出雲国風土記 飯石郡 『井草社・毛利社(井草神社)』
雲南市三刀屋町に鎮座する井草神社は、出雲国風土記に井草社と記載された古社で、天津彦火邇々杵尊と万幡豊秋津師比売命を御祭神としてお祀りする神社です。 また、1699年に合祀された『市森大明神』は毛利社に比定されています。
拝 殿
本 殿
御祭神
主 祭 神 | 天津彦火邇々杵尊 万幡豊秋津師比売命 |
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御由緒
井草神社 御由緒
御祭神 天津彦火邇々杵尊 万幡豊秋津師比売命
御神徳 国家安泰、五穀豊穣、子宝・安産の神
御祭礼 春 祭 三月二十九日 夏祭 七月十五日
例大祭 十月二十九日 新嘗祭 十一月二十九日
当井草神社には、二柱の神が祀られている。
天津彦火邇々杵尊と万幡豊秋津師比売命である。
高天原において天照大御神は孫の天津彦火邇々杵尊に葦原中国(日本)に降りて統治せよとの勅命を下され、三種の神器と稲穂そして大勢の神々を授けられた。地上界に降臨された幼い邇々杵尊は、神々と力を合わせて日本の国の形をつくられ、国を治められたことから国家安泰の神、また邇々杵とは、稲穂が豊かに実っているさまを表わすところから五穀豊穣の神として崇められている。
万幡豊秋津師比売命は、邇々杵尊の母神様(別名千々姫命)である。
神名に幡の字が使われているが、これは神聖な織物を意味し、織物の神、そして豊秋津とは秋の豊かな収穫の事であり、穀物の神として崇められている。
今からおよそ千三〇〇年前(西暦七百三十三年)に編纂された「出雲国風土記」に〝伊我山の麓に井草神社あり〝と記されているほどの、古い歴史をもつ由緒ある神社である。
元々は同じ伊萱地内の宮の谷に杵瀬大明神(井草社)という神名で天津彦火邇々杵尊が鎮座されていたが、元禄十二年(千六百九十九年)、水難の恐れがあり現在の地に、又、同じ伊萱三田原に市森大明神(毛利社)として万幡豊秋津師比売命が祀られていたが、一緒に遷られた由、棟札に記されている。
ただ二社であったものを一社になすことは甚だ難しく、神座中央の大柱をもって中間を隔て、別々に鎮座されているという他社には見られない特異な神社である。
石 祠
社日碑
狛 犬

鳥 居
手 水
参道階段
入口
次の日の15時頃に寄ったがまた閉まっていたので帰ろうと思っていると、近くで農作業されている方がいたので聞いてみるとイノシシの被害が酷いのでずっと閉めているとのこと。「あとでちゃんと閉めてくれれば勝手に開けて参拝してもいい」と言われたので参拝出来ました。
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