【出雲国風土記】楯縫郡の郷里と驛家一覧|佐香郷・楯縫郷の由来を読む|出雲市(平田町周辺)

2021年2月15日月曜日

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【出雲国風土記】楯縫郡の郷里と驛家一覧|佐香郷・楯縫郷の由来を読む|出雲市(平田町周辺)

出雲国風土記では、楯縫郡(現在の出雲市平田町周辺)に 郷4・里12・餘戸1・神戸1が置かれていたと記録されています。
本記事では、各郷の「由来」を ①現代語要約 と ②風土記原文(折りたたみ) の2段構成で整理しました。
※本記事の該当箇所には「驛家(駅家)」の記載は見当たりません(別記事「国の特別記述」に駅家が登場します)。

※比定地・現在の行政地名は諸説あります。現地の案内板や資料も合わせてご確認ください。

楯縫郡(出雲市平田町周辺)に残る社殿の風景|出雲国風土記『楯縫郡 郷里驛家』一覧の扉写真

楯縫郡域(出雲市平田町周辺)に残る社殿の風景(現地イメージ)

目次を開く
  1. 内容紹介
  2. 楯縫郡の概要
  3. 楯縫郡の郷(4)|由来と比定地メモ
  4. 現地写真ギャラリー
  5. 比定地・補足メモ
  6. アクセス(代表地点)
  7. お問い合わせ
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  9. タグ

内容紹介

楯縫郡(たてぬひのこほり)は、出雲国風土記の郡別記述のひとつです。ここでは、郷(さと)4つの名称と由来を中心に、現代の比定地メモを添えて一覧化しました。
現地散策では「地名の痕跡(町名・字名)」や「風土記に関係する神社」を手がかりにすると歩きやすくなります。

楯縫郡の概要

  • 対象:楯縫郡(たてぬひのこほり)
  • 内訳:郷 4/里 12/餘戸 1/神戸 1(※本記事該当箇所に驛家の記載なし)
  • 現在の比定(目安):出雲市東部〜平田町周辺(旧平田市域を含む一帯)

楯縫郡の郷(4)|由来と比定地メモ

佐香郷(さかのさと)

【現代語要約】風土記では「今も前に依りて用ゐる」と記され、古くからの呼称がそのまま残った郷名とされます。
現在の出雲市東部(小境町・坂浦町周辺)に比定される説があります。

出雲国風土記の記載を読む(原文)

佐香郷(さかのさと)。郡家の正東(まひがし)四里一百六十歩なり。佐香(さか)の河内(かふち)に百八十神等(ももやそかみたち)集(つど)ひ坐(ま)して、御厨(みくりや)立て給ひて、酒を釀(かも)させ給ひき。卽ち百八十日(ももやそか)喜讌(さかみづき)して解散(あら)け坐(ま)しき。故(かれ)、佐香と云ふ。

楯縫郷(たてぬひのさと)

【現代語要約】「楯(たて)を縫う」語感が示すように、古代の職能(部)や製作に関わる地名連想を持つ郷名です(解釈は諸説)。
現在の出雲市多久・岡田・布崎・小伊津・塩津各町一帯に比定される説があります。

出雲国風土記の記載を読む(原文)

楯縫郷(たてぬひのさと)。卽ち郡家(ぐうけ)に屬けり。 名を說くこと郡の如し。 卽ち北の海濱(うみべ)の紫菜磯(のりしのいそ)に窟(いはや)あり。裏(うら)は方(たてよこ)一丈半、戸(と)の高さ廣さ各七尺あり。裏(うら)の南の壁に穴あり。口の周(めぐ)り六尺、徑(わた)り二尺。人入ることを得ず。遠き近きを知らず。

玖潭郷(くたみのさと)

【現代語要約】「久多美」と同音が現在にも残り、地名の連続性が感じられる郷名です。
現在の出雲市久多美・東福町・釜浦各町(久多見町周辺)に比定される説があります。

出雲国風土記の記載を読む(原文)

玖潭郷(くたみのさと)。郡家の正西(まにし)五里二百歩なり。所造天下大神命(あめのしたつくらししおほかみのみこと)、天御(あめのみ)飯田(いひだ)の御倉(みくら)造り給はむ處を覔(ま)ぎ巡行(めぐ)給ひき。爾(そ)の時、「波夜佐雨久多美乃(はやさめくたみの)山」と詔(の)り給ひき。故(かれ)、忽美(くたみ)と云ふ。 神龜三年に、字を玖潭と改む。

沼田郷(ぬたのさと)

【現代語要約】湿地・沼沢地を連想させる地名で、地形記憶が反映された名と考えられます(解釈は諸説)。
現在の出雲市平田・西代・万田・本庄の各町に比定される説があります。

出雲国風土記の記載を読む(原文)

沼田郷(ぬたのさと)。郡家の正西八里六十歩なり。宇乃治比古命(うのぢひこのみこと)、「爾多(にた)の水を以て、御乾(みかれ)飯(ひ)爾(に)多(た)に食し坐(ま)さむ」と詔(の)りたまひて、爾多(にた)と負(お)ふせ給ひき。然れば則ち爾多郷(にたのさと)と謂(い)ふべきを、今の人猶努多(ぬた)と云ふのみ。 神龜三年に、字を沼田と改む。

出雲国風土記の記載(原文全体)

▼ 原文全文(クリックで開く)

楯縫と號(なづ)くる所以(ゆゑ)は、神魂命(かみむすびのみこと)詔(の)りたまひしく、「吾(あ)が十足天日栖宮(とだるあめのひすのみや)の縱橫(たてよこ)の御量(みはかり)、千(ち)尋(ひろ)栲(たく)紲(はな)持(も)ちて、百(もも)結(むす)びに結び、八十(やそ)結びに結び下げて、此の天御量(あめのみはかり)持(も)ちて、所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)の宮造り奉(まつ)れ」と詔(の)りたまひて、御子天御鳥命(あめのみとりのみこと)を楯部(たてぬひべ)と爲(し)て、天降(あまくだ)し給ひき。爾(そ)の時退(まか)り下り來坐(ま)して、大神の宮の御裝(みよそ)ひの楯造り始め給ひし所是なり。仍(よ)りて今に至るまで、楯桙(たてほこ)造りて、皇神等(すめがみたち)に奉る。故(かれ)、楯縫と云ふ。

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