投稿

ラベル(素盞鳴尊)が付いた投稿を表示しています

出雲国風土記 大原郡 『宇乃遲社(宇能遅神社)』  

イメージ
出雲国風土記 大原郡 『宇乃遲社(宇能遅神社)』 雲南市加茂町に鎮座する宇能遲神社は、出雲国風土記に宇乃遅社と記載された古社で、宇乃遅彦命、須我弥神、素盞鳴尊、稲田姫命、大国主命を御祭神としてお祀りする神社です。  出雲国風土記には宇乃遅社が2社記載されており、うち1社は雲南市加茂町立原に鎮座する須美禰神社とする説と宇能遲神社に合祀された説があります。 拝 殿 本 殿 御祭神 主祭神    宇乃遅彦命 須我弥神 素盞鳴尊 稲田姫命 大国主命 御由緒 御由緒 大原郡加茂町大字宇治字亀山鎮座 宇能遲神社 一、御祭神 宇乃遲彦命 須我禰神 素盞鳴尊 稲田姫命 大國主神 一、由緒 雲陽誌曰出雲風土記に宇能遲社同社あり 延喜式に宇能遲神社同社に坐す須美禰神社と記せり 是則大己貴命 須美禰神 須佐能袁命を合祭して 今俗に三社大明神と言う 延徳年中より延寶まで造立 再建の棟札あるも文意野俗にして鎮座勧請等不分明 即ち古老語て曰 往古は三社にて流鏑馬百手の的鷹野などの神事ありけるが 中古より二社減して本社計也 祭事も多くは止みしか、掛松とて老樹あり。 古老傳に曰 風土記和名鈔に屋裏郷は天下造らし 大神矢を令立給ふ故に矢内と言ふ 神亀三年字を屋裏と改む 往昔は屋裏郷十二ヶ村の総産土神にして弓掛松に弓を掛け 矢聲の神事と唱ひ盛典ありけるが 中古改易して祭儀も今は其の禮而己残れり 明治四年辛未十二月村社に列格 同三十九年四月勅令第九十六號に依り 大正三年十月九日 本縣告示第三百十六號を以て 神饌幣帛料を供進なることを得べき神社と指定せらる。 例 祭 十月十日 祈年祭 二月二十四日 新嘗祭 十二月三日 社掌 宮川 恭逸 昭和十二年四月十七日謹記   氏子総代 多々納一郎      栂 善太郎      錦織清三郎      西 喜久雄      多々納忠一 稲荷社   狛狐 境内社 天満宮と大山神社...どっちなのかわかりません...! 境内社の下に置かれている仏像(⁉) 社日碑 石 像 不明...! 狛 犬 随神門 御神木 手 水 狛犬前にある手水...

出雲国風土記 大原郡 『赤秦社(赤秦神社)』

イメージ
出雲国風土記 大原郡 『赤秦社(赤秦神社)』 雲南市加茂町に鎮座する赤秦神社は、出雲国風土記に赤秦社と記載された古社で、猿田彦命を御祭神としてお祀りする神社です。 御神体は石ですが、なんとどんどん大きくなっている言われて、境内には先々代の御神体で『隠居さん』と言われる石があり、磐座・巨石好きの方にはおススメの神社です。 拝 殿 本 殿 本殿の前にある狛犬ならぬ狛猿...! 御祭神 主 祭 神    猿田彦命 御由緒 加茂町大字大竹六七六番地鎮座 (旧地名、屋〇村大竹) 出雲風土記所載 大原郡筆頭の国幣社 赤秦神社々記 御祭神 猿田彦命   雲陽誌(一七一七)に、『赤肌明神、風土記に載る赤秦社是なリ 永禄十年(一五六七)佐々木隆慶造立棟札あり 本社の側に左近右近と称える古樹あり 門客神といひて老木あり 祭禮九月九日是日神膳および清酒をたてまつる』とあるが 神職(社家)数次の交替により 宝暦八年(一七五八)以降の棟札があるのみで古記録等殆んどなく 鎮座勧請の年代詳かでない 境内末社 田守荒神社(保食神 素盞鳴尊 金比羅神) 例大祭  十月三十日 社宝   北島家領獅子頭 猿田彦面 鼓 外 伝 承 ご祭神猿田彦命は迹迹芸命が天降り給うとき、分かれ道にたって高千穂へ道案内された神で、 「日本書記」の一書には鼻が長く、目はほおづきのように輝いていたと。一般には天狗と結びつき道の守護神として、又道祖神とともに敬われ伊勢地方の開拓の神として、三重県鈴鹿山脈の入道ケ岳の裾の椿ケ丘にある椿大神社に祀られて いるが、猿田彦命を祀る神社は全国的に大変多く、大原郡内にも十四社に祀られ開拓の神、導きの神、交通安全の神として崇敬されている。 出雲風土記考、古老の伝えに、御神体は石体で年を経る毎に段々大きくなり、 ご本殿の玉殿に納まらなくなったご神体(高さ八○センチ 横巾五二センチ)は『若隠居さん』と呼んで玉殿の横に安置してある。 更に若隠居さん以前のご神体は本殿内に納まらず、境内社号標脇に置かれ、注連縄を張り『隠居さん』と呼んでいる。   上の庭に本殿、下の庭に拝殿が建っている。明治初期迄は本殿と拝殿(...