【出雲国風土記】海潮神社(得鹽社)|宇能治比古命を祀る延喜式内社|大原郡・雲南市大東町
「出雲国風土記」に得鹽社として名を残す、里山の延喜式内社。
島根県雲南市大東町南村に鎮座する「海潮神社」は、宇能治比古命を主祭神とする古社で、
海潮を押し上げた神話の舞台と伝わる地に、三笠城ゆかりの石や千年祭碑が今も静かに佇みます。
出雲国風土記の世界に、少しだけタイムスリップしてみませんか?
御祭神
| 主 祭 神 | 宇能治比古命(うのちひこのみこと) |
|---|---|
| 相 殿 神 | 誉田別命(八幡宮) |
| 境内社 | 稲荷神社(倉稲魂命)/恵美須社(事代主命)/八幡宮(誉田別尊)/高平社(御祭神不詳)/社日社・総荒神社/鷺神社(稲背脛命) ほか |
御由緒(歴史)
当社の創立年代は遼遠にして詳らかではありませんが、延喜式神名帳に記載された延喜式内社・国幣小社であり、少なくとも千数百年前には信仰を集めていたと考えられます。
明治三十三年十一月には氏子中により千年祭が斎行され、その記念として碑文が刻まれた石碑が建立されました。
出雲国風土記(約一二七〇年前)には、宇能治比古命が北方の海潮を押し上げて御祖須我弥命を漂わされたという伝承が記され、その海潮がこの地に至ったことから地名を「得塩(うしお)」といい、命を祀って得鹽社としたと伝えられています。
神亀三年の地名改正により地名は「海潮」と改められ、社名も現在の「海潮神社」となりました。
中世には「大森大明神」とも称され、天正九年十一月造営の棟札をはじめ、以後十七回にわたる社殿造営の記録が残ります。
尼子氏の重臣・牛尾弾正忠が三笠城に拠った際には、当社を祈願社として社地・社領を寄進し、祈願神事に用いた獅子頭が今も社蔵されていると伝えられています。
近世においては、明治維新までは年々御札下げによる社領米の寄進が続き、明治五年一月には新制度により郷社に列格。郡政下では例大祭に郡長が参向するなど崇敬を集め、明治・大正・昭和初期までは親しみを込めて「大森さん」と呼ばれ、遠近を問わず信仰されてきました。
創立以来、社地・社殿の移転もなく、今日に至るまで里を見守り続ける由緒ある古社です。
- 例大祭:十月二十日
- 祈年祭:三月二十二日
- 新嘗祭:十一月二十七日
現地写真ギャラリー
アクセス・駐車場
島根県雲南市大東町南村424。神社入口付近に駐車スペースあり。
お問い合わせ
| 所在地 | 島根県雲南市大東町南村424 |
|---|---|
| TEL | -- |
| 駐車場 | 神社入口付近に駐車できます。 |
| 御朱印 | 有無は不明(事前にご確認ください)。 |
| 公式 | -- |
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