【出雲国風土記】生馬神社(生馬社)|生馬郷の地名由来に登場する神を祀る古社|嶋根郡・松江市東生馬町
松江市東生馬町の山際に鎮座する生馬神社(いくまじんじゃ)。一ノ鳥居から石段を上がり、随神門を抜けると、落ち着いた境内に拝殿が建っています。
『出雲国風土記』嶋根郡に記された神祇官社「生馬社」の比定社とされ、祭神の八尋鉾長依日子命は、同じ風土記の「生馬郷」の地名由来にも登場します。現地で撮影した社殿や牛荒神、歳徳神などをたどります。
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生馬神社と『出雲国風土記』
『出雲国風土記』の嶋根郡・神祇官に属する社の一覧に、次の名が見えます。
「生馬社」
この社の現在の比定先とされるのが、東生馬町の生馬神社です。平安時代の『延喜式神名帳』にも嶋根郡の「生馬神社」が載り、当社はその式内社にも比定されています。ただし、古代の社地が現在地と完全に一致するとまで示す記録ではありません。
嶋根郡の神祇官に属さない社の一覧にも、別の「生馬社」が記されます。こちらは西生馬町の同名神社に比定され、東生馬の神社とは区別されています。
風土記の「生馬郷」には、神魂命の御子・八尋鉾長依日子命が、自分の子は「平明らかにして憤まず」と述べたことを地名の由来とする伝承もあります。社名の記録と郷名の伝承は、それぞれ風土記の別の箇所にある話です。
八尋鉾長依日子命と地域の由緒
島根県神社庁が記す主祭神は、八尋鉾長依日子命(やひろほこながよりひこのみこと)。神社庁は、風土記と『延喜式神名帳』に所載の社であり、命が国土経営に尽力したとの由緒を紹介しています。
社頭案内板の記録によると、江戸時代までは「大宮大明神」と称され、生馬郷七か村の総鎮守として信仰されてきました。また、昔は正月15日に青竹の筒を用いた粥で、早稲・中稲・晩稲の作況を占ったと伝わります。現在の実施状況を示すものではありません。
| 神社名 | 生馬神社(いくまじんじゃ) |
|---|---|
| 所在地 | 島根県松江市東生馬町235番地 |
| 主祭神 | 八尋鉾長依日子命 |
| 例祭日 | 10月15日 |
| 電話番号 | 0852-82-0337(島根県神社庁掲載の連絡先) |
| 公式サイト | 島根県神社庁の神社詳細をご確認ください |
| 御朱印 | 授与状況は現地または公式情報をご確認ください |
| 駐車場 | 現地案内をご確認ください |
一ノ鳥居から本殿、境内の小社へ
まず拝殿の奥にある本殿を横から見て、続いて参道の入口へ戻る順に写真を紹介します。境内で確認できた建物と、名称を写真だけでは確定できない小祠を分けて記します。
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牛荒神と歳徳神、石祠
社殿のほかにも、木に藁を巻いた牛荒神や歳徳神の小社が見られます。石造物や小祠の名称は、現地の銘文などで裏付けられないものを断定しません。
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東生馬の立地と参道の見え方
参道の写真には、田畑の広がる道の先に木立が続く様子が写っています。鳥居から石段を上がり、随神門を経て境内へ至る配置は、集落側の道から山際の社地へ向かう地形をよく伝えています。この立地を選んだ具体的な理由は分かりません。
本殿については、松江市内の社寺建築調査で19世紀前期の建物とされ、大社造を意識した形式が指摘されています。風土記に名を残す社を訪ねながら、現在の社殿の姿も見ることができます。
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まとめ
東生馬の生馬神社は、『出雲国風土記』嶋根郡の神祇官社「生馬社」に比定される古社です。八尋鉾長依日子命を祀る社で、郷名の由来にも同じ神の名が残ります。石段と随神門、本殿、牛荒神や歳徳神を見て歩くと、地域で大切にされてきた社の今の姿が伝わります。
※記事内容には正確を期していますが、掲載情報に誤りや変更点がありましたら、お手数ですが 問い合わせフォーム からお知らせください。内容を確認のうえ、必要に応じて訂正いたします。
所在地と地図
所在地:島根県松江市東生馬町235番地。下の航空写真で参道と周囲の位置を確認できます。
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