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出雲国風土記 大原郡 『幡屋社(幡屋神社)』

出雲国風土記 大原郡 『幡屋社(幡屋神社)』 御 由 緒 出雲国風土記掲載の社「幡屋社」 幡屋神社(旧「郷社」) 所在地   島根県雲南市大東町幡屋一〇五二番地 主祭神   邇々藝尊 武内宿禰命 配祀神   誉田別命 息長足姫命 玉依比女命 境内神社  若宮神社 (古志朝臣)               牛荒神社 (素戔嗚尊)                八幡山稲荷神社(保食大神)                三神社(塩釜神社・金刀比羅宮・天満宮)       西上稲荷神社(倉稲魂命・大国主命) 境外神社 五人若宮神社(五伴緒神)               切明神社(邇々藝尊・木花咲屋姫命) 例祭日 十月 第二土曜日 御神徳 病気平癒 知恵授け(技術開発)の神 由緒・沿革 天孫降臨神話で、瓊々藝尊は、高天原から豊葦原中津国へ天下りになった際、五柱の 神(五伴緒神)を従えられた。その一柱である太玉命は、神々に捧げる幣帛(お供え物)を 調製する忌部氏を率いたとされる。  当社の古伝によると、古代出雲地方に住まいした忌部氏には二流あり、一方は松江市 玉湯町玉造を中心に曲玉制作を手がけ、もう一方は、ここ幡屋において機織りに携わっ たとある。よって、当社の起源は、忌部氏の末裔が祖神と崇める瓊々藝尊をお祀りした ことにはじまる。また、ここ幡屋の地は古代における最先端技術であった織布の産地で あり、さらに出雲国内における機織りの発祥地でもあった。  昭和三十八年(一九六三年)六月の豪雨により、元宮(旧社地)の境内が崩壊したため、 社殿倒壊の危機が生じたことから、昭和四十一年(一九六六年)現社地へ移転遷座した。 元宮について 元宮は、宮の谷(現社地右側の谷)の奥にある宮山の中腹にある。天正十八年の棟札に は、「古来霊社地」と記載されており、古くから聖地として崇められてきた場所である。 今も、古代祭祀の名残である磐座があり、その左隣には、「神威彌徳」と書かれた郷社 昇格記念傷が残されている。  当社の御祭神は、遷座に当たって、船石を使用したとの言い伝えがある。船石は、元宮 の左側の谷(船子谷)にあり、長さ八メートル、横幅二・四メートルの岩である。  また、船石に付属していたとされる船頭岩、船子岩は磐座右前方に存在している。 大石灯篭(雲南市指定

出雲国風土記 大原郡 『得塩社(海潮神社)』

出雲国風土記 大原郡 『得塩社(海潮神社)』 御 由 緒 延喜式内社 元郷社 海潮神社御由緒  御祭神 宇能治比古命  ( うのちひこのみこと )  当社の創立年代は、遼遠にして知る事は出来ないが、延喜式制に神祇官社に登録 され、国幣小社に列格されている。此の事から思い図れば、延喜の式制以前の創立で あることは間違いなく、千数百年以前と想像される。 よって、明治三十三年十一月氏子中 相図り千年祭を斎行し、碑文を刻み、記念碑を建立して後世に遺した。 出雲国風土記に、宇能治比古命、北の方海潮を押し上げて御祖須我弥命を漂わす。 此の海潮、此の地に至る故に此の地を得塩というとあり、命を祀り得塩社とした。 神亀三年、地名改正の令により、此の地を海潮と改められ、社名も海潮神社に改め られた。 降って、出雲式内社考あるいは雲陽誌には大森大明神と称し、天正九年十一月 造営の棟札があり、 以後17回の社殿造営の記録がある。 古来武将武門の崇敬篤く、中世の頃、此の海潮の地を領した尼子氏の重臣 牛尾弾正忠は、三笠城に拠り当社を祈願社と定め、社地社領の寄進をし、祈願神事に 用いたと伝える獅子頭を今も社蔵している。 明治維新までは、年々御札下げにて社領米の寄進があったが、王政復古を期して 廃止された。 明治五年一月新制度により郷社に列格、郡政下にあっては例大祭に郡長の参向が 続き、明治・大正・昭和の初期までは大森さんと称して親しまれ、遠近を問わず 崇敬されてきた。 創立以来千数百年、社地社殿等の移転もなく今日に至っている由緒ある神社である。 境内社 稲荷神社 恵美須社 八幡宮     高平社 社日社 総荒神社 鷺神社 三大祭  例大祭  十月二十日      祈年祭  三月二十二日      新嘗祭  十一月二十七日 平成十三年十月二十日 正遷座祭斎行記念  宮司 新田有一 識 『神社境内説明板』より 御 祭 神 宇能治比古命 合  殿 誉田別命(八幡宮) 本 殿 本 殿 拝殿と歳徳社 海潮神社 扁額 狛 犬 狛 犬 稲荷社:倉稲魂命 総荒神社 八幡宮: 誉田別尊 恵比須社: 事代主命 高平社:祭神は不詳 社日社:社日五神 鷺神社: 稲背脛命 神社境内説

ちょっと寄り道...宍道神社巡拝スタンプラリー 『金山八幡宮』

ちょっと寄り道...宍道神社巡拝スタンプラリー 『金山八幡宮』 御 由 緒 金山要害山城跡にあったが終戦後麓におろし信仰する。宍道政慶の氏神にして崇敬他に異なりしという宍道氏の城跡に安置する。その後、部落の氏神とする。 『 宍道神社スタンプラリー 説明書』より 御 祭 神 誉田別命(応神天皇) 拝 殿 拝  殿 本 殿 鳥 居 狛 犬 狛 犬 灯 籠 手 水 入 口 入口から少し上ったところにある踏切です。 電車が通過するのは1時間に1本位でしょうが、気を付けて渡ってください。 参 道 参 道 参 道 金 山 要 害 山 金山要害山の案内板 金山要害山は北側(宍道湖側)を正面とする山城で、海拔百四十四mの頂上には、詰成と呼ぶ本丸址が広がっている。この城は出雲守護京極高氏の孫、秀益が城を築いて宍道八郎と号した応仁年間(1467~1469)から天正年間(1573~1592)までの約百三十年の間 この地方で勢力を誇った宍道氏の本拠地であったことは間違いないであろう。詰成(山頂)からは宍道湖、北山が一望でき、眼下には支城といわれる宍道要害山、佐々布要害山が見とおせる。また、のちに宍道氏が移り住んだ鳶ヶ巣城は遙か北西に位置し ている。山麓には城主道氏が常住したと伝える御居出成があるが、他にも二ノ成、茶臼成、出張成、天狗成、長成など、四十八の成が要害山にあるといわれる。 昭和六十三年三月 穴道町教育委員会 地 図 問い合せ 住 所 島根県松江市宍道町白石2279 電 話 0852-66-1825( 氷川神社社務所 ) ホームページ 金山八幡宮  ( 宍道 神社巡拝 ) メールアドレス yokoya1961@yahoo.co.jp ( 氷川神社社務所 ) 駐 車 場 木次線沿いに少し広くなった場所があります。上の写真のところに同乗者を残して参拝しました。