【出雲国風土記】神門郡の郷里と驛家一覧|郡名の由来と8郷の伝承を読む|出雲市
出雲国風土記では、神門郡(かむどのこほり)に
郷8・里22・餘戸1・驛家2・神戸1が置かれていたと記録されています。
本記事では、各郷名の由来を ①現代語の要約 と ②風土記原文(折りたたみ) の2段構成で整理しました。
現地散策や参拝ルートづくりの下調べにご活用ください。
※比定地(現在の行政地名・位置)は諸説あります。現地案内板や資料も合わせてご確認ください。
神門郡の概要
神門郡(かむどのこほり)は、古代出雲国を構成した郡のひとつで、現在の出雲市(中心部〜西部・南西部)を中心とする範囲に比定されることが多い地域です。
風土記本文では、郡名の由来として「神門臣(かむどのおみ)伊賀曾然が神門を貢(たてまつ)ったこと」や、神門臣一族が古くからこの地に居住したことが語られます。
出雲国風土記の記載を読む(原文:郡名の由来)
神門(かむど)と 號(なづ)くる 所以(ゆゑ)は、神門臣(かむどのおみ)伊賀曾然(いかそね)が 時 に、神 門 貢(たてまつ)りき。故(かれ)、神門 と云ふ。卽 ち 神門臣等、古(いにしえ)より 今 に至るまで、常に此の處に 居(す)めり。故(かれ)、神門 と云ふ。
郷・里・驛家の概要
神門郡には 郷8 が立てられ、郷ごとに里が配されます。本文冒頭では、合計として
里22・餘戸1・驛家2・神戸1 も併記されます。
驛家は、郡内交通(公的な往来)の節目となる施設で、神門郡では 狹結驛 と 多岐驛 の2つが見えます。
出雲国風土記の記載を読む(原文:冒頭)
神門郡(かむどのこほり)
合はせて郷八、里(こざと)二十 二。餘戸(あまりべ)一、驛家(うまや)二、神戸(かむべ)一。
神門と號くる所以は、神門臣伊賀曾然が時に、神門貢りき。故、神門と云ふ。卽ち神門臣等、古より今に至るまで、常に此の處に居めり。故、神門と云ふ。
郷名一覧と由来(8郷)
朝山郷(あさやま)
現代語要約:眞玉着玉之邑日女命に大穴持命(大国主)が求婚し、朝ごとに通ったことから「朝山」と呼ぶ、と伝えます。
比定地メモ:現在の出雲市内の「朝山」周辺に比定される説があります。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
朝山郷。郡家の東南五里五十六歩なり。神魂命の御子、眞玉着玉之邑日女命坐ましき。爾の時、所造天下大神大穴持命、娶ひ給ひて、朝毎に通ひ坐しき。故、朝山と云ふ。
日置郷(へき)
現代語要約:志紀嶋宮御宇天皇の御世に、日置伴部が派遣され、宿泊して政(まつりごと)を行った地であるため「日置」と呼ぶ、と伝えます。
比定地メモ:現在の出雲市内の「日置」地名周辺に比定される説があります。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
日置郷。郡家の正東四里なり。志紀嶋宮御宇天皇の御世に、日置伴部等、遣はされ來て宿停まりて政爲し所なり。故、日置と云ふ。
塩冶郷(やむや)
現代語要約:もとは「止屋(やむや)」と書き、塩冶毗古能命が坐したことに由来すると伝えます。神亀3年に字を「塩冶」へ改めた、と記されます。
比定地メモ:現在の出雲市塩冶町周辺に比定される説があります。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
鹽冶郷。郡家の東北六里なり。阿遲須枳高日子命の御子、鹽冶毗古能命坐しき。故、止屋と云ふ。神龜三年に、字を鹽冶と改む。
八野郷(やぬ)
現代語要約:八野若日女命が坐し、大穴持命が娶ろうとして屋(や)を造らせたため「八野」と呼ぶ、と伝えます。
比定地メモ:現在の出雲市内の「八野」周辺に比定される説があります。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
八野郷。郡家の正北三里二百一十歩なり。須佐能袁命の御子、八野若日女命坐しき。爾の時、所造天下大神大穴持命、娶ひ給はむとして、屋を造らしめ給ひき。故、八野と云ふ。
高岸郷(たかぎし)
現代語要約:阿遲須枳高日子命が昼夜に哭き、そこで高屋を造り、高椅を建てて養い奉ったことから、もとは「高崖(たかぎし)」と称したと伝えます。神亀3年に字を「高岸」へ改めた、と記されます。
比定地メモ:現在の出雲市内の「高岸(高崖)」周辺に比定される説があります。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
高岸郷。郡家の東北二里なり。所造天下大神の御子。阿遲須枳高日子命、甚く晝夜哭き坐しき。仍りて、其の處に高屋を造りて坐させ。卽ち高椅を建てて、登り降りして養し奉りき。故、高崖と云ふ。神龜三年に、字を高岸と改む。
古志郷(こし)
現代語要約:伊弉那彌命の時に日淵川をもって池を築造した際、古志(越)の国人が来て堤を作り宿居したところなので「古志」と呼ぶ、と伝えます。
比定地メモ:現在の出雲市古志町周辺に比定される説があります。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
古志郷。卽ち郡家に屬けり。伊弉那彌命の時、日淵川を以て池を築造りたまひき。爾の時、古志の國人等到來りて、堤を爲りて、卽て宿居れりし所なり。故、古志と云ふ。
滑狭郷(なめさ)
現代語要約:和加須世理比賣命が坐し、大穴持命が通った時、社の前の磐石がとても滑らかだったため「滑(なめし)磐石」と詔り、もとは「南佐(なめさ)」と称したと伝えます。神亀3年に字を「滑狭」へ改めた、と記されます。
比定地メモ:現在の出雲市内の「なめさ」地名周辺に比定される説があります。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
滑狹郷。郡家の南西八里なり。須佐能袁命の御子、和加須世理比賣命坐しき。爾の時、所造天下大神命、娶ひて通ひ坐しし時に、彼の社の前に磐石あり。其の上甚滑かなりき。卽ち詔りたまひしく、「滑磐石なるかも」と詔りたまひき。故、南佐と云ふ。〈神龜三年に、字を滑狹と改む。
多伎郷(たき)
現代語要約:阿陀加夜努志多伎吉比賣命が坐したことに由来し、もとは「多吉(たき)」と書いたと伝えます。神亀3年に字を「多伎」へ改めた、と記されます。
比定地メモ:現在の出雲市多伎町周辺に比定される説があります。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
多伎郷。郡家の南西二十里なり。所造天下大神の御子、阿陀加夜努志多伎吉比賣命坐しき。故、多吉と云ふ。神龜三年に、字を多伎と改む。
餘戸・驛家・神戸
餘戸里(あまりべ)
現代語要約:郡家の南西三十六里にあるとし、名称の説明は「意宇郡の如し」として省略されています。
比定地メモ:他郡の餘戸条とあわせて検討すると理解しやすい項目です。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
餘戸里。郡家の南西三十六里なり。名を說くこと、意宇郡の如し。
驛家(うまや)
現代語要約:神門郡には驛家が2つ見えます。狹結驛は郡家と同じ所、多岐驛は郡家の西南十九里と記されます。いずれも神亀3年の字改めに触れています。
比定地メモ:古志郷・多伎郷の記述とセットで読むと、地名のつながりが見えます。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
狹結驛。郡家と同じ處なり。古志國の佐與布と云ふ人來居めり。故、最邑と云ふ。神龜三年に、字を狹結と改む。其の來り居める所以は、說くこと古志郷の如し。
多岐驛。郡家の西南一十九里なり。名を說き、字を改むることは、多伎郷の如し。
神戸里(かむべ)
現代語要約:郡家の東南十里にあるとし、名称説明は「意宇郡の如し」として省略されています。
比定地メモ:神戸(かむべ)関連は、他郡の例と比較すると整理しやすい項目です。
出雲国風土記の記載を読む(原文)
神戸里。郡家東南一十里。名を說くこと、意宇郡の如し。
現地写真ギャラリー
神西の岩坪(扉写真)
神門郡ゆかりの風土記社の一景(拝殿風景)
神門郡内の古社の雰囲気(山際の拝殿)
比定地・補足メモ
- 郷名の説明は、風土記本文の伝承(神名・婚姻譚・地形描写・字改めなど)に沿って整理しています。
- 「神亀三年に字を改む」とある郷(塩冶・高岸・滑狭・多伎)は、古い表記(止屋/高崖/南佐/多吉)も併記して読むと把握しやすいです。
- 餘戸里・神戸里は「意宇郡の如し」とされ、詳細説明が省略されています。別郡記事と突き合わせると理解が進みます。
- 距離(○里○歩)は風土記の表現に従っています。現代の道路距離とは一致しない場合があります。
アクセス(地図)
神門郡の比定地は出雲市内に広く点在します。下の地図は目安として「出雲市 東神西町」周辺を表示しています。
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