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出雲国風土記 出雲郡 『御魂社(伊能知比賣神社)(天前社)』

出雲国風土記 出雲郡 『御魂社(伊能知比賣神社)(天前社)』 今回は、出雲大社瑞垣内の本殿の東側に鎮座する脇宮三社と呼ばれるうちの一社『神魂伊能知比売神社』(かみむすびいのちひめのかみのやしろ)(天前社・あまさきのやしろ)を紹介します。  御祭神は蚶貝比売命(きさがいひめのみこと)と蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)で、 兄神たちに騙され、大やけどを負って落命した大國主大神を治療して蘇らせたという二柱の女神です。  また、蚶貝比売命は『出雲国風土記』では、『支佐加比賣命』として嶋根郡の条の加賀郷と加賀の神埼の名前の由来について登場し、 蛤貝比売命は『宇武賀比賣命』として嶋根郡の条の法吉郷の名前の由来について登場します。 加藤義成氏の『出雲國風土記』では、否定している神社はありませんが、他 に御魂社に比定する説があります。 伊能知比賣神社(天前社) 瑞垣内は撮影出来ないのですが…八足門の格子の隙間からこっそりとパシャリ!📸 後で警備員に叱られました…!😢 天前社と本殿 右は 大神大后神社(御向社) ...御祭神は須勢理比売命 御由緒 神魂伊能知比売神社(天前社) 御祭神 蚶貝比売命     蛤貝比売命 由緒 瑞垣の内、御向社の東側に並び御鎮座です。 御祭神の蚶貝比売命・蛤貝比売命は、大國主大神がお若い頃に神々に よる多くの試練をお受けになら れて大大傷を負われた時、祖神の御命により大神の治療看護に当たられた女神です。 女神たちの看護によって大神は健やかなお姿に蘇られ、女神は「看護の神」と称えられています。 祭日 一月一日、十五日、二月十七日、 五月十四日、十五日、十六日 八月一日、十五日、十一月二十三日 旧十月十日、十五日、十七日 地図 問い合わせ 住 所  島根県出雲市大社町杵築東195 電 話  0853-53-3100 8:30~17:00 ホームページ   出雲大社 メールアドレス   問い合わせフォーム 駐 車 場  出雲大社の周りには複数あります。   出雲大社 参拝者大駐車場

出雲郡 山野河川海岸通道

 出雲郡 山野河川海岸通道

(かむ)()()(やま)郡家(ぐうけ)東南三里一百五十歩なり。高一百七十五丈(めぐ)一十五里六十歩あり()()()()(のやしろ)()()()()()()(たか)()()(のみこと)(みね)にあり(かれ)(かむ)()()云ふ

出雲(いづも)(のみ)(さき)(やま)郡家(ぐうけ)西北二十七里百六十歩なり。高三百六十丈(めぐ)九十六里一百六十五歩あり。西(ふもと)に、はゆる所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)()

凡そ、(もろもろ)山野(やまぬ)る所の草木は、卑解(ところ)百部根(ほとづら)女委(ゑみくさ)夜干(からすあふぎ)商陸(いをすき)獨活(うど)葛根(くずのね)(わらび)(すもも)蜀椒(なるはじかみ)(にれ)・赤桐・白桐(きり)・椎・椿(かへ)禽獸にはち、晨風(はやぶさ)山雞(やまどり)(くぐひ)(つぐみ)鹿獼猴(さる)飛鼯(むささび)あり

出雲大川。源は伯耆(ははき)と出雲との二國なる鳥上(とりかみ)よりれて、仁多(にた)橫田(よこた)に出で、卽ち橫田三處(みところ)三澤(みざわ)布勢(ふせ)の四郷を經て、大原(おほはら)なる(ひき)()に出で、卽ち來次(きすき)斐伊()屋代(やしろ)(かむ)(はら)の四郷を經て、出雲なる多義(たが)に出で、河内(かふち)・出雲の二郷を經て、れ、れて西れ、卽ち()()杵築(きづき)の二郷を經て、神門(かむどの)(みづ)(うみ)に入る()()はゆる斐伊()河下(かはしも)なり。河の兩邊(あたり)は、或は土地(つち)かに()えて、土穀(たなつもの)(みの)欵枝(たわわ)に、百姓(たみ)膏腴(うるほひ)(その)なり或は土地(つち)(ゆた)かに()えて、草木(むらが)()ひたり。則年魚(あゆ)(さけ)麻須(ます)伊具比(いぐひ)魴鱧(むなぎ)(たぐひ)あり、潭湍(ふちせ)(なら)(およ)ぐ。河口(かはぐち)河上(かはかみ)の橫田村に至るまでのつの百姓(たみ)、河に便()りて()めり出雲・飯石仁多大原郡。孟春(むつき)より(はじ)めて季春(やよひ)に至るまで、材木(くれき)(かと)沿沂(のぼりくだ)

()()()小川(のをがは)。源は出雲御崎山より出で、れて大海に入る。年魚(あゆ)少々あり

土負(つちおひ)(のいけ)周り(めぐ)二百四十あり。

須々比(すすひ)池。周二百五十歩あり。

西門江(にしどのえ)。周三里一百五十八歩あり。東れて入海に入るあり

大方(おほかた)江。周二百四十四歩あり。東れて入海に入る。鮒あり。は、(なら)びに、まる所なり。東入海にして、三方(なら)びに平原(はら)遼遠(はろか)なり山雞(やまどり)(たかべ)鴛鴦(をし)(たぐひ)(さは)にあり。東入海る所の(くさぐさ)は、秋鹿(あきか)說けるが如し。北は大海なり。

宮松(みやまつ)楯縫出雲とのにあり

()()()濱。廣さ二里一百二十あり

()()嶋。紫菜(のり)海松(みる)生へり。(あはび)(にし)蕀甲贏(うに)あり

井呑(ゐのみ)濱。廣四十二歩あり

()()()濱。三十五歩あり

大前(おほさき)嶋。高一丈(めぐ)二百五十歩あり海藻()()へり

(なづき)嶋。紫菜(のり)海藻()生へり。松・(かへ)あり

(さぎ)濱。廣二百歩あり

(くろ)嶋。海藻()生へり。

()()濱。廣二十歩あり

()()一里四十歩さ二十あり。埼の南の本は、東西に戸をはし、船(なほ)往來(かよ)へり。上には(むらが)()ひたり

宇禮保(うれほ)浦。廣七十八歩あり船二十(ばかり)()つべし

山埼(やまさき)。高さ三十九丈。(めぐ)一里二百五十歩あり椎・楠・椿・松あり。

子負(こおひ)嶋。なり

大椅(おほはし)濱。廣一百五十歩あり

御前(みさき)濱。廣一百二十歩あり百姓(たみ)あり

御嚴(みいつく)嶋。海藻()()へり。

()(くり)()嶋。高四丈二十歩ありあり

等々(とど)嶋。貽貝(いがひ)石花()あり

怪聞(しも)埼。長三十歩、廣さ三十二歩あり松あり。

()()()濱。廣一十八歩あり

粟嶋。海藻()生へり。

黑嶋。海藻()生へり。

這田(はふた)濱。廣一百歩あり

二俣(ふたまた)濱。廣九十八歩あり

門石(かどいは)嶋。高五丈(めぐ)四十二歩ありあり

(その)。長三里一百歩一里二百歩あり。松(しげ)し。神門水海(かむどのみづうみ)より大海に通ふ(みなと)三里一百二十歩あり()は則ち出雲と神門(かむど)との二郡なり

凡そ、北の海に在る所の(くさぐさ)は、楯縫(たてぬひ)說けるが如し。(ただ)(あはび)は出雲(もっと)(まさ)れり。()らふるは、()はゆる御埼(みさき)海子(あま)なり

通道(かよひぢ)意宇(おう)なる佐雜(ささふ)に通ふは、一十三里六十四歩なり

神門郡の堺なる出雲大河の(ほとり)に通ふは、二里六十歩なり

大原郡の堺なる多義(たが)に通ふは、一十五里三十八歩なり

楯縫郡の堺なる()()に通ふは、一十四里二百二十歩なり

      郡司 主帳 无位   若倭部臣(わかやまとべのおみ)

       大領 外正八位下  日置部臣(へきべのおみ)

       少領 外從八位下  大臣(おほのおみ)

       主政 外大初位下  部臣(とものおみ)



ここからはぐうたら亭主のおすすめです!! 

古代出雲は、奈良時代に入る頃、大きな変革を迎えた。当時の様子を記す地誌『出雲国風土記』を考古学の成果から再検証し、役所の姿、整備された道路、数々の寺院を復元。古代都市としての出雲国の成立を明らかにする。(Amzon「BOOK」データベースより)


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