出雲国造の祖神、天穂日命を祀る~出雲国風土記 意宇郡 『野城社(能義神社)』・『野城社(同社坐大穴持神社)』・『野代社(同社坐大穴持御子神社)』

2019年7月2日火曜日

安来市 意宇郡 天穂日命 能義神社 能義町 野城社 野代社

t f B! P L

出雲国風土記 意宇郡 『野城社(能義神社)』


島根県安来市能義町に鎮座する能義神社は、出雲国風土記に野城社と記載された古社で、天穂日命を主祭神に、配祀神に大己貴命・事代主命をお祀りする神社です。

拝 殿

能義神社 拝殿
本 殿

能義神社 本殿右
能義神社 本殿裏
能義神社 本殿左
御祭神
主 祭 神 天穂日命
配 祀 神  大己貴命・事代主命
合 祀 神  誉田別命・経津主命・国常立命


御由緒

能義神社 御由緒略記
当神社のご祭神は天照大神の第二の御子天穂日命である。命は国土奉還のため天照大神の使者として高天原から大國主大神のもとにおいでになり
国土奉献に、吏には国土の開拓に偉大なご功績を挙げられ、後に大国主大神の祭主なられ、神代の神傑と称えられた神で出雲国造千家・北島両家
の御祖神であって、代々ご社参の古記や古文書が残っている。毎年十月十九日の例大祭には今もなを必ず出雲大社の千家宮司が親しく参拝される。
また当社の創立は古く、奈良時代(七三三年)に記された出雲風土記には野城社とあり、平安時代(九二七年)の延喜式の神名帳には野城神社と記されている。
古社として古くより出雲の国人達は四大大神つまり杵築大神・熊野大神・佐太大神と並んで能義大神とその御神名を称え奉り尊崇して来ました。
また朝廷の御尊崇も厚く「六国史」には数度にわたって御神階の贈進があったことが明らかである。従って、武門・武将・国主等の崇敬も深く、多くの社領寄進があり、
祭典をより厳かにし、造営などその維持に努めた、社殿の構造も古雅広壮を極めていたが、永録六年(一五六三年)室町時代末期に不幸にして 天災で焼失した。
慶長十八年(一六一三年)江戸時代初期に至り堀尾氏によって再建され以来十一回の御造営を経て今日に及ぶ大社造りの古社である。 

能義神社 御由緒
能義神社
御祭神
天穂日命      (合祀) 誉田別命
(配祀)大己貴命  (合祀) 経津主命
(配祀)事代主命    (合祀) 国常立命

この神社の創立は古代にさかのぼる。出雲国風土記(七三三年・奈良時代)には意宇郡野城社と記され、延喜式(九二七年・平安時代)には野城神社と記されていることからも推測できる。そして、中世からは能義宮とたたえられ、安来市や能義郡はもとより、近郷に住む多くの人々からの信仰が厚く、出雲の国の人々は今でも杵築の大神をはじめ、熊野の大神・佐太の大神・能義の大神を出雲の四大大神と尊称している。
 御祭神である天穂日命は天照大神の第二子で、神性にたけ、神代の神傑とたたえられた神である。
命は天照大神の命令により、国譲りの使者としてこの地においでになった。しかし既に、大国主命がこの地方で農耕を教えたり、医薬を授けるなど、人々の生活を安定させ産業福祉や国土開発に尽力されていた。その姿にすっかり魅せられた天穂日命は、大国主命を助けて国土の奉献と開拓に偉大な功績を上げられた。そして、大国主命がお隠れになった後も、自ら祭主としてとどまられ、いよいよ無窮の国礎を固められたのである。従って、朝廷のご尊崇も厚く、文徳実録(八七九年・平安時代)や三代実録(九〇一年・平安時代)によれば、幾度も御神階の贈進を受けている。また、戦国武将等の崇敬も深く、多くの社領寄進の記録も残っている。
 しかし、不幸なことに天災に遭い、右崖上の旧社地にあった社殿が焼失してしまった。現在の社殿は慶長十八年(一六一二年)堀尾氏によってこの位置に再建され、以来十五回の造営を経て今日に至っている。
 また、天穂日命は出雲国造千家・北島両家のご祖神であって、代々ご社参の古記があり、数々のご寄進の品や古文書が残っている。毎年十月十九日秋の大祭には、今もなお必ず出雲大社の千家宮司が親しく参拝される。

例大祭   十月十九日
御田植祭  五月十五日
水無月祓へ 七月三十一日
夏 祭    八月一日
この他年中の恒例祭四回
旧社格 県社(明治六年十月二十三日列格)

※ 加藤義成氏の校注出雲國風土記によると、『野城社(同社坐大穴持神社)』・『野代社(同社坐大穴持御子神社)』の2社も野義神社と同社とされ。また、上記の野代社の「代」は「城」の誤記らしいとなっている。

扁 額 

能義神社 扁額
狛 犬

能義神社 狛犬
野美社

能義神社 能美社
能美社 御由緒野美社 
 御祭神・・・・・・野美宿称命 
命は天穂日命の子孫であり、出雲の国では大変な力もちであった。そこで、第十一代垂仁天皇は、 大和国の当麻に住む蹴速という当時日本一強い力士と天覧試合をするよう命じられた。その結果、 野美宿称命は蹴速を投げとばして、堂々たる勝利を収められた。
 このことによって命は相撲の神様として崇められ、爾来相撲界の元祖として力士の崇敬が厚い。 
 垂仁三十二年(西暦六六四年)七月、皇后の日葉酢媛命がおかくれになった時、 それまで行われていた殉死の制度をやめて、埴輪を造って献上された。その功績により陶の地を賜り、 土部職を任じられて性を土部連と改められた。 

 【宿称ゆかりの地輩出の力士】 
第十二代横綱「陣幕」・・・・・・・松江市東出雲町下意東出身 
大関在位二七場所の関取「雷電」・・松江藩松平家お抱え力士で藩の相撲頭取
隠岐の海関・・・・・・・・・・・・隠岐の国出身、現役で活躍

境内社:塩津神社・若宮神社

能義神社 塩津神社・若宮神社
境内社:鷺神社・愛宕神社

    随神門

能義神社 随神門
荒 神(?)

能義神社 荒神
能義神社 荒神
能義神社 荒神
石 碑(?)

能義神社 石碑
能義神社 石碑
手 水

能義神社 手水
参道階段

能義神社 参道階段
社日碑

能義神社 社日碑
社日碑のようにも見えるが...よくわかりません。

外 観

能義神社 外観
石灯篭

能義神社 石灯篭
出雲四大神看板

能義神社 出雲四大神看板
出雲四大神・・・出雲国風土記に登場する所造天下大神=大国主大神(出雲大社)・熊野大神=熊野大神櫛御気野命(熊野大社)・佐太大神=猿田毘古大神(佐太神社)に野城大神=天穂日命を加えた四柱の大神のこと。
なお、熊野大神櫛御気野命は素戔嗚尊の別名。

地 図



問い合わせ
所 在 地  島根県安来市能義町366
TEL  --
ホームページ  --
Email  --
駐 車 場  鳥居の横に広めの駐車スペースがあります。

QooQ