は上にはありません。

2019年8月8日木曜日

出雲国風土記 大原郡 『得塩社(海潮神社)』

出雲国風土記 大原郡 『得塩社(海潮神社)』

ご 由 緒
延喜式内社
元郷社 海潮神社御由緒 
御祭神 宇能治比古命  ( うのちひこのみこと )

 当社の創立年代は、遼遠にして知る事は出来ないが、延喜式制に神祇官社に登録され、国幣小社に列格されている。此の事から思い図れば、延喜の式制以前の創立であることは間違いなく、千数百年以前と想像される。 よって、明治三十三年十一月氏子中相図り千年祭を斎行し、碑文を刻み、記念碑を建立して後世に遺した。

出雲国風土記に、宇能治比古命、北の方海潮を押し上げて御祖須我弥命を漂わす。此の海潮、此の地に至る故に此の地を得塩というとあり、命を祀り得塩社とした。

神亀三年、地名改正の令により、此の地を海潮と改められ、社名も海潮神社に改められた。
降って、出雲式内社考あるいは雲陽誌には大森大明神と称し、天正九年十一月 造営の棟札があり、以後17回の社殿造営の記録がある。

古来武将武門の崇敬篤く、中世の頃、此の海潮の地を領した尼子氏の重臣牛尾弾正忠は、三笠城に拠り当社を祈願社と定め、社地社領の寄進をし、祈願神事に用いたと伝える獅子頭を今も社蔵している。

明治維新までは、年々御札下げにて社領米の寄進があったが、王政復古を期して廃止された。

明治五年一月新制度により郷社に列格、郡政下にあっては例大祭に郡長の参向が続き、明治・大正・昭和の初期までは大森さんと称して親しまれ、遠近を問わず崇敬されてきた。
創立以来千数百年、社地社殿等の移転もなく今日に至っている由緒ある神社である。

境内社 稲荷神社 恵美須社 八幡宮
    高平社 社日社 総荒神社 鷺神社

三大祭  例大祭  十月二十日
     祈年祭  三月二十二日
     新嘗祭  十一月二十七日

平成十三年十月二十日 正遷座祭斎行記念  宮司 新田有一 識
『神社境内説明板』より


御 祭 神
宇能治比古命
合  殿
誉田別命(八幡宮)

海潮神社-本殿
海潮神社-本殿
本殿
本殿
海潮神社-拝殿と歳徳社
海潮神社-扁額
拝殿と歳徳社
扁額
海潮神社-狛犬
海潮神社-狛犬
狛犬
狛犬
海潮神社-稲荷社
海潮神社-総荒神社
稲荷社(倉稲魂命)
総荒神社
海潮神社-境内摂社
海潮神社-石祠
八幡宮(誉田別尊)
恵比須社(事代主命) 高平社
社日社 鷺神社(稲背脛命)
海潮神社-説明版
海潮神社-手水舎
神社境内説明版
手水舎
海潮神社-社号標
海潮神社-全景
社号標
全景
海潮神社-三笠城跡縁の石

三笠城跡縁の石


地図

問い合せ
住 所
島根県雲南市大東町南村424
電 話
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ホームページ
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メールアドレス
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ご朱印
有無は不明
駐 車 場
神社入口付近に駐車できます。

嶋根郡 郷里驛家

嶋根郡 郷里驛家 嶋根郡 ( しまねのこほり ) 合はせて 郷 ( さと ) 八。 里 ( こざと ) 二十 五。 餘戸 ( あまりべ ) 一 。 驛家 ( うまや ) 一 。   朝酌郷 ( あさくみのさと )  今も 前 ( さき ) に依り て 用 ゐる 。 山口郷 ...