【出雲国風土記】杵築とは何か?|杵築郷と杵築大社の由来|出雲郡
「杵築(きづき)」という名は、すでに出雲国風土記に記されています。
出雲大社の旧称として知られる杵築。
本記事では、風土記に登場する杵築郷の由来、杵築大社の意味、そして明治改称までを整理します。
現在の出雲大社。出雲国風土記には「杵築大社」として記される。
出雲国風土記に記された杵築郷
『出雲国風土記』(733年成立)出雲郡条には、「杵築郷」が明確に記されています。
杵築は後世の通称ではなく、奈良時代にすでに公的に記録された地名でした。
▼ 出雲国風土記 原文を読む
杵築郷。郡家の西北二十八里六十歩なり。
八束水臣津野命の國引き給ひし後、所造天下大神の宮奉へまつらむとして、
諸の皇神等宮處に參り集ひて杵築きたまひき。故、寸付と云ふ。
神亀三年に、字を杵築と改む。
杵築の由来 ― 神々が「築いた」から
神々が宮を「築いた」と風土記が伝える聖域。
風土記は、地名の由来をはっきりと説明しています。
国引き神話の後、所造天下大神の宮を奉るために皇神たちが集まり、宮を「築いた」。
だから「きづき」。
ここでいう「築く」は、単なる建築ではなく、神を祀るための聖域を整える行為を指します。
地名「杵築」は、神話的創建の記憶を宿す言葉なのです。
杵築大社とは何か
風土記には「杵築大社」の名も見えます。
これは「杵築郷にある大社」という意味であり、現在の出雲大社の古い呼称にあたります。
また「企豆伎社(きづきしゃ)」の記述もあり、伊能知比賣神社と同社とされています。
地名と祭祀施設が一体となって存在していたことがわかります。
出雲大川と杵築郷
出雲大川(斐伊川)は鳥上山を源とし、各郡を経て「伊努・杵築の二郷を経て神門水海に入る」と記されています。
斐伊川下流域に位置する杵築郷は、地理的にも象徴的な場所でした。
古代から続く祭祀の象徴。杵築の名が今も息づく空間。
明治改称 ― 杵築大社から出雲大社へ
明治四年(1871年)、社号は「出雲大社」へ改められました。
地名由来の「杵築大社」から、国名を冠する名称へと変化したのです。
現在も「出雲市大社町杵築東」「杵築西」という地名が残っています。
社名は変わっても、地名は古代の記憶を今に伝えています。
杵築は「築く」という動詞の地名化 風土記は、「神々が築いたから杵築」と説明します。 つまり杵築とは、 行為が地名になった例 です。 国引き神話という巨大な物語のあと、 神々が宮を築く。 その行為が、 地名として固定される。 出雲では、神話は物語のままでは終わらず、 土地の名として定着します。 それが杵築です。

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