出雲国風土記 出雲郡 『曾伎乃夜社(曽枳能夜神社・韓国伊太氐奉神社)』
御 由 緒 |
御由緒
「曾枳能夜神社」 御祭神 「伎比佐加美高日子命」 当社は「出雲国風土記」(西暦七三三年)に「ソキノヤノヤシロ」の名で官社としてあげられ、「神名火山(中略)曾枳能夜社に坐す伎比佐加美高日子命社、即ちこの山の嶺に在り故れ神名火山と云ふ」と記されてあります。御祭神は、この地方(キヒサの里)一帯を守ります首長神であり、出雲大神の祭主でありました。また、当神社は、その二〇〇年後に 作られた「延喜式神名帳」には「曾枳能夜神社」としてあげられている「式内社」でもあります。「古事記」垂仁天皇の条に「出雲国造の祖(第十四代)伎比佐都美」とあるのは当社の御祭神であり、同条「石砢の曾の宮」とは当社であると考えられます。明治五年二月 郷社に列せられています。 合殿「熊野神社」 御祭神 「伊弉冊命・速玉男命・豫母都事解男命」 当社は氏神様の会殿に坐す神社で、約四百年前に広島甲田城主宍戸隆家が熊野より勧請した社(天正十五年建立)であると「雲陽誌」に書かれています。修験者(山伏)による 「延命長寿、極楽往生」を祈願する道場でありました。明治四十四年四月九日に元神氷字宮谷にありました奥の宮より合祀され、氏神様の御本殿に祀られてあります。 「韓国伊太氏奉神社」 御祭神 「素戔嗚命・五十猛命」 当社は延喜式内社で、出雲国内六社の中の一社であり、出雲国風土記には「審伎乃夜社 と記載されています。この二神は大陸から木種を持ち帰り全国に植えられた神と伝えられ、植林・殖産興業の神であり、「からのそほりの命」との別名などからは、古代出雲と大陸との間の深い交流を知ることができます。また、祇園神社(素戔鳴命を御祭神 とする)がこの地に勧請された折(年代不明)、当社の御祭神と同じであったことから、 祇園神社とも呼ばれるようになりました。元神氷字宮谷に在りましたのを、明治四十四年四月九日本社境内に遷座されました。 そして、同じ境内にあった今宮神社の御祭神は当社の御祭神と同一であるとされて当社に合祀された上で、現在の場所に移転されています。 「若宮社」 御祭神 「土祖神」 この社は現在御本殿のうしろ右側の小社であります。 古くよりこの所にあったらしく「 氷室邑神社萬記」には「曾枳大明神の社地末社、若宮大明神、二尺四面の社」とあります。 土は土壌の意味で、作物の生育を掌握する土壌の母神の意味であると思われます。 「支比佐社」 御祭神 「伎比佐加美長依彦命」 この社は現在御本殿のうしろ左側の小社であります。「出雲風土記」にある支比佐社と思われます。「氷室邑神社萬記」によると、元の鎮座地は神名火山の山頂付近にあり、大体現在の社殿と同じ位の社であったと考えられます。この御祭神は、曾枳能夜神社の御祭神と同一族の神様と考えられ、現在の場所にいつ移されたかは不明であります。 岩神(神魂伊能知奴志命) 御祭神 「神魂伊能知奴志命」 この社は現在拝殿を背に右前方、一般に出雲大社の遥拝の場所といわれている神さびた磐境であります。元は上ノ宮の境内にあったといわれています。この御祭神は曾枳能夜神社の御祭神の父神であり、私たちの生命を巌の如く長かれと守り給う神であります。この神は出雲大社の境外摂社「神魂伊能知奴志神社」の御祭神で、出雲大社では古来大切な神として祭典が行われています。出雲大社と同じ関係の神がこの里でも祀られてあり、しかも当社ではこの神が出雲大社遥拝の場所と伝えられていることは、当社と出雲大社との浅からぬ関係を示すものの一つと考えられます。 「釜 神社」(かまがんさん) 御祭神 「猿田彦大神・磐長姫神・塩土老翁命」 この社は、現在岩神(神魂伊能知奴志命)の右側奥の小社であります。成立年は不詳ですが、古老の伝によると祭典時には青松葉を燻らし、大正末年までは川の上に架設した座にて七座の神事を行っていたといいます。元神氷字宮谷に鎮座していましたが、県が実施する防災工事の為平成二十年十一月当社境内に遷座されました。 |
御 祭 神 |
伎比佐加美高日子命
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配 祀
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伊弉冊命・速玉男命・豫母都事解男命
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