出雲国風土記 大原郡 『須我社(須我神社)』

2022年3月5日土曜日

雲南市 奇稲田比売命 出雲国風土記 出雲神話 須我神社 須佐之男命 大原郡 大東町 日本初之宮 夫婦岩 和歌発祥の地

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出雲国風土記 大原郡 『須我社(須我神社)』

雲南市大東町に鎮座する須我神社は、出雲国風土記に須我社と記載された古社で、須佐之男命・奇稲田比売命・清之湯山主三名狭漏彦八島野命を御祭神としてお祀りする神社です。須佐之男命が始めて宮殿を建て、和歌を詠んだとして『日本初之宮』・『和歌発祥の地』とも言われています。出雲国神仏霊場の第十六番札所です。

拝 殿

須我神社 拝殿

須我神社 拝殿扁額

須我神社 拝殿内部

須我神社 拝殿 全景

本 殿

須我神社 本殿

本殿彫刻 「日章月章」図

◆本殿前破風 浪と注連の上に日章

◆本殿後破風 浪の上に浮かぶ三日月と日章

須我神社 本殿彫刻 日章月章図

御祭神
主 祭 神  須佐之男命 奇稲田比売命 清之湯山主三名狭漏彦八島野命
配 祀 神  武御名方命

御由緒

須我神社 新しい御由緒

須我神社由緒

御祭神 須佐之男命 奇稲田比売命 清之湯山主三名狭漏彦八島野命

合祀 武御名方命

 当社は古事記(和銅五年・西暦七一二年)に所載の神社です。肥の河上で八俣遠呂智をご退治なさった須佐之男命は遠呂智の尾から得た霊剣天之叢雲剣を捧げ持って宮を遷るべき良いところを求めて此処に至り「吾が御心清々し」と仰せになりました。この地を須賀といい此処に宮をお造りになり「須賀宮」として奇稲田比売命と共にお鎮まりになりました。また剣はいかにも畏れ多いとお思いになって、天之叢雲剣と銘づけて天照大御神様に献上なさいました。その時美しい雲が立ち騰がるのをご覧になって「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣つくるその八重垣を」と御歌を御詠みになりました。 このことから当社は古事記・日本書紀に顕されている「日本初之宮」であり、「和歌発祥」の宮であります。やがて、この宮で御子神がご誕生になり御名を清之湯山主三名狭漏 彦八島野命と申し上げます。出雲国風土記(天平五年・西暦七三二?【七三三】年)では須我社・須我山 須我小川などの表記があり、賀と我の両様の文字を当てていたものと思われます また、当社の後方二キロ米の所に八雲山がありその山懐に磐座があります。その巨岩は夫婦岩と称し神社の奥宮として祭祀しております。良縁結び子授けの霊験・御利益 があるとして「二宮詣り」の信仰があります。当社の旧社格は県社であり神佛霊場では 第十六番の神社であります。

祭事

元旦祭 節分祭 祈年祭 百手的神事(二月十七日)
夏越大祓祭・茅の輪神事(六月三十日) 奥宮祭茣蓙替祭(八月二十二日)
例大祭(九月二十七・八日) 鹿食神事 例祭 神幸祭
新嘗祭(十一月二十三日) 大祓祭(十二月三十一日)

御神徳

 悪切 良縁結び 子授 家内安全
 病気平癒 交通安全 五穀豊穣

須我神社 旧御由緒

御由緒 (旧)

須我神社由緒

御祭神 須佐之男命 奇稲田比売命 清之湯山主三名狭漏彦八島野命

合祀 武御名方命

古事記(和銅五年、西暦七一二年)所載=肥河上で八俣遠呂智を退治せられた速須佐之男命は宮造るべき所を求めて此処出雲国須賀の地においでになり「吾此地に来まして我が心須賀須賀し」と仰せになって此地に宮殿を御造りになりましたが其地より美しい雲が立ち騰がるのをごらんになり八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣つくるその八重垣をの御歌を御詠みになりました。即ち此宮が古事記・日本書紀等に顕はれる日本初之宮であり此処が三十一文字和歌の発祥地でこの御歌の出雲が出雲の国名の起元であります。而うして須佐之男命と奇稲田比売命・御子神清之湯山主三名狭漏彦八島野命の三神が当社主祭神であります。出雲風土記(天平五年・西暦七三三年)では此処を須我神社・須我山・須我小川等の名に表現され風土記抄(天和三年・西暦一六八三年)には須我村とあり須我は広く此の地方の総称であったことがうかがえます。須我小川の流域に曽つて十二の村があってこの須我神社はこの地方の総氏神として信仰されていたものでありまた須我山(御堂山八雲山)の山ふところには巨岩の夫婦岩(磐座)並びに小祠があり須我神社奥宮として祭祀信仰されています。合殿の武御名方命は天文年中統治(淀之荘)地頭として神中沢豊前守が信州より来任せられたときその氏神武御名方命の神霊を勧請してこの須我神社に合祀し諏訪大明神として崇敬せられました以来村名も諏訪村と改められていましたが明治二十二年元の地名の須賀に復し現在に至っています。 明治二十五年十一月八日元の島根県社に列せられました。なお須我山の主峰八雲山は眼下に中海や宍道湖を見おろし島根半島から弓ヶ浜東方遙かには出雲富士(伯耆大山)を望む景勝地で毎年秋頂上では盛大な歌祭りがあり四季にわたって各地からの来遊が多い。

須我神社社務所

海潮神社  

拝殿

須我神社境内社 海潮神社 拝殿

本殿

須我神社境内社 海潮神社 本殿

扁額

須我神社境内社 海潮神社 扁額

合祀神社の写真

須我神社境内社 海潮神社 合祀神社の写真

若宮神社

稲荷神社・木山神社・火守神社・秋田神社・琴平神社を合祀

須我神社境内社 若宮神社

荒神社

須我神社 荒神社

虚空社

虚空蔵菩薩を祀る。

須我神社 虚空社

境外摂社

境外末社へ登る参道の階段です。登ろうと思いましたが...よく見るとここから250m登らないといけないようで、1人では怖いので今度は女房と一緒に来ようと思います。(笑)

須我神社 境外摂社 参道鳥居

【御祖神社:足名槌之命 手名槌之命(奇稲田姫の祖神)】 【社日神社:天照大神】 【義綱神社:菅義綱命】

須我神社 境外摂社 案内板

霊石 踏まぬ石

『不思議な霊力を持つ石です』とは書いてあるが...❓❓❓

須我神社 霊石 踏まぬ石

舞 殿

須我神社 舞殿

御仮殿

須我神社 御仮殿

社務所

須我神社 社務所

手 水

拝殿前にある手水

須我神社 拝殿前にある手水

神社の入口にある手水舎

須我神社 手水舎

随神門

須我神社 随神門

鳥 居

須我神社 鳥居

何かの石碑

井戸...か手水...❔と何かの石碑

須我神社 井戸・手水・何かの石碑

社号標

須我神社 社号標

日本初乃宮の碑

八岐遠呂智を退治した須佐之男命は稲田姫と住むところを探してこの地に来た。そのとき「わが御心清々し」と言って須賀と名付けて日本で初めての宮殿を造られた。そのため須我神社は『日本初之宮』と呼ばれてます

須我神社 日本初乃宮の碑

和歌発祥の地の碑

須佐之男命が宮殿を建てた後に美しい雲がモクモクと立ち昇るのを見て『八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに八重垣作る その八重垣を』 という歌を詠んだ。『和歌発祥の地』と言われています。

須我神社 和歌発祥の地の碑

大鳥居

県道24号線にある大鳥居

須我神社 県道24号線にある大鳥居

大鳥居の扁額

須我神社 大鳥居の扁額

ご縁結びの夫婦松

須我神社 ご縁結びの夫婦松

須我神社 ご縁結びの夫婦松 説明

ご縁結びの夫婦松

この池は出雲風土記に言う川中三湯の一つにして温泉の涌く池でありました。この温泉で須佐之男命はさすらいの長旅の疲れを癒され奇稲田姫命はその美肌を磨かれたと伝えられそれ以来薬効美容の温泉とされていました。いつの世にかお湯が枯れ蓮が生い茂ってきましたので蓮池と呼ばれて今に至っております。 ご覧のように水中に松が自生しているのは珍しくしかも一つの株から男松と女松が生じているのは他に例がなく縁結びのご利益に預かれる当社でありますことからご縁結びの夫婦松と申し上げております。どうか神社へご参拝になる前にこの社へご参拝ありますようにお薦めします。 

宮司

御朱印

出雲国神仏霊場 御朱印

須我神社 出雲国神仏霊場 御朱印

須我神社 御朱印

須我神社 御朱印

須我神社 奥宮 夫婦岩

須我神社から約2km車で5分くらい北東に行った所にあります。八雲山登山口の先に少し広くなった場所があり、車はそこに止めていけます。奥宮までは約400mあります

須我神社 八雲山登山口 看板

須我神社 八雲山登山口

須我神社 八雲山 駐車場所

少し登っていくと、『不老長寿 神泉坂根水 この水で身を清め 霊気を頂いて御参拝下さい。』と書かれたみそぎ場があります。

須我神社 奥宮 神泉坂根水

須我神社 奥宮 神泉坂根水

八雲山の湧き水で身も心も清めて、さらに先に進むと...

須我神社 奥宮 鳥居

鳥居が見えてきます...鳥居を潜り...

須我神社 奥宮 階段

階段を登っていくと... 仲良く並んだ巨石が見えてきます。

須我神社 奥宮 夫婦岩

真ん中の大きな石が須佐之男命。
左の石が奇稲田比売命。
左の石が清之湯山主三名狭漏彦八島野命

須我神社 奥宮 御祭神

地 図

問い合わせ

所在地  島根県雲南市大東町須賀260
TEL  0854-43-2906
HP 須我神社
Email  --
駐車場  神社のそばに『神楽の宿』という公民館のようなところがあります。
 神楽が上演されるので『神楽の宿と呼ばれいるようですが、
 宿泊は出来ないみたいです。車はそこに停められ、トイレ🚻もあります。
御朱印  社務所で頂けます

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