嶋根郡 郷里驛家

2020年6月21日日曜日

出雲国風土記 出雲神話 松江市 嶋根郡


嶋根郡 郷里驛家

出雲国風土記 嶋根郡 郷里驛家

嶋根郡
(しまねのこほり)

合はせて(さと)八。(こざと)二十五。餘戸(あまりべ)驛家(うまや)

 朝酌郷(あさくみのさと) 今も(さき)に依りゐる

山口郷(やまぐちのさと) 今も前に依りゐる

手染郷(たしみのさと) 今も前に依りゐる

 

 美保郷(みほのさと) 今も前に依りゐる

 方結郷(かたえのさと) 今も前に依りゐる

 加賀郷(かかのさと) 本の字は加加(かか)

生馬郷(いくまのさと) 今も前に依りゐる

 法吉郷(ほふきのさと) 今も前に依りゐる

  以上八、郷別(さとごと)(こざと)三。

 餘戸里(あまりべのさと)

 千酌驛(ちくみのうまや)

嶋根(しまね)(なづ)くる所以(ゆゑ)は、國引き()しし八束水臣津野命(やつかみづおみづぬのみこと)()たまひて、名を(おほ)給へるなり。(かれ)、嶋根と云ふ

朝酌郷(あさくみのさと)郡家(ぐうけ)正南(まみなみ)一十里六十四歩なり。熊野大神命(くまぬのおほかみのみこと)()たまひて、朝御餼(あさみけ)勘養(かむかひ)に、夕御餼(ゆふみけ)勘養(かむかひ)に、五贄(いつにへ)()の處定め給ひき。(かれ)、朝酌と云ふ

山口郷(やまぐちのさと)。郡家の正南四里二百九十八歩なり。須佐能袁命(すさのをのみこと)の御子、都留支日子命(つるぎひこのみこと)()りたまひしく、「()()()さむ山口の處なり」と()りたまひしく。(かれ)、山口と(おほ)給ひき。

手染郷(たしみのさと)。郡家の正東(まひがし)一十里二百六十四歩なり。所造天下大神命(あめのしたつくらししおほかみのみこと)()りたまひしく、「此の國は丁寧(たし)造らせる國なり」と()たまひて。(かれ)丁寧(たし)(おほ)給ひき。しかるに、今の人、猶誤り手染郷(たしみのさと)と謂へるのみ卽ち正倉あり。

美保(のさと)。郡家の正東二十七里一百六十四歩なり。所造天下大神命(あめのしたつくらししおほかみのみこと)高志國(こしのくに)()せる神、意支都久辰爲(おきつくしゐのみこと)(みこ)俾都久辰爲命(へつくしゐのみこと)(みこ)奴奈宜波比賣命(ぬながはひめのみこと)(みあ)ひて()みましし神、御穗須々美命(みほすすみのみこと)、是の神()します。(かれ)美保(みほ)云ふ

方結郷(かたえのさと)郡家(ぐうけ)正東(まひがし)二十里八十歩なり。須佐能袁命(すさのをのみこと)の御子、國忍別命(くにおしわけのみこと)()りたまひしく、「()()()す地は、國形(くにかた)()し」とのりたまひき。(かれ)、方結と云ふ。

加賀郷(かかのさと)。郡家の北西二十四里一百六十歩なり。佐太大神(さだのおほかみ)()まれしし所なり。御祖(みおや)神魂命(かみむすびのみこと)の御子、支佐加比賣命(きさかひめのみこと)、「(くら)岩屋(いはや)なるかも」と()たまひて、(こがね)(ゆみ)()ちて射給ひし時に、光り加加明(かかや)けり。(かれ)加加(かか)云ふ神龜三年に、字を加賀改む

生馬郷(いくまのさと)。郡家の西北一十六里二百九歩なり。神魂命の御子、八尋鉾長依日子命(やひろほこながよりひこのみこと)()りたまひしく、「()が御子、平明(やす)らかにして(いく)まず」と()りたまひき。(かれ)、と生馬と云ふ

法吉郷(ほふきのさと)。郡家の正西一十四里二百三十歩なり。神魂命の御子、宇武賀比賣命(うむかひめのみこと)法吉鳥(ほふきどり)()りて飛び(わた)りて、此の處に靜まり坐しき。(かれ)、法吉と云ふ

餘戸里(あまりべのさと)名をこと意宇郡の如し。

千酌驛(ちくみのうまや)。郡家の東北一十七里一百八十歩なり。伊差奈枳命(いざなぎのみこと)御子、都久豆美命(つくづみのみこと)、此の處に()せり(しか)れば則ち都久豆美(つくづみ)謂ふべきを、今の人猶千酌と(なづ)くるのみ。


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