【出雲国風土記】出雲郡 山野・河川・海岸・通道|山・川・海の古地名をたどる|出雲郡・出雲市

2021年2月15日月曜日

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【出雲国風土記】出雲郡 山野・河川・海岸・通道|山・川・海の古地名をたどる|出雲郡・出雲市

出雲国風土記の中でもボリュームのある「出雲郡 山野・河川・海岸・通道」の条。
神名火山・出雲御崎山・出雲大川から、浜や島々、通い路にいたるまで、
古代出雲の自然環境と地名を、現在の風景と重ねながらたどっていきます。


稲佐の浜

出雲国風土記 出雲郡の山野・河川・海岸・通道を象徴する稲佐の浜の海岸線と弁天島の全景。

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出雲郡「山野・河川・海岸・通道」とは

出雲国風土記の「出雲郡」条は、郡域に広がる山や川・池・江(潟湖)、海岸線や島、そして他郡へ通じる通道かよひぢまで、 きわめて詳しい自然地理の記述が特徴です。
本記事では、その中から 神名火山・出雲御崎山・出雲大川をはじめとする山野・河川と、 海岸線・島嶼・浦・浜・通道の記述をまとめて紹介します。

古代の度量で示された「高さ」「周り」「広さ」の数字は、現代の地形を考えるうえでも重要な手がかり。 また、鮑・紫菜・海松など海産物の豊かさや、年魚(鮎)・鮭といった川魚、 そして山野に生える草木・棲む鳥獣まで網羅されており、出雲郡が海と山の恵みに支えられていたことが分かります。

条文の概要と見どころ

冒頭に登場する神名火山(かむなびやま)は、曾支能夜社(きひさかみたかひこのみことを祀る社)が山頂にあることから、 山そのものが神の名を負うと説明されます。山名の由来を社名と結びつけて語る点が、信仰と地形が一体になった出雲らしい記述です。

続く出雲御崎山は、郡家からの距離と山の高さ・周囲が細かく記され、その西麓には 「所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)」の社が鎮座すると述べられます。 現在の出雲大社周辺を想起させるくだりであり、出雲大社の神域と海岸線が一体の景観として意識されていたことがうかがえます。

出雲大川(斐伊川)の項では、源流の鳥上山から仁多郡・大原郡・出雲郡を貫き、 神門水海(宍道湖・中海)へ注いでいく流路が、多くの郷名とともに詳述されています。
川沿いの土地が「百姓の膏腴の薗」であること、春には材木を筏で流す船が往来することなど、 古代の物流と生活の動脈としての斐伊川がありありと描かれています。

海岸部では、意保美浜・気多島・宇太保浜・爾比埼・宇礼保浦・薗など、 浜と浦・岬・島々が次々と挙げられ、それぞれの広さ・周囲・産物が記されています。 鮑・紫菜・海藻・貽貝などの海産物が豊富で、とくに鮑は出雲郡が「尤も優れたり」とされる点も見逃せません。

末尾の通道かよひぢでは、意宇郡・神門郡・大原郡・楯縫郡それぞれとの境までの距離が整理されており、 出雲郡が周辺諸郡とどのように結ばれていたかが一望できます。

出雲国風土記 原文(全文)

▼ 出雲国風土記「出雲郡 山野・河川・海岸・通道」全文を開く
奉納山公園から見下ろした稲佐の浜と出雲市大社町の街並み。海岸線が弧を描き、日本海の青い海原が広がる景観。

奉納山公園から望む稲佐の浜。大社の街並みと日本海の広がりが一望できます。

(かむ)()()(やま)郡家(ぐうけ)東南三里一百五十歩なり。高一百七十五丈(めぐ)一十五里六十歩あり()()()()(のやしろ)()()()()()()(たか)()()(のみこと)(みね)にあり(かれ)(かむ)()()云ふ

出雲(いづも)(のみ)(さき)(やま)郡家(ぐうけ)西北二十七里百六十歩なり。高三百六十丈(めぐ)九十六里一百六十五歩あり。西(ふもと)に、はゆる所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)()

凡そ、(もろもろ)山野(やまぬ)る所の草木は、卑解(ところ)百部根(ほとづら)女委(ゑみくさ)夜干(からすあふぎ)商陸(いをすき)獨活(うど)葛根(くずのね)(わらび)(すもも)蜀椒(なるはじかみ)(にれ)・赤桐・白桐(きり)・椎・椿(かへ)禽獸にはち、晨風(はやぶさ)山雞(やまどり)(くぐひ)(つぐみ)鹿獼猴(さる)飛鼯(むささび)あり

出雲大川。源は伯耆(ははき)と出雲との二國なる鳥上(とりかみ)よりれて、仁多(にた)橫田(よこた)に出で、卽ち橫田三處(みところ)三澤(みざわ)布勢(ふせ)の四郷を經て、大原(おほはら)なる(ひき)()に出で、卽ち來次(きすき)斐伊()屋代(やしろ)(かむ)(はら)の四郷を經て、出雲なる多義(たが)に出で、河内(かふち)・出雲の二郷を經て、れ、れて西れ、卽ち()()杵築(きづき)の二郷を經て、神門(かむどの)(みづ)(うみ)に入る()()はゆる斐伊()河下(かはしも)なり。河の兩邊(あたり)は、或は土地(つち)かに()えて、土穀(たなつもの)(みの)欵枝(たわわ)に、百姓(たみ)膏腴(うるほひ)(その)なり或は土地(つち)(ゆた)かに()えて、草木(むらが)()ひたり。則年魚(あゆ)(さけ)麻須(ます)伊具比(いぐひ)魴鱧(むなぎ)(たぐひ)あり、潭湍(ふちせ)(なら)(およ)ぐ。河口(かはぐち)河上(かはかみ)の橫田村に至るまでのつの百姓(たみ)、河に便()りて()めり出雲・飯石仁多大原郡。孟春(むつき)より(はじ)めて季春(やよひ)に至るまで、材木(くれき)(かと)沿沂(のぼりくだ)

()()()小川(のをがは)。源は出雲御崎山より出で、れて大海に入る。年魚(あゆ)少々あり

土負(つちおひ)(のいけ)周り(めぐ)二百四十あり。

須々比(すすひ)池。周二百五十歩あり。

西門江(にしどのえ)。周三里一百五十八歩あり。東れて入海に入るあり

大方(おほかた)江。周二百四十四歩あり。東れて入海に入る。鮒あり。は、(なら)びに、まる所なり。東入海にして、三方(なら)びに平原(はら)遼遠(はろか)なり山雞(やまどり)(たかべ)鴛鴦(をし)(たぐひ)(さは)にあり。東入海る所の(くさぐさ)は、秋鹿(あきか)說けるが如し。北は大海なり。

宮松(みやまつ)楯縫出雲とのにあり

()()()濱。廣さ二里一百二十あり

()()嶋。紫菜(のり)海松(みる)生へり。(あはび)(にし)蕀甲贏(うに)あり

井呑(ゐのみ)濱。廣四十二歩あり

()()()濱。三十五歩あり

大前(おほさき)嶋。高一丈(めぐ)二百五十歩あり海藻()()へり

(なづき)嶋。紫菜(のり)海藻()生へり。松・(かへ)あり

(さぎ)濱。廣二百歩あり

(くろ)嶋。海藻()生へり。

()()濱。廣二十歩あり

()()一里四十歩さ二十あり。埼の南の本は、東西に戸をはし、船(なほ)往來(かよ)へり。上には(むらが)()ひたり

宇禮保(うれほ)浦。廣七十八歩あり船二十(ばかり)()つべし

山埼(やまさき)。高さ三十九丈。(めぐ)一里二百五十歩あり椎・楠・椿・松あり。

子負(こおひ)嶋。なり

大椅(おほはし)濱。廣一百五十歩あり

御前(みさき)濱。廣一百二十歩あり百姓(たみ)あり

御嚴(みいつく)嶋。海藻()()へり。

()(くり)()嶋。高四丈二十歩ありあり

等々(とど)嶋。貽貝(いがひ)石花()あり

怪聞(しも)埼。長三十歩、廣さ三十二歩あり松あり。

()()()濱。廣一十八歩あり

粟嶋。海藻()生へり。

黑嶋。海藻()生へり。

這田(はふた)濱。廣一百歩あり

二俣(ふたまた)濱。廣九十八歩あり

門石(かどいは)嶋。高五丈(めぐ)四十二歩ありあり

(その)。長三里一百歩一里二百歩あり。松(しげ)し。神門水海(かむどのみづうみ)より大海に通ふ(みなと)三里一百二十歩あり()は則ち出雲と神門(かむど)との二郡なり

凡そ、北の海に在る所の(くさぐさ)は、楯縫(たてぬひ)說けるが如し。(ただ)(あはび)は出雲(もっと)(まさ)れり。()らふるは、()はゆる御埼(みさき)海子(あま)なり

通道(かよひぢ)意宇(おう)なる佐雜(ささふ)に通ふは、一十三里六十四歩なり

神門郡の堺なる出雲大河の(ほとり)に通ふは、二里六十歩なり

大原郡の堺なる多義(たが)に通ふは、一十五里三十八歩なり

楯縫郡の堺なる()()に通ふは、一十四里二百二十歩なり

出雲市・稲佐の浜の夕景。弁天島のシルエットと水平線が赤く染まる薄暮の海。神迎神事でも知られる神聖な海岸の黄昏風景。

稲佐の浜の夕景。弁天島が浮かぶ神秘的な薄暮の海。

斐伊川中流域の河原と砂州。山々を背景に河川が大きく蛇行する様子が分かる景観。出雲国風土記に記される『出雲大川』に相当する流域の現在の姿。

斐伊川の河原と砂州。風土記の「出雲大川」と重なる現在の流れ。

アクセス・周辺案内

「山野・河川・海岸・通道」の記述は出雲郡一帯にわたりますが、ここでは代表して 稲佐の浜(島根県出雲市大社町杵築北)へのアクセスを記します。

地図

島根県出雲市大社町杵築北・稲佐の浜周辺。出雲大社前駅から徒歩圏内で、海岸線に沿って風土記ゆかりの地名が点在します。

お問い合わせ

所在地島根県出雲市大社町周辺(出雲郡域一帯)
TEL出雲市観光課出雲観光協会などにお問い合わせください。
駐車場稲佐の浜駐車場(無料)ほか、各スポット周辺の駐車場を利用。
備考山野・河川・海岸の各地点は私有地や危険個所もあるため、立ち入りには十分ご注意ください。

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