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出雲国風土記 嶋根郡 『横田社・三保社(横田神社)』

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出雲国風土記 嶋根郡 『横田社・三保社(横田神社)』 出雲国風土記で『横田社』に比定される。以前は、横田山の西の横田谷にあったといわれる。 非神祇官社の三保社も横田神社に合祀したという説もある。 主祭神として大己貴命を、合殿に事代主命を祀る。 ※ 下宇部尾にある同じく大己貴命を祀る『横田神社』を『横田社』とする説もある。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神    大己貴命 合 祀 神    事代主命 狛 犬   境内社 若宮宮・八幡宮・疱瘡神社 境内社 彰徳社 随神門 石 祠 何かしらの石 鳥 居 手水鉢 御神木 社務所 貴布祢大明神 石碑 御嶽神社 石碑 御歳徳大膳神尊天王 石碑 地 図 問い合わせ 所在地  島根県松江市美保関町森山277 TEL  0852-34-0153 HP  -- Email  -- 駐車場  美保関方面より国道431号線を西に向かい、森山郵便局から500m進むと  森山入口バス停があり、その先を左折して100m程の所にあります。  駐車場は神社の手前に1台分程のスペースがありますが、  神社の駐車場なのかは不明です。 御朱印  有無は不明

出雲国風土記 嶋根郡 『爾佐加志能為社(爾佐加志能為神社)』

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出雲国風土記 嶋根郡 『爾佐加志能為社(爾佐加志能為神社)』 松江市島根町に鎮座する爾佐能加志能為神社は出雲国風土記に爾佐加志能為社と記載され、大己貴命を御祭神としてお祀りする古社です。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神   大己貴命 御由緒 爾佐加志能為神社 (野井浦) 祭神 大己貴命 歴史の足跡 現在、野井の神社といえば『出雲国風土記』、そして『延喜式』にみえる 古社「爾佐加志能為神社」である。同じ「爾佐」を冠する爾佐神社とは関係が深かったと思われ、立地も近いことが想定される。「爾佐加志能為」の社 名の「能為」が現地名(野井)であることも気がつくと思う。  「宝永七(一七一〇)年の「雲州四十二浦之詠歌」にみえる野井の神社は日御崎神社であった。当時、古代の爾佐加志能為神社の系譜を引く「加無利明 神(神守大明神)」は零落し、椎の木を祭っていた。当然、参拝客は社殿をもつ新しい日御碕神社に参拝したが、明治に入り『延喜式』重視により、日御碕神社に「加無利明神」を相殿にし、社名を古代の「爾佐加志能為神社」にして今日に至っている。「爾佐加志能為神社」の旧社地は野井の漁業組合附近であった。 地域祭礼として一月第二日曜に行われる野井とんど、宮練がある。かつての旧社地字「神守様灘」に隣接して字「どんどが鼻」があるので、野丼のとんどは江戸時代にさかのぼることがわかる。 島根半島四十二浦巡り再発見研究会 境内社   狛 犬 社 頭 扁 額 参道階段 巨 石 境内左手にある巨石。 地 図 問い合わせ  所在地  島根県松江市島根町野井155 TEL  -- HP  -- Email  -- 駐車場  神社正面の道路沿いに広い場所があります。 御朱印  有無は不明

出雲国風土記 国の特別記述

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国の特別記述 十字街(ちまた) 道度 ( みちのり ) 國の東の堺より、西に 去 ( ゆ ) くこと二十 里一百八十歩 にして 、 野城 ( ぬき ) 橋 に至る 。長 さ三十 丈七尺 、 廣 さ 二丈六尺 あり 。 飯梨河なり 。 又 、 西 二十 一里 にして 國廳 ( くにのまつりごとのや ) 、 意宇 ( おうの ) 郡家 ( ぐうけ ) の 北 なる 十字街 ( ちまた ) に至り、 卽 ち 分 かれて 二 つの 道 となる 。一 つは 正西道 ( まにしのみち ) 、 一 つは 枉北道 ( きたにまがれるみち ) なり 。 枉北道 ( きたにまがれるみち ) は、 北 に 去 ( ゆ ) くこと四里二百六十六 歩 にして、 郡 の 北 の 堺 なる 朝酌渡 ( あさくみのわたり ) に至る 。渡 り 八十歩 。 渡船 ( わたしぶね ) 一 つあり 。又 、 北 へ 一十 一 里一百 四十 歩 にして、 嶋根 ( しまねの ) 郡家 に至る 。 郡家 より北に 去 ( ゆ ) くこと 一十七里一百八十歩 にして、 隱岐渡 ( おきのわたり ) 、 千酌驛家 ( ちくみのうまや ) の 濱 に至る 。渡船 あり 。 又、郡家より西へ一十五里八十歩にして、郡の西の堺なる 佐 ( さ ) 太 ( だ ) 橋 に至る 。長 さ 三丈 、 廣 さ 一丈 あり 。佐太川 なり 。又 、 西 へ八里二 百歩 にして、 秋鹿 ( あきか ) 郡家 に至る。 又 、 郡家 より 西 に 一十五里 一 百歩 にして、 郡 の 西 の 堺 に至る 。又 、 西 へ 八里二百六十四歩 にして、 楯縫 ( たてぬひ ) 郡家 に至る 。 又、郡家より西へ七里一百六十歩にして、郡の西の堺に至る。又、西へ一十里二百二十歩にして、出雲 郡家 ( ぐうけ ) の 東 の 邊 ( ほとり ) 、 卽 ち 正西 ( まにし ) 道 ( のみち ) に入るなり。 惣 ( す ) べて 枉北道 ( きたにまがれるみち ) の 程 ( みちのり ) 、一百三 里一百一十歩 の 中 、 隱岐道 ( おきへのみち ) は 一十七里一百八十歩 なり 。 正西 ( まにし ) 道 ( のみち ) は、 十字街 ( ちまた ) より 西 へ 一十二里 にして 野代 ...

嶋根郡 山野河川海岸通道

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  嶋根郡 山野河川海岸通道 加賀の潜戸(旧潜戸) 布自枳美高山 ( ふじきみのたけやま ) 。 郡家 ( ぐうけ ) の 正南 ( まみなみ ) 七里二百一十歩 なり 。高 さ 二百七十丈 、 周 ( めぐ ) り 一十里 なり。 烽 ( とぶひ ) あり 。 女岳 ( めだけ ) 山。郡家 の 正南二百 三十 歩 なり 。 蝨野 ( むしぬ ) 。郡家 の 西南三里一百歩 なり 。 樹木なし。 毛志 ( もし ) 山。郡家 の 正北 ( まきた ) 一里 なり 。 大倉 ( おほくら ) 山。郡家 の 東北九里一百八十歩 なり 。 糸江 ( いとえ ) 山。郡家 の 東北 二十 六里 三十 歩 なり 。 小倉 ( をぐら ) 山。 郡家の正西二十 四里一百六十歩 なり 。 凡そ 諸 ( もろもろ ) の 山野 に 在 る所の 草木 は、 白朮 ( をけら ) ・ 麥門冬 ( やますげ ) ・ 藍漆 ( やまあゐ ) ・ 五味子 ( さねかづら ) ・ 苦參 ( くらら ) ・ 獨活 ( うど ) ・ 葛根 ( くずのね ) ・ 薯預 ( やまついも ) ・ 卑解 ( ところ ) ・ 狼毒 ( やまさく ) ・ 杜仲 ( はひまゆみ ) ・ 芍藥 ( えびすぐすり ) ・ 芘胡 ( のぜり ) ・ 百部根 ( ほとづら ) ・ 石斛 ( いはぐすり ) ・ 高本 ( さはそらし ) ・ 藤 ・李 ・ 赤桐 ( あかぎり ) ・ 白桐 ( きり ) ・ 海柘榴 ( つばき ) ・楠 ・ 楊梅 ( やまもも ) ・松・ 栢 ( かへ ) 。 禽獸 には 則 ち、 鷲 字或るは鵰に作る。 ・ 隼 ( はやぶさ ) ・ 山雞 ( やまどり ) ・ 鳩 ・ 鴙 ( きざし ) ・猪・鹿・猿・ 飛鼯 ( むささび ) あり 。 水草 ( みくさ ) 河 。源二 つあり。 一 水 ( すじ ) の 源 は、 郡家 ( ぐうけ ) の 東北三里一百八十歩 なる 毛志 ( もし ) 山 より出で、 一 水 ( すじ ) の 源 は、 郡家 の 西北六里一百六十歩 なる 同 じき 毛志山 より出づ 。 二つの水合ひ、南に流れて入海に入る。 鮒あり。 長見 ( ながみ ) 川。源 は 郡家 の 東北九里一百八十歩 なる 大倉 ( おほくら )...