【出雲国風土記】大原郡 山野河川海岸通道|斐伊川と須我山をめぐる古代の風景|大原郡・雲南市周辺

2021年2月21日日曜日

雲南市 出雲国風土記 出雲神話 大原郡

【出雲国風土記】大原郡 山野河川海岸通道|斐伊川と須我山をめぐる古代の風景|大原郡・雲南市周辺

「出雲国風土記」の中でも、とくに山・川・境界・通路をまとめて記した一節が「山野河川海岸通道」です。
城名樋山・高麻山・須我山、斐伊川・海潮川・須我小川など、
現在の島根県雲南市周辺に広がる山河の姿と、そこに息づく神話の記憶をたどってみませんか?


大原郡 山野河川海岸通道の風景
出雲国風土記 大原郡 山野河川海岸通道|斐伊川流域の山々と田園風景

斐伊川流域の田園と山なみ。古代の「山野河川海岸通道」の景観を今に伝えます。

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大原郡の位置と概要

郡名 出雲国 大原郡(おおはらのこおり)
現在の概ねの範囲 島根県雲南市から飯石郡・仁多郡境にかけての山間地域(おおよその比定)
特徴 斐伊川上流域を中心に、高麻山・須我山・御室山などの山々が連なり、
周囲には豊かな森と薬草、山の獣たちが棲む「山野の中」として描写されています。

出雲国風土記の記述(山・川・通路)

「山野河川海岸通道」の条では、大原郡の山・川・郡境・通路がまとめて紹介されています。
冒頭では莵原野(うはらぬ)という野が、郡家から見て正東に広がることが記され、郡家に属していたことが述べられます。

つづいて、城名樋山(きなひやま)では、所造天下大神大穴持命(おほなもちのみこと)が八十神を討つために城を築いたことから、その名が付いたとされています。
また高麻山(たかさやま)は、須佐之男命の御子・靑幡佐草日古命(あをはたさくさひこのみこと)が山頂に麻をお植えになったことにちなみ「高麻山」と呼ばれるようになったと伝えられています。

須我山・船岡山・御室山など、それぞれの山には神々にまつわる由来が添えられ、
さらに、斐伊川・海潮川・須我小川・佐世小川・幡屋小川・屋代小川といった川の流れや魚種(鮎・鱒など)の豊かさまで細かく記録されています。

終盤では、多数の薬草(苦参・桔梗・葛根など)や木々(檜・杉・楮・楊梅など)、
鷹・隼・山鳥・熊・猪・鹿・猿・ムササビといった禽獣の名が列挙され、
大原郡が山の恵み豊かな「山野の中」であったことがよく伝わってきます。

さらに意宇郡・仁多郡・飯石郡・出雲郡それぞれとの境へ通じる距離が、
「何里何歩」といった形で具体的に記されており、古代の交通・通路(通道)を知るうえでも貴重な資料となっています。

出雲国風土記「大原郡 山野河川海岸通道」原文

▼ 出雲国風土記「大原郡 山野河川海岸通道」原文を開く

 大原郡 山野河川海岸通道

山王寺の棚田と広がる奥出雲の里山風景

山王寺の棚田と奥出雲の原風景(雲南市)



莵原野(うはらぬ)郡家(ぐうけ)正東(まひがし)なり。郡家()けり

城名樋(きなひ)山。郡家正北(まきた)一里一百歩なり。所造天下大神大穴持命(あめのしたつくらししおほかみおほなもちのみこと)八十(やそ)()たむとして()を造りたまひき(かれ)城名樋と云ふ

高麻(たかさ)山。郡家正北一十里二百歩なり。高一百丈(めぐ)五里あり。北椿等(たぐひ)有り。東南西三方(なら)びに()なり古老の傳へに云へらく、神須佐能袁命(かむすさのをのみこと)御子(みこ)靑幡佐草日古命(あをはたさくさひこのみこと)()き給ひき(かれ)高麻山と云ふ。卽(みね)()すは、御魂(みたま)なり

須我(すが)山。郡家東北一十九里一百八十歩。檜・杉あり

船岡山。郡家の東北一十六里なり。阿波枳閇委奈佐比古命(あはきへわなさひこのみこと)()()ゑましし山是れなり(かれ)船岡と云ふ

御室(みむろ)山。郡家東北一十九里一百八十歩なり神須佐乃乎命(かむすさのをのみこと)御室(みむろ)らしめひて、宿(やど)らせる所なり(かれ)御室と云ふ

凡そ、(もろもろ)の山野に在る所の草木は、苦參(くらら)桔梗(ありのひふき)菩茄(むこぎ)白芷(かさもち)前胡(のぜり)獨活(うど)卑解(ところ)葛根(くずのね)細辛(みらのねぐさ)茵芋(につつじ)白前(のかがみ)決目(えびすぐさ)白歛(やまかがみ)女委(ゑみくさ)薯預(やまついも)麥門冬(やますげ)(すもも)(かへ)椿(かぢ)楊梅(やまもも)(つき)(きはだ)禽獸には則ち晨風(はやぶさ)山鷄(やまどり)(きじ)()鹿・莵・獼猴(さる)飛鼯(むささび)あり。

斐伊川(ひのかは)。郡家正西(まにし)五十七歩なり。西れて、出雲多義(たが)に入る。年魚(あゆ)麻須(ます)あり

()(しほ)川。源意宇(おう)大原(おほはら)との二郡なる()(むら)より出でてに流れ、()(しほ)より西に流る。年魚(あゆ)少しくあり。

須我小川(すがのをがは)。源須我山より出でて西年魚(あゆ)少しくあり。

()()小川。源()()より出で、れて()(しほ)に入る。なし

幡屋(はたや)小川。源郡家東北なる(はた)()より出でてる。魚なし。(みづ)四水(よすじ)ひて、西に流れて出雲大川に入る

屋代(やしろ)小川。源郡家(ぐうけ)正北(まきた)除田野(よきだぬ)より出で、西れて斐伊()大河(のおほかわ)に入る。魚なし。

通道(かよひぢ)意宇(おう)なる木垣坂(きがきのさか)に通ふは、二十三里八十五歩なり

仁多(にた)なる辛谷村(ひのたにむら)に通ふは、二十三里一百八十二歩なり

飯石(いひし)なる斐伊河(ほとり)に通ふは五十七歩なり

出雲郡の堺なる多義(たが)に通ふは、一十一里二百二十なり

(さき)(くだり)の三は、(なら)びに山野(やまぬ)(うち)なり

雲南市
三刀屋川に映る桜並木と里山の春景色

三刀屋川に映る桜並木と里山の春景色(雲南市)

簸川三山展望台から望む奥出雲の山並み

簸川三山展望台から望む奥出雲の山並み

アクセス・周辺情報

地図(参考)

大原郡の中心とされる地域(現在の島根県雲南市周辺)。
各山・川の比定地については、史料や現地案内板をあわせてご確認ください。

お問い合わせ

所在地島根県雲南市周辺(大原郡域の推定範囲)
TEL―(史跡全体としてのお問い合わせは、雲南市・地域の観光協会などへ)
駐車場各神社・史跡・展望地ごとに異なります。現地案内板や公式情報をご確認ください。
参考雲南市公式サイト・観光協会サイト等
公式雲南市観光協会 | うんなん旅ネット

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