出雲国風土記 神門郡 『美久我社(彌久賀神社)』

2019年8月18日日曜日

宇賀御魂神 湖陵町 出雲国風土記 出雲市 出雲神話 神門郡 大己貴命 天太王命 天之御中主大神 美久我社 彌九賀神社

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出雲国風土記 神門郡 『美久我社(彌久賀神社)』


出雲市湖陵町に鎮座する彌久賀神社は、出雲国風土記に美久我社と記載された古社で、主祭神に天之御中主大神を、合祀神として宇賀御魂神をお祀りする神社です。 境内には数多くの摂社・末社や少し変わったものがあります。

拝 殿
彌久賀神社 拝殿
拝殿の内部
彌久賀神社 拝殿内部
拝殿の扁額
彌久賀神社 拝殿扁額
本 殿
彌久賀神社 本殿右
彌久賀神社 本殿左
御祭神
主 祭 神  天之御中主大神
合 祀 神  宇賀御魂神
御由緒
彌久賀神社 御由緒
彌久賀神社
御祭神
主祭神 天之御中主大神
合 祀 宇賀御魂神
神 紋 二重龟甲遠鷹祠 
由 緒
当社の大神さまは、神代の昔天地いまだ漂う時初めて宇宙を治められた神代最高の位の大神、天之御中主大神さまで 天照大神さまの御祖父さまであります。何時頃からこの地に奉られたか定かでありませんが、文字が我が国に伝来し 聖武天皇天平五年(七三三年)出雲風土記、延喜式、出雲国巡拝記等の古文書等に記されており古社なること明らかです。
又社名は、出雲風土記(美久我の社)、延喜式(彌久賀神社)、慶長時代から文政時代(若一玉子権現御社)と言い嘉祥四年に正六位に叙せられ、明治四年に郷社となり遠い昔の私達の先祖から今に至るまで多くの人々の心の支え として敬仰される神社であります。
『彌久賀神社境内御由緒』より
苗鹿神社  
彌久賀神社 苗鹿神社
苗鹿神社
御祭神 天太王命
 本社は、元大池村字苗鹿原に神社として奉られていたが明治四十年に摂社として境内地に移転遷座、何時頃から苗鹿原に奉られたか定かでありませんが「由緒」この神様は、 山から鹿に乗り鹿の背に稲を取かけて下り里人に苗を与え 農耕を広めし神と言われ、歴史的に明らかなことは享保元年から文政八年頃まで苗鹿大明神御社と云い以後社名を苗鹿神社となり、明治四年に村社となりました。
恵比寿神社
彌久賀神社 恵比寿神社
恵比須神社
御祭神 大己貴命 事代主命
本社は、元大池村字明神に無格社恵比須神社として奉られ 明治四十年に末社として境内地に移転し奉られし社であります。
疫病神社
彌久賀神社 疫病神社
疫病神社
御祭神
八十禍津日神 大禍津日神
本社は、疫病の流行を防ぐ社で何時からこの地に奉られたか不明。明治初年から昭和二十五年頃まで大池から差海全域に渡り腸チブスが大流行し約百人余りの方が亡くなり、 これを鎮めるため昭和二十四年十二月に再建した社であります。
稲荷神社
正一位稲荷大明神を祀る。
彌久賀神社 稲荷神社
神御祖ノ社
子宝夫婦神:伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀る。
彌久賀神社 神御祖ノ社
内部には男性のアレと女性のアレが...!
彌久賀神社 神御祖ノ社 子宝夫婦神
裏にもアレが...!
彌久賀神社 例のアレ
三寶荒神
彌久賀神社 三寶荒神
彌久賀神社 祠
御神木
彌久賀神社 御神木
井戸明府碑
彌久賀神社 井戸明府碑
井戸明府碑  - いどめいふひ -
"享保17年(1732年)は、山陰のみでなく西日本全域をおそった大飢饉は例年の収穫の半分と、餓死する者も多く 石見銀山領の代官井戸平左衛門正明公は、61歳の高齢で病気を押して薩摩に出掛け持ち出し禁止の国産 「薩摩芋(さつまいも)」 を交渉し種芋百斤を譲り受けた。   60日を掛け持ち帰り苦労の末栽培と保存方法を考えて領氏に与え、指導によって年毎に栽培拡大し当地は元より中国地方 に延べ広められた。以後餓死する者もなく「芋代官さん」とし親しまれ碑を建立し感謝され今日至る。 平成18年社殿造営記念として慶正寺の裏、恵比須社敷地より遷し奉る。
彌久賀神社HP』より引用"
狛 犬
彌久賀神社 狛犬
唐獅子
彌久賀神社 唐獅子
手水舎
彌久賀神社 手水舎
鳥 居
彌久賀神社 鳥居

社号標
彌久賀神社 社号標
鳥 居
国道9号線沿いにある。
彌久賀神社 鳥居
鳥居の扁額
彌久賀神社 鳥居扁額
出雲国風土記登場地標柱
『美久我林』
彌久賀神社 出雲国風土記登場地標柱
仏 堂
彌久賀神社 鳥居横の仏堂
地 図


問い合わせ
所在地  島根県出雲市湖陵町大池1302-1
TEL  0853-43-2025
ホームページ 彌久賀神社
Email  --
駐車場 9号線から少し入ったところに15~6台程
停められる駐車場があります。
大型バスの駐車は事前にご連絡くださいとのこと。
自分が行ったときはこの駐車場に気が付かず
神社の鳥居の前に駐車して参拝しました。
御朱印  有:今は中止しているらしい。

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