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2021年2月15日月曜日

出雲郡 寺院神社

 出雲郡 寺院神社

 
 
杵築大社(きづきのおほやしろ)(杵築大社)御魂(みたま)社(大穴持神社)
()(むかひ)同社大神大后神社) 出雲(いづも)出雲神社)
()(たま)同社韓國伊太氐神社) ()()伊努神社)
()()()意保美神社) ()()()()曾枳能夜神社)
()()久武神社) ()()()()同社韓國伊太氐神社)
()()()阿須伎神社) ()()()御碕神社)
()()()()因佐神社) ()()()美談神社)
()()()神社) ()()印波神社)
()()阿吾神社) ()()()(都武自神社)
()()()(久佐加神社) ()()()美努麻神社)
()()()同社韓國伊太氐神社) ()()宇賀神社)
(おなじ)()()()同社天若日子神社) ()()神社)
(かむ)(しろ)神代神社)  ()()()加毛利神社)
來坂(くさか)同社大穴持海代日古神社) ()()同社神魂伊豆乃賣神社)
(おなじ)同社神魂神社) 同社同社比古佐和氣神社)
鳥屋(とや)鳥屋神社) ()()御井神社)
()()()同社坐伊能知比賣神社) 同社同社神魂御子神社)
同社(同社神魂伊能知奴志神社) 同社(同社神大穴持御子神社)
同社(同社大穴持伊那西波伎神社) 同社(同社大穴持御子玉江神社)
()()()同社須佐袁神社) 同社同社神魂意保刀自神社)
同社(同社阿須伎神社) 同社(同社神伊佐那伎神社)
同社(同社神阿麻能比奈等理神社) 同社(同社神伊佐我神社)
同社(同社阿遲須伎神社) 同社(同社天若日子神社)
()(さか)同社大穴持海代日女神社) ()()意布伎神社)
同社(都我利神社) 同社(伊佐波神社)
()()()同社比賣遲神社) (あがた)同社和加布都努志神社)
()()斐代神社) (から)(かま)韓竈神社)
()()()伊佐賀神社) ()()()伊甚神社)
()()波知神社) (たち)(むし)立虫神社)
以上五十八所は、並びに神祇官にあり。
()(さき)社  ()(さき)
()()() 阿受支(あずき)
阿受支(あずき)  同社
阿受(あずき)社  阿受支(あずき)
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
()() ()()
同社 同社
同社  (あがた)
()()() ()()()
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 同社
同社 ()()()
()()() 同社
()()()社  山邊(やまべ)
同社  同社
()() ()西()
()()  ()()()
()()() (かむ)(しろ) 
同社 百枝槐(ももえゑにす)
以上六十四所は、並びに神祇官にあらず。

ここからはぐうたら亭主のおすすめです!! 

古代出雲は、奈良時代に入る頃、大きな変革を迎えた。当時の様子を記す地誌『出雲国風土記』を考古学の成果から再検証し、役所の姿、整備された道路、数々の寺院を復元。古代都市としての出雲国の成立を明らかにする。(Amzon「BOOK」データベースより)


出雲郡 山野河川海岸通道

 出雲郡 山野河川海岸通道

(かむ)()()(やま)郡家(ぐうけ)東南三里一百五十歩なり。高一百七十五丈(めぐ)一十五里六十歩あり()()()()(のやしろ)()()()()()()(たか)()()(のみこと)(みね)にあり(かれ)(かむ)()()云ふ

出雲(いづも)(のみ)(さき)(やま)郡家(ぐうけ)西北二十七里百六十歩なり。高三百六十丈(めぐ)九十六里一百六十五歩あり。西(ふもと)に、はゆる所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)()

凡そ、(もろもろ)山野(やまぬ)る所の草木は、卑解(ところ)百部根(ほとづら)女委(ゑみくさ)夜干(からすあふぎ)商陸(いをすき)獨活(うど)葛根(くずのね)(わらび)(すもも)蜀椒(なるはじかみ)(にれ)・赤桐・白桐(きり)・椎・椿(かへ)禽獸にはち、晨風(はやぶさ)山雞(やまどり)(くぐひ)(つぐみ)鹿獼猴(さる)飛鼯(むささび)あり

出雲大川。源は伯耆(ははき)と出雲との二國なる鳥上(とりかみ)よりれて、仁多(にた)橫田(よこた)に出で、卽ち橫田三處(みところ)三澤(みざわ)布勢(ふせ)の四郷を經て、大原(おほはら)なる(ひき)()に出で、卽ち來次(きすき)斐伊()屋代(やしろ)(かむ)(はら)の四郷を經て、出雲なる多義(たが)に出で、河内(かふち)・出雲の二郷を經て、れ、れて西れ、卽ち()()杵築(きづき)の二郷を經て、神門(かむどの)(みづ)(うみ)に入る()()はゆる斐伊()河下(かはしも)なり。河の兩邊(あたり)は、或は土地(つち)かに()えて、土穀(たなつもの)(みの)欵枝(たわわ)に、百姓(たみ)膏腴(うるほひ)(その)なり或は土地(つち)(ゆた)かに()えて、草木(むらが)()ひたり。則年魚(あゆ)(さけ)麻須(ます)伊具比(いぐひ)魴鱧(むなぎ)(たぐひ)あり、潭湍(ふちせ)(なら)(およ)ぐ。河口(かはぐち)河上(かはかみ)の橫田村に至るまでのつの百姓(たみ)、河に便()りて()めり出雲・飯石仁多大原郡。孟春(むつき)より(はじ)めて季春(やよひ)に至るまで、材木(くれき)(かと)沿沂(のぼりくだ)

()()()小川(のをがは)。源は出雲御崎山より出で、れて大海に入る。年魚(あゆ)少々あり

土負(つちおひ)(のいけ)周り(めぐ)二百四十あり。

須々比(すすひ)池。周二百五十歩あり。

西門江(にしどのえ)。周三里一百五十八歩あり。東れて入海に入るあり

大方(おほかた)江。周二百四十四歩あり。東れて入海に入る。鮒あり。は、(なら)びに、まる所なり。東入海にして、三方(なら)びに平原(はら)遼遠(はろか)なり山雞(やまどり)(たかべ)鴛鴦(をし)(たぐひ)(さは)にあり。東入海る所の(くさぐさ)は、秋鹿(あきか)說けるが如し。北は大海なり。

宮松(みやまつ)楯縫出雲とのにあり

()()()濱。廣さ二里一百二十あり

()()嶋。紫菜(のり)海松(みる)生へり。(あはび)(にし)蕀甲贏(うに)あり

井呑(ゐのみ)濱。廣四十二歩あり

()()()濱。三十五歩あり

大前(おほさき)嶋。高一丈(めぐ)二百五十歩あり海藻()()へり

(なづき)嶋。紫菜(のり)海藻()生へり。松・(かへ)あり

(さぎ)濱。廣二百歩あり

(くろ)嶋。海藻()生へり。

()()濱。廣二十歩あり

()()一里四十歩さ二十あり。埼の南の本は、東西に戸をはし、船(なほ)往來(かよ)へり。上には(むらが)()ひたり

宇禮保(うれほ)浦。廣七十八歩あり船二十(ばかり)()つべし

山埼(やまさき)。高さ三十九丈。(めぐ)一里二百五十歩あり椎・楠・椿・松あり。

子負(こおひ)嶋。なり

大椅(おほはし)濱。廣一百五十歩あり

御前(みさき)濱。廣一百二十歩あり百姓(たみ)あり

御嚴(みいつく)嶋。海藻()()へり。

()(くり)()嶋。高四丈二十歩ありあり

等々(とど)嶋。貽貝(いがひ)石花()あり

怪聞(しも)埼。長三十歩、廣さ三十二歩あり松あり。

()()()濱。廣一十八歩あり

粟嶋。海藻()生へり。

黑嶋。海藻()生へり。

這田(はふた)濱。廣一百歩あり

二俣(ふたまた)濱。廣九十八歩あり

門石(かどいは)嶋。高五丈(めぐ)四十二歩ありあり

(その)。長三里一百歩一里二百歩あり。松(しげ)し。神門水海(かむどのみづうみ)より大海に通ふ(みなと)三里一百二十歩あり()は則ち出雲と神門(かむど)との二郡なり

凡そ、北の海に在る所の(くさぐさ)は、楯縫(たてぬひ)說けるが如し。(ただ)(あはび)は出雲(もっと)(まさ)れり。()らふるは、()はゆる御埼(みさき)海子(あま)なり

通道(かよひぢ)意宇(おう)なる佐雜(ささふ)に通ふは、一十三里六十四歩なり

神門郡の堺なる出雲大河の(ほとり)に通ふは、二里六十歩なり

大原郡の堺なる多義(たが)に通ふは、一十五里三十八歩なり

楯縫郡の堺なる()()に通ふは、一十四里二百二十歩なり

      郡司 主帳 无位   若倭部臣(わかやまとべのおみ)

       大領 外正八位下  日置部臣(へきべのおみ)

       少領 外從八位下  大臣(おほのおみ)

       主政 外大初位下  部臣(とものおみ)



ここからはぐうたら亭主のおすすめです!! 

古代出雲は、奈良時代に入る頃、大きな変革を迎えた。当時の様子を記す地誌『出雲国風土記』を考古学の成果から再検証し、役所の姿、整備された道路、数々の寺院を復元。古代都市としての出雲国の成立を明らかにする。(Amzon「BOOK」データベースより)


出雲国風土記 嶋根郡 『爾佐加志能為社社(爾佐加志能為神社)』

出雲国風土記 嶋根郡 『爾佐加志能為社社(爾佐加志能為神社)』 御 由 緒 爾佐加志能為神社 (野井浦) 祭神  大己貴命  歴史の足跡 現在、野井の神社といえば『出雲国風土記』、そして『延喜式』にみえる 古社「爾佐加志能為神社」である。同じ「爾...