出雲国風土記 意宇郡 『加豆比乃社(富田八幡宮境内社勝日神社)』
ご 由 緒 |
富 田 八 幡 宮 とだはちまんぐう (島根県安来市広瀬町広瀬) 総説 当社は島根県安来市広瀬町広瀬勝日山に鎮座し、社有風致保安林共三万坪、参道は苔むした石畳が両脇の杉、欅の大樹に覆われ、神秘的な森厳さが保たれており、パワースポットと呼ばれています。社殿の構成については、精細かつ巧緻であり、近辺のお社にはそれを比較するものはありません。本殿、中殿(幣殿)、拝殿、神饌所、楼門、随神門、末社、手水舎、社務所などを備えています。 祭神 主祭神 応神天皇(誉田別尊) 配祀神 天照大神 神功皇后 仁徳天皇 神紋 三つ巴 祭日 例祭 十月十五日 春祭 四月十五日 新嘗祭 十一月二十三日 有形文化財 島根具指定 昭和五十年八月十二日 本殿 (流れ造) 山陰地方では稀有の神社建築 中殿(切破風) 石畳造り 拝殿(入母屋造) 十二枚通しの板張り 能楽殿の形式 能面二面(社宝) ・面 孫次郎(女性) ・面中将(男性) 由緒概要 欽明天皇三十一年(五六〇)に創立。当初は富田月山に鎮座。保元年間(一一五六~一一五九)に平家の武将悪七兵衛景清(藤原景清)が富田の城郭を築くにあたり、月山頂上の勝日高守神社は城内鎮守とし、それまで山麓の里宮勝日神社(延喜式内社)と共に霊地を求め現在の地に奉遷しました。(奉遷の際の話は「景清の矢中松」と言われ、境内の旧跡の一つとして、今なお保存されています。) その後歴代の国主、藩主は領内の大氏神として崇敬し、神領の寄進、社殿の造営、境内の整備等奉仕しました。明治維新後、明治五年に郷社に列せられ、昭和二年九月九日には県社に昇列しました。(県社昇列は島根県下の八幡宮としては最初でした。) 第二次世界大戦後は当社も一宗教法人として再発足いたしましたが、神威は変わることなく、昭和五十年七月一日には島根県神社庁から特別神社の指定を受け、今日に至っています。 境内神社 勝日神社(延喜式内社) 祭神・大己貴命 祭日・四月十五日 古くは月山頂上の勝日高守神社の里宮として山腹に鎮座。 須賀神社(旧社号祇園社) 祭神・須佐之男命 祭日・七月十九日、二十日、二十一日 古来悪疫除去の神として信仰され、祭典は盛大を極め、神輿渡御、提灯行列は特に有名。島根の三大夏祭りの一つ。 武内神社(出雲武内大神) 祭神・武内宿禰 祭日・八月三十一日、九月一日 出雲国内同名神社の本社といわれ、開運延寿の神様。疫神の火祭り等で多くの参拝者。 蛭子(えびす)神社(旧社号恵比須神社) 祭日・四月六日恵比須市が立つ。 酒解(さかとき)神社 大社(おおやしろ)神社 稲荷神社(開運稲荷・博労稲荷)
『富田八幡宮御由緒書』より
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御 祭 神 |
応神天皇(誉田別尊)
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配 祀
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天照大神 神功皇后 仁徳天皇
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境内社 勝日神社「加豆比乃社」
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『出雲国風土記』で「加豆比乃社」に比定される。
主祭神は大己貴命で、相殿に須佐之男神・稲田姫神を祀る。 |
地図
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問い合せ
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住 所
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島根県安来市広瀬町広瀬86-14
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電 話
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0854-32-2654(富田八幡宮社務所)
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ホームページ
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メールアドレス
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ご朱印
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有無は不明
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駐 車 場
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神社前に広い駐車場があります。
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