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2020年6月21日日曜日

意宇郡 山野河川海岸通道

意宇郡 山野河川海岸通道


嫁が島

長江山。郡家ぐうけ東南五十里なり。水精すゐしやうあり

暑垣(あつがき)山。郡家の正東(まひがし)二十里八十歩なり。(とぶひ)あり

高野(たかぬ)山。郡家の正東一十九里なり。

熊野(くまぬ)山。郡家の正南(まみなみ)一十八里なり。()(まゆみ)あり。謂はゆる熊野大神の坐す。

久多美(くたみ)山。郡家の西南二十三里なり。

玉作山。郡家の西南二十二里なり。社あり。

神名樋野(かむなびぬ)。郡家の西北三里一百二十九歩なり。高さ八十丈、(めぐ)六里三十二歩あり。東に松あり、三方は並びに()あり

凡そ、(もろもろ)山野に在る所の草木は、麥門冬(やますげ)獨活(うど)石斛(いはぐすり)前胡(のぜり)高梁薑(こうらはじかみ)連翹(いたちぐさ)黃精(おほゑみ)百部根(ほとづら)貫衆(おにわらび)白朮(をけら)薯預(やまついも)苦參(くらら)細辛(みらのねぐさ)商陸(いをすき)高本(さはそらし)玄參(おしくさ)五味子(さねかづら)黃芩(ひひらぎ)葛根(くずのね)牡丹(ふかみぐさ)藍漆(やまあゐ)(わらび)・藤・(すもも)・檜・杉 字或いは椙に作る。赤桐(あかぎり) 字或いは梧に作る。白桐(きり)(くすのき)(しひ)海榴(つばき) 字或いは椿に作る。楊梅(やまもも)・松・(かへ) 字或いは(かへ)に作る。・(きはだ)(つき)。禽獸には則ち、(わし)晨風(はやぶさ) 字或いは隼に作る。・山雞(やまどり)・鳩・(うずら)(ひばり) 作。・鴟鴞(づく) 橫到に作る惡鳥なり。・熊・狼・猪・鹿・兎・狐・飛鼯(むささび) 字或いは(けものへん)(らい)に作る、蝠に作る。獼猴(さる)(やから)あり(いと)繁多(さは)にして、(しる)すべからず。

伯太(はだ)川。源は仁多(にた)意宇(おう)と二郡の堺なる葛野(かどぬ)山より出で、流れて母理(もり)楯縫(たてぬい)安來(やすぎ)の三郷を經て入海に入る。年魚(あゆ)伊久比(いぐひ)あり。

山國川。源は郡家(ぐうけ)東南三十八里なる枯見(からみ)山より出で、北に流れて伯太川に入る。

飯梨(いひなし)川。源は三つあり。一水(ひとすじ)源は、仁多(にた)大原(おほはら)意宇(おう)三郡の堺なる田原より出で、一水の源は枯見(からみ)より出で、一水の源は仁多郡の玉嶺(たまみね)三つ水合ひ、北に流れて入海にはいる。年魚(あゆ)伊久比(いぐひ)あり。

筑陽(つきや)川。源は郡家の正東(まひがし)一十里一百歩なる(をぎ)山より出で、北に流れて入海に入る。年魚あり。

意宇(おう)川。源は郡家の正南(まみなみ)一十八里なる熊野(くまぬ)山よりいでて北に流れ、(ひむがし)折れ、流れて入海に入る。年魚(あゆ)伊久比(いぐひ)あり。

野代(ぬしろ)川。源は郡家(ぐうけ)西南一十八里なる須我(すが)山より出で、北に流れて入海に入る。

玉作(たまつくり)川。源は郡家の正西(まにし)一十九里なる阿志(あし)山より出で、北に流れて入海に入る。年魚あり。

來待(きまち)川。源は郡家の正西二十八里なる和奈佐(わなさ)山より出で、西に流れて山田村に至り、更に折れて北に流れて入海に入る。 年魚あり。

宍道(ししぢ)川。源は郡家の正西三十八里なる幡屋(はたや)山より出で、北に流れて入海に入る。魚なし。

津間拔(つまぬき)(のいけ)(めぐ)二里四十歩あり。(たかべ)鴨・鮒・(たで)あり

眞名猪(まなゐ)池。周り一里あり。北は入海なり。

門江(かどえ)濱。伯耆と出雲との二國の堺なり。東より西に行く。

子嶋。(ことごと)(いそ)なり。

(あは)嶋。椎・松・多年木(あはぎ)宇竹(うだけ)眞前(まさき)等の草木あり。

砥神(とかみ)嶋。(めぐ)三里一百八十歩。高さ六十丈あり。椎・松・(みらのねぐさ)薺頭蒿(おはぎ)都波(つは)師太(しだ)等の草木あり。

加茂(かも)嶋。(ことごと)(いそ)なり。

()嶋。椿・比佐木(ひさぎ)多年木(あはぎ)(わらび)薺頭蒿(おはぎ)あり。

鹽楯(しほたて)嶋。蓼螺子(たでにし)水蓼(みづたで)あり

野代(ぬしろ)海の中に蚊嶋(かしま)あり。周り六十歩あり。中央(まなか)涅土(くろつち)にして、四方は(なら)びに(いそ)なり中央(まなか)手掬(たづか)(ばか)りの木一(もと)あるのみ。其の礒に螺子(にし)海松(みる)あり。

(ここ)より以西(にし)濱、或る峻崛(さが)しく或る(たひら)にして、(なら)びに通道(かよひぢ)(とほ)所なり。

通道(かよひぢ)國の東の(さかい)なる手間剗(てまのせき)に通ふは四十一里一百八十歩なり。

大原郡の堺なる木垣峯(きがきのみね)に通ふは三十三里二百歩なり。

出雲郡の堺なる雜埼(ささふのさき)に通ふは四十二里三十歩なり。

嶋根郡の堺なる朝酌渡(あさくみのわたり)に通ふは四里二百六十歩なり。

(さき)(くだり)一郡は入海の南にあり。

則ち國の(ほそどの)なり

           郡司 主帳   无位       (あま) (のおみ)

无位       出雲臣(いずものおみ)

              少領 ()從七位上 勳十二等 出雲臣

              主政 外小初位上 勳十二等 (はやし) (のおみ)

              擬主政  无位       出雲臣

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意宇郡 郷里驛家

意宇郡 郷里驛家

出雲国庁付近から眺める茶臼山


() () (のこほり)。 

合はせて(さと)十一。(こざと)三十三餘戸(あまりべ)一。 驛家(うまや)三。 (かむ)()三。里六

 () () (のさと) 本の字は文里(もり)

 () (しろ) (のさと) 本の字は(やしろ)

 (たて) (ぬひ) (のさと) 今も(さき)()ゐる

 (やす) () (のさと) 今も前に()ゐる

 (やま) (くに) (のさと) 今も前に()ゐる

 (いひ) (なし) (のさと) 本の字は(いひ)(なし)

 () () (のさと) 今も前に()ゐる

() (くさ) (のさと) 今も前に()ゐる

 (やま) (しろ) (のさと) 今も前に()ゐる

 (はや) () (のさと) 本の字は林

 (しし) () (のさと) 今も前に()ゐる

  以上一十一、(さと)(ごと)(こざと)三。

 (あま)戸里(りべのさと)

 野城驛家(ぬきのうまや)

 黒田驛家(くろだのうまや)

宍道驛家(ししぢのうまや)

 出雲(いずも)(のかむ)()

 賀茂(かも)神戸(のかむべ)

 忌部(いむべ)神戸(のかむべ)

意宇(おう)(なづ)くる所以(ゆゑ)は、國引き()しし八束水臣津野命(やつかみづおみづぬのみこと)()りたまひしく、「八雲立つ出雲の國は、狹布(さぬの)稚國(わかくに)なるかも初國(はつくに)(ちさ)作られ(かれ)、作り縫はな」と()たまひて、「栲衾志羅紀(たくぶすましらき)三埼(みさき)、國の(あまり)ありやと見れば、國の餘あり」()たまひて、童女(をとめ)(むね)(すき)取らして、大魚(おふを)支太(きだ)(鰓)()別けて、波多須々支(はたすすき)(幡薄)穗振(ほふ)別けて、三身(みつより)の綱打ち()けて黑葛闇耶闇耶(しもつづらくるやくるや)繰るや繰るや)に。(かわ)(ふね)毛曾呂毛曾呂(もそろもそろ)に、國來(くにこ)國來(くにこ)」と()縫へる國は、去豆(こづ)()()よりして、八穗米支豆支(やほしねきづき)御埼(みさき)なり。かくて(かた)立てし加志(かし)(杭)は石見國と出雲國との(さかひ)なる、名は佐比賣(さひめ)山、是なり。亦、持ち引ける綱は。(その)長濱、是なり。亦、「北門(きたど)佐伎(さき)の國を、國の(あまり)ありやと見れば、國の餘あり」()たまひて、童女(をとめ)(むね)(すき)取らして、大魚(おふを)支太(きだ)()き別けて、波多須々支(はたすすき)穗振(ほふ)り別けて、三身(みつより)の綱打ち()けて霜黑葛闇耶闇耶(しもつづらくるやくるや)に。(かわ)(ふね)毛曾呂毛曾呂(もそろもそろ)に、「國來(くにこ)國來(くにこ)」と引來縫へる國は、多久(たく)()()よりして、狹田(さだ)國、是なり亦、北門の良波の國を、國の(あまり)ありやと見れば、國の餘あり」と()たまひて、童女(をとめ)(むね)(すき)取らして、大魚(おふを)支太(きだ)()き別けて、波多須々支(はたすすき)穗振(ほふ)り別けて、三身(みつより)の綱打ち()けて霜黑葛闇耶闇耶(しもつづらくるやくるや)に。(かわ)(ふね)毛曾呂毛曾呂(もそろもそろ)に、「國來(くにこ)國來(くにこ)」と引來縫へる國は、宇波(うなみ)()()よりして、闇見(くらみ)の國、是なり。亦、高志の都都の三埼を、國の(あまり)ありやと見れば、國の餘あり」と()たまひて、童女(をとめ)(むね)(すき)取らして、大魚(おふを)支太(きだ)()き別けて、波多須々支(はたすすき)穗振(ほふ)り別けて、三身(みつより)の綱打ち()けて霜黑葛闇耶闇耶(しもつづらくるやくるや)に。(かわ)(ふね)毛曾呂毛曾呂(もそろもそろ)に、「國來(くにこ)國來(くにこ)」と引來縫へる國は、三穗の埼なり。持ち引ける綱は、夜見嶋(よみのしま)なり。固堅(かた)め立てし加志(かし)伯耆國(ははきのくに)なる火神岳(ひのかみのたけ)、是なり。「今は國引き()へつ」と()たまひて、意宇杜(おうのもり)御杖(みつえ)()き立てて、「意惠(おゑ)」と()りたまひき。(かれ)意宇(おう)と云ふ。()はゆる意宇(おうのもり)は、郡家(ぐうけ)の東北の(ほとり)、田の中にある(こやま)是なり。(めぐり)八歩(ばか)、其の上に木ありれり

 

母里郷(もりのさと)。郡家の東北三十九里一百九十歩なり。所造天下大神大穴持命(あめのしたつくらししおほかみおほなもちのみこと)こし八口やくちことむけ賜ひてかへしし時、長江ながえ山にしてりたまひしく、「が造りしてうしはは、皇御孫命すめみまのみこと平世やすくにらせとさしまつり、ただ、八雲立つ出雲國は()まり()さむと、靑垣山(めぐ)らしひて、()ひて()りまさむ」と()りたまひき(かれ)文理(もり)と云ふ神龜三年に、字を母理(もり)と改む

屋代郷(やしろのさと)。郡家の正東(まひがし)三十九里一百二十歩なり。天乃夫比命(あめのほひのみこと)御伴(みとも)天降(あも)り來ましし、社印支(やしろのいなぎ)等が遠神(とほつかみ)天津子命(あまつこのみこと)()りたまひしく、「()(きよ)まはり()さむと(おもほ)(やしろ)」と()りたまひき。(かれ)(やしろ)云ふ神龜三年字を屋代と改む

楯縫郷(たてぬひのさと)。郡家の東北三十二里一百八十歩なり。布都努志命(ふつぬしのみこと)天石楯(あめのいはだて)ひ直し給ひき。(かれ)楯縫と云ふ。

安來郷(やすぎのさと)。郡家の東北二十七里一百八十歩なり。神須佐乃袁命(かむすさのをのみこと)(あめ)(かき)立ち(めぐ)()しき。()の時、此處(ここ)()()して()りたまひしく、「()御心(みこころ)安平(あす)けく成りしぬ」と()りたまひしき。(かれ)、安來と云ふ。卽ち北の海に比賣埼(ひめさき)あり。飛鳥淨御原宮御宇天皇(あすかのきよみはらのみやにあめのしたしらしめししすめらみこと)の御世、甲戌(きのえいぬ)七月十三日、語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)女子(むすめ)(くだり)の埼に逍遥(あそ)びて邂逅(たまさか)和爾(わに)(鰐)に()(そこな)はえて(かへ)ざりき。()の時、父猪麻呂、賊はえし女子(むすめ)を濱の(ほとり)(をさ)め置き、(いた)苦憤(いきどほ)(あめ)(おら)(つち)に踊り、行きては()き、居ては(なげ)き、晝夜(ひるよる)辛苦(たしな)みて(をさ)めし所を()こと無し。()()(ほど)數日(ひかず)經歴()たり。然して後、慷慨(うれた)(こころ)(おこ)して、()ほこくし、便よろしきを撰びり、をがうるたへてひしく、「天神あまつかみ千五百萬ちいほよろづ地祇くにつかみ千五百萬ちいほよろづならびに當國このくにまり三百九十九社また海若等わたつみたち、大神の和魂にぎみたままりまして、荒魂あらみたま皆悉ことごとに猪麻呂がむ所にりたまへ。(まこと)(みたま)()しまさば、。吾を(いたは)らしめ給へ。(ここ)()ちて神靈(みたま)の神たるを知ら」といへり。()の時、須臾(すまし)あり和爾(わに)百餘(ももあまり)、靜かに一つ和爾(わに)圍繞(かく)(おもぶる)率依(ゐよ)來て、居る(ところ)()進まず退かず、圍繞(かく)めるもみなりき。()の時、(ほこ)擧げて中央(まなか)なる一つ和爾を()して殺し()りき。(すで)()へて、然して後に、百餘(ももあまり)の和爾解散(あら)き。()()けば、女子(むすめ)一脛(はぎひとつ)(ほふ)り出しき。()りて和爾を()()きて(くし)()、路の(ほとり)に立てき。安來郷の人、語臣與(かたりのおみあたふ)が父なり。()の時より以來(このかた)今日(いま)に至るまでに六十歳を經たり。

山國郷(やまくにのさと)。郡家の東南三十二里二百三十歩なり。布都努志命(ふつぬしのみこと)國廻(くにめぐ)()しし時、此處(ここ)に來()して()りたまひしく、「()(くに)は、()まなく()()し」と()りたまひき。(かれ)、山國と云ふ。卽ち正倉あり。

飯梨郷(いひなしのさと)。郡家の東南三十二里なり。大國魂命(おほくにたまのみこと)天降(あも)()しし時、此處(ここ)に當りて御膳(みけ)()給ひき。(かれ)飯成(いひなし)云ふ神龜三年に字を飯梨と改む

舍人郷(とねのさと)。郡家の正東(まひがし)二十六里なり。志貴嶋宮御宇天皇(しきしまのみやにあめのしたしらしめししすめらみこと)御世、倉舍人君等(くらのとねのきみたち)(おや)日置臣志毗(へきのおみしび)大舍人(おほとね)(つか)(まつ)りき。卽ち志毗(しび)()める所なり。(かれ)舍人(とね)云ふ卽ち正倉あり。

大草郷(さくさのさと)。郡家の南西二里一百二十歩なり。須佐乃乎命(すさのをみこと)御子、靑幡佐久佐丁壯命(あおはたさくさひこのみこと)()せり。(かれ)大草(さくさ)云ふ

山代郷。郡家の西北三里一百二十歩なり。所造天下大神大穴持命(あめのしたつくらししおほかみおほなもちのもこと)御子、山代日子命(やましろひこのみこと)()せり。(かれ)、山代と云ふ卽ち正倉あり。

拜志郷(はやしのさと)。郡家の正西(まにし)二十一里二百一十歩なり。所造天下大神命(あめのしたつくらししおほかみのみこと)(こし)八口(やくち)(ことむ)けむとして(いで)ましし時、此の處の樹林茂盛(はやししげ)れり()の時()りたまひしく、「()が御心の波夜志(はやし)()やし)」と()りたまひしき。(かれ)、林と云ふ神龜三年に、字を拜志と改む卽ち正倉あり。

宍道郷(ししぢのさと)。郡家正西(まにし)三十七里なり。所造天下大神命(あめのしたつくらししおほかみのみこと)追ひ給ひし(しし)(かた)南の山に二つあり。一つは長さ二丈七尺、高さ一丈、(めぐ)五丈七尺。一つは長さ二丈五尺、高さ八尺、周り四丈一尺。(しし)を追ひし犬の(かた)長さ一丈、高さ四尺、周一丈九尺。其の形石となり(しし)犬とに異なることなし。今に至りても猶あり。(かれ)宍道(ししぢ)云ふ

餘戸里(あまりべのさと)。郡家の正東(まひがし)六里二百六十歩なり。神龜四年の編戸に()り、一里を立つ。(かれ)、餘戸と云ふ。他の郡も、(また)(かく)如し。

野城驛(ぬきのうまや)。郡家の正東(まひがし)二十里八十歩なり。野城大神(ぬきのおほかみ)()ししに()り、(かれ)、野城と云ふ

黑田驛。郡家と同じ處なり。郡家の西北二里に黑田村あり。土體(つち)色黑し。(かれ)、黑田と云ふ(ふる)此處(ここ)に是の驛あり。卽ち(なづ)けて黑田驛()。今は東、郡に()けり。今猶(もと)黑田の()を追へるのみ

宍道驛(ししぢのうまや)郡家(ぐうけ)正西(まにし)三十八里なり。名をこと郷の如し。

出雲(いずも)神戸(のかむべ)。郡家の南西二里二十歩。伊弉奈枳(いざなぎ)麻奈子(まなご)(真愛子)に()熊野加武呂命(くまぬかむろのみこと)と、五百津鉏々(いほつすきすき)(なほ)()らしに取らして所造天下大穴持命(あめのしたつくらししおほなもちのみこと)との、二所(ふたところ)の大神等に()さし奉る。(かれ)、神戸と云ふ他の郡等の神戸も、(また)(かく)の如し

賀茂(かも)神戸(のかむべ)郡家(ぐうけ)東南三十四里なり。所造天下大神命(あめのしたつくらししおほかみのみこと)の御子、阿遲須枳高日子命(あぢすきたかひこのみこと)葛城(かつらぎ)賀茂(かも)(のやしろ)()す。此の神の神戸なり。(かれ)(かも)云ふ神龜三年に字を賀茂(かも)改む卽ち正倉あり。

忌部(いむべ)神戸(のかむべ)。郡家の正西(まにし)二十一里二百六十歩なり。國造(くにのみやつこ)神吉詞(かむよごと)(まを)しに、朝廷(みかど)參向(まゐむか)時の御沐(みそぎ)忌玉(いみたま)(つく)(かれ)忌部(いむべ)云ふ卽ち川の(ほとり)湯を(いだ)出湯(いでゆ)の在る所は、海陸(うみくが)兼ねたり()りて男も女も老いたるも(わか)も、()道路(くがぢ)駱驛(ゆきか)ひ、()海中(うみぢ)(はまべ)沿()(ひび)(つど)ひて(いち)()し、繽紛(うちむれて)(うたげ)(あそ)。一たび(すす)げば形容端正(かたちきらきら)しく、(ふたた)(ゆあみ)すれば萬病(よろずのやまひ)(ことごと)(のぞ)(いにしへ)より今に至るまで、(しるし)を得ずといふことなし(かれ)俗人(くにびと)神湯(かみのゆ)()なり。


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出雲国風土記 島根郡 『爾佐加志能為社社(爾佐加志能為神社)』

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