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2021年2月21日日曜日

大原郡 山野河川海岸通道

 大原郡 山野河川海岸通道


大森神社からJR日登駅方面

莵原野(うはらぬ)郡家(ぐうけ)正東(まひがし)なり。郡家()けり

城名樋(きなひ)山。郡家正北(まきた)一里一百歩なり。所造天下大神大穴持命(あめのしたつくらししおほかみおほなもちのみこと)八十(やそ)()たむとして()を造りたまひき(かれ)城名樋と云ふ

高麻(たかさ)山。郡家正北一十里二百歩なり。高一百丈(めぐ)五里あり。北椿等(たぐひ)有り。東南西三方(なら)びに()なり古老の傳へに云へらく、神須佐能袁命(かむすさのをのみこと)御子(みこ)靑幡佐草日古命(あをはたさくさひこのみこと)()き給ひき(かれ)高麻山と云ふ。卽(みね)()すは、御魂(みたま)なり

須我(すが)山。郡家東北一十九里一百八十歩。檜・杉あり

船岡山。郡家の東北一十六里なり。阿波枳閇委奈佐比古命(あはきへわなさひこのみこと)()()ゑましし山是れなり(かれ)船岡と云ふ

御室(みむろ)山。郡家東北一十九里一百八十歩なり神須佐乃乎命(かむすさのをのみこと)御室(みむろ)らしめひて、宿(やど)らせる所なり(かれ)御室と云ふ

凡そ、(もろもろ)の山野に在る所の草木は、苦參(くらら)桔梗(ありのひふき)菩茄(むこぎ)白芷(かさもち)前胡(のぜり)獨活(うど)卑解(ところ)葛根(くずのね)細辛(みらのねぐさ)茵芋(につつじ)白前(のかがみ)決目(えびすぐさ)白歛(やまかがみ)女委(ゑみくさ)薯預(やまついも)麥門冬(やますげ)(すもも)(かへ)椿(かぢ)楊梅(やまもも)(つき)(きはだ)禽獸には則ち晨風(はやぶさ)山鷄(やまどり)(きじ)()鹿・莵・獼猴(さる)飛鼯(むささび)あり。

斐伊川(ひのかは)。郡家正西(まにし)五十七歩なり。西れて、出雲多義(たが)に入る。年魚(あゆ)麻須(ます)あり

()(しほ)川。源意宇(おう)大原(おほはら)との二郡なる()(むら)より出でてに流れ、()(しほ)より西に流る。年魚(あゆ)少しくあり。

須我小川(すがのをがは)。源須我山より出でて西年魚(あゆ)少しくあり。

()()小川。源()()より出で、れて()(しほ)に入る。なし

幡屋(はたや)小川。源郡家東北なる(はた)()より出でてる。魚なし。(みづ)四水(よすじ)ひて、西に流れて出雲大川に入る

屋代(やしろ)小川。源郡家(ぐうけ)正北(まきた)除田野(よきだぬ)より出で、西れて斐伊()大河(のおほかわ)に入る。魚なし。

通道(かよひぢ)意宇(おう)なる木垣坂(きがきのさか)に通ふは、二十三里八十五歩なり

仁多(にた)なる辛谷村(ひのたにむら)に通ふは、二十三里一百八十二歩なり

飯石(いひし)なる斐伊河(ほとり)に通ふは五十七歩なり

出雲郡の堺なる多義(たが)に通ふは、一十一里二百二十なり

(さき)(くだり)の三は、(なら)びに山野(やまぬ)(うち)なり

       郡司 主帳 无位         勝部臣(すぐりべのおみ)

          大領 外正六位上 勳十二等 勝部臣

          少領 外從八位上      (ぬか)田部(だべ)(のおみ)

          主政 无位         日置臣(へきのおみ)

2019年8月8日木曜日

出雲国風土記 大原郡 『得塩社(海潮神社)』

出雲国風土記 大原郡 『得塩社(海潮神社)』

ご 由 緒
延喜式内社
元郷社 海潮神社御由緒 
御祭神 宇能治比古命  ( うのちひこのみこと )

 当社の創立年代は、遼遠にして知る事は出来ないが、延喜式制に神祇官社に登録され、国幣小社に列格されている。此の事から思い図れば、延喜の式制以前の創立であることは間違いなく、千数百年以前と想像される。 よって、明治三十三年十一月氏子中相図り千年祭を斎行し、碑文を刻み、記念碑を建立して後世に遺した。

出雲国風土記に、宇能治比古命、北の方海潮を押し上げて御祖須我弥命を漂わす。此の海潮、此の地に至る故に此の地を得塩というとあり、命を祀り得塩社とした。

神亀三年、地名改正の令により、此の地を海潮と改められ、社名も海潮神社に改められた。
降って、出雲式内社考あるいは雲陽誌には大森大明神と称し、天正九年十一月 造営の棟札があり、以後17回の社殿造営の記録がある。

古来武将武門の崇敬篤く、中世の頃、此の海潮の地を領した尼子氏の重臣牛尾弾正忠は、三笠城に拠り当社を祈願社と定め、社地社領の寄進をし、祈願神事に用いたと伝える獅子頭を今も社蔵している。

明治維新までは、年々御札下げにて社領米の寄進があったが、王政復古を期して廃止された。

明治五年一月新制度により郷社に列格、郡政下にあっては例大祭に郡長の参向が続き、明治・大正・昭和の初期までは大森さんと称して親しまれ、遠近を問わず崇敬されてきた。
創立以来千数百年、社地社殿等の移転もなく今日に至っている由緒ある神社である。

境内社 稲荷神社 恵美須社 八幡宮
    高平社 社日社 総荒神社 鷺神社

三大祭  例大祭  十月二十日
     祈年祭  三月二十二日
     新嘗祭  十一月二十七日

平成十三年十月二十日 正遷座祭斎行記念  宮司 新田有一 識
『神社境内説明板』より


御 祭 神
宇能治比古命
合  殿
誉田別命(八幡宮)

海潮神社-本殿
海潮神社-本殿
本殿
本殿
海潮神社-拝殿と歳徳社
海潮神社-扁額
拝殿と歳徳社
扁額
海潮神社-狛犬
海潮神社-狛犬
狛犬
狛犬
海潮神社-稲荷社
海潮神社-総荒神社
稲荷社(倉稲魂命)
総荒神社
海潮神社-境内摂社
海潮神社-石祠
八幡宮(誉田別尊)
恵比須社(事代主命) 高平社
社日社 鷺神社(稲背脛命)
海潮神社-説明版
海潮神社-手水舎
神社境内説明版
手水舎
海潮神社-社号標
海潮神社-全景
社号標
全景
海潮神社-三笠城跡縁の石

三笠城跡縁の石


地図

問い合せ
住 所
島根県雲南市大東町南村424
電 話
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ホームページ
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メールアドレス
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ご朱印
有無は不明
駐 車 場
神社入口付近に駐車できます。

出雲国風土記 島根郡 『爾佐加志能為社社(爾佐加志能為神社)』

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