【出雲国風土記】意宇郡の寺院と神社一覧|六所神社(総社)・熊野大社ほか|松江市・安来市エリア
出雲国風土記(奈良時代)には、意宇郡(おうのこおり/現在の松江市東部〜安来市周辺)に
多くの由緒ある寺院・神社が記録されています。
本記事では、そこに挙げられた寺院や神社を、①現在の社名・場所メモと
②当時の原文(一部)という2段構成で紹介します。
参拝や現地散策の下調べ、ルートづくりの参考にどうぞ。
※地名・距離表現は出雲国風土記の記載に従っています。
※「比定地」は諸説あります。実際に訪れる際は現地の案内板などもご確認ください。
意宇郡(おうのこおり)とは
意宇郡は、古代出雲国の中心的なエリアのひとつで、現在の 島根県松江市東部から安来市周辺にあたる地域と考えられています。 出雲国府や総社に関わる社寺が集中し、政治・祭祀の中心として非常に重要な場所でした。
特に「六所神社」は出雲国総社として知られ、出雲国内の主要な神々を一か所でお祀りする拠点とされてきました。また「熊野大社」はスサノオ信仰や出雲神話との結びつきで今も多くの参拝者を集めています。
出雲国風土記に記された寺院(意宇郡)
敎昊寺(けうかうじ)
「舍人(とね)郷」にあり、郡家の正東二十五里一百二十歩と記されます。 五層の塔が建ち、僧がいたと伝わります。 「敎昊僧」と呼ばれた人物が建立した寺で、上蝮首押猪(かみのたぢひのおびとおしゐ)の祖父にあたる人物とされています。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
敎昊寺(けうかうじ)。舍人(とね)郷の中にあり。郡家の正東二十五里一百二十歩なり。 五層の塔を建立つ。僧あり。敎昊僧が造りし所なり。 散位大初位下上蝮首押猪(かみのたぢひのおびとおしゐ)が祖父なり。
新造院(しんぞういん)[山代郷・その1]
山代郷の中にあるとされ、郡家の西北四里二百歩。 厳堂(ごんどう=厳かな堂宇)が建てられているが、僧はいなかったと書かれます。 日置君目烈(へきのきみ めづら)が造った寺で、出雲神戸の日置君鹿麻呂の祖とされます。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
新造院一所。山代郷の中にあり。 郡家の西北四里二百歩なり。嚴堂を建立つ。僧なし。 日置君目烈が造りし所なり。出雲神戸の日置君鹿麻呂が祖なり。
新造院(しんぞういん)[山代郷・その2]
同じく山代郷の中、郡家の西北二里。 厳堂が建ち、ここには一人の僧が住んでいたと記されます。 飯石郡の少領・出雲臣弟山(いづものおみ おとやま)が建立したと書かれます。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
新造院一所。山代郷の中にあり。 郡家の西北二里なり。嚴堂を建立つ。 住める僧一軀有り。 飯石郡の少領、出雲臣弟山が造りし所なり。
新造院(しんぞういん)[山國郷]
山國郷の中にあり、郡家の東南三十一里一百二十歩。 三層の塔が建てられており、 山國郷の人・日置部根緒(へきべの ねを)が建立したと伝えられます。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
新造院一所。山國郷の中にあり。 郡家の東南三十一里一百二十歩なり。 三層の塔を建立つ。 山國郷の人、日置部根緒が造りし所なり。
神祇官に属する四十八所の神社
ここからは神社編です。まずは「神祇官に属す」と記された四十八社。 代表的な社としては、熊野大社(熊野坐神社・名神大)や、意宇郡の総社機能を担ったとされる六所神社などが挙げられます。
・夜麻佐社(山狭神社)
・賣豆貴社(賣豆紀神社)
・加豆比乃社(勝日神社)
・由貴社(由貴神社)
・加豆比乃高社(勝日高守神社)
・都俾志呂社(都辨志呂神社)
・玉作湯社(玉作湯神社)
・野城社(野城神社)
・伊布夜社(揖屋神社)
・支麻知社(來待神社)
・夜麻佐社(同社坐久志美気濃神社)
・久多美社(久多彌神社)
・佐久多社(佐久多神社)
・多乃毛社(田面神社)
・須多社(須田神社)
・眞名井社(真名井神社)
・布辨社(布辨神社)
・斯保彌社(志保美神社)
・意陀支社(意多伎神社)
・市原社(市原神社)
・久米社(久米神社)
・布吾彌社(布吾彌神社)
・野代社(野白神社)
・賣布社(賣布神社)
・狹井社(佐為神社)
・狹井高守社(佐為高守神社)
・宇流布社(宇流布神社)
・伊布夜社(同社坐韓國伊太氐神社)
・由宇社(同社坐韓國伊太氐神社)
・布自奈社(布自奈神社)
・同布自奈社(布自奈大穴持神社)
・野代社(同社坐大穴持御子神社)
・佐久多社(同社坐韓國伊太氐神社)
・前社(前神社)
・田中社(田中神社)
・詔門社(能利刀神社)※
・楯井社(楯井神社)
・速玉社(速玉神社)
・石坂社(盤坂神社)
・佐久佐社(佐久佐神社)
・多加比社(鷹日神社)
・山代社(山代神社)
・調屋社(筑陽神社)
・同社(同社坐波夜都武自和気神社)
※宍道社は後世、氷川神社や大森神社に比定する説などもあります。
※詔門社(能利刀神社)は現在の「剣神社」(松江市八雲町日吉10周辺)に比定する説があります。
以上四十八所は「並びに神祇官にあり」と記されています。
神祇官に属さない一十九所の神社
次に挙げられる十九社は「神祇官あらず」とされているグループです。 こちらも意宇郡域の信仰を知るうえで欠かせません。
・支布佐社
・毛彌乃社
・那富乃夜社
・支布佐社(重複記載あり)
・國原社
・田村社
・市穗社
・同市穗社
・伊布夜社
・須多下社
・河原社
・布宇社
・末那爲社
・加和羅社
・笠柄社
・志多備社
・食師社
「以上一十九所は、並びに神祇官あらず」と記されています。
比定地・補足メモ
出雲国風土記に記された神社名は、現在の神社名と一致しないことが多く、
たとえば
「宍道社」→氷川神社または大森神社 とする説、
「詔門社(能利刀神社)」→現在の剣神社(松江市八雲町日吉10付近)
とする説、など複数の伝承が残っています。
この記事では主に有力とされる比定先をメモしていますが、
実際の案内板・社務所の説明等で異なる説が紹介される場合もあります。
・まず「六所神社」「熊野大社」の2社を押さえると、意宇郡の中心性が体感できます。
・その後、狭井社(佐為神社)や宍道社(比定社)など、個別の記事で写真付きの現地レポをチェックすると、ルートを組みやすいです。
・神社によっては駐車場や集落道が細い場所もあるので、ナビ設定は慎重に。
次に読みたい/関連スポット
各神社の住所・電話番号・駐車場・御朱印などの実用情報は、それぞれの個別記事に掲載しています。
参拝や撮影のマナーを守ってお楽しみください。

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