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出雲国風土記 大原郡 『須我社(須我神社)』

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出雲国風土記 大原郡 『須我社(須我神社)』 雲南市大東町に鎮座する須我神社は、出雲国風土記に須我社と記載された古社で、須佐之男命・奇稲田比売命・清之湯山主三名狭漏彦八島野命を御祭神としてお祀りする神社です。須佐之男命が始めて宮殿を建て、和歌を詠んだとして『日本初之宮』・『和歌発祥の地』とも言われています。 出雲国神仏霊場 の第十六番札所です。 拝 殿 本 殿 本殿彫刻 「日章月章」図 ◆本殿前破風 浪と注連の上に日章 ◆本殿後破風 浪の上に浮かぶ三日月と日章 御祭神 主 祭 神    須佐之男命 奇稲田比売命 清之湯山主三名狭漏彦八島野命 配 祀 神    武御名方命 御由緒 須我神社由緒 御祭神 須佐之男命 奇稲田比売命 清之湯山主三名狭漏彦八島野命 合祀 武御名方命  当社は古事記(和銅五年・西暦七一二年)に所載の神社です。肥の河上で八俣遠呂智をご退治なさった須佐之男命は遠呂智の尾から得た霊剣天之叢雲剣を捧げ持って宮を遷るべき良いところを求めて此処に至り「吾が御心清々し」と仰せになりました。この地を須賀といい此処に宮をお造りになり「須賀宮」として奇稲田比売命と共にお鎮まりになりました。また剣はいかにも畏れ多いとお思いになって、天之叢雲剣と銘づけて天照大御神様に献上なさいました。その時美しい雲が立ち騰がるのをご覧になって「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣つくるその八重垣を」と御歌を御詠みになりました。 このことから当社は古事記・日本書紀に顕されている「日本初之宮」であり、「和歌発祥」の宮であります。やがて、この宮で御子神がご誕生になり御名を清之湯山主三名狭漏 彦八島野命と申し上げます。出雲国風土記(天平五年・西暦七三二?【七三三】年)では須我社・須我山 須我小川などの表記があり、賀と我の両様の文字を当てていたものと思われます また、当社の後方二キロ米の所に八雲山がありその山懐に磐座があります。その巨岩は夫婦岩と称し神社の奥宮として祭祀しております。良縁結び子授けの霊験・御利益 があるとして「二宮詣り」の信仰があります。当社の旧社格は県社であり神佛霊場では 第十六番の神社であります...