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出雲国風土記 飯石郡 『日倉社(日倉神社)』

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出雲国風土記 飯石郡 『日倉社(日倉神社)』 雲南市三刀屋町に鎮座する日倉神社は、出雲国風土記に日倉社として記載され、御祭神に天造日女命をお祀りする古社で、古くから14ヶ村の大産土神として崇められてきた神社です。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神    天造日姫命 御由緒 風土記に日倉社とある。継体天皇の頃、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を八幡大神として合併相殿、用明天皇の御代日倉八幡宮と改称する。八所八幡として古来14ヶ村の大産土神であり。鼕取・社人・物申文次等多人数が所属し盛大な祭祀がなされたが、明治5年日倉神社として一小字の産土神と定められた。往時は武運長久の神として近隣からの参詣も多かった。社宝に木造女神像2体・木造僧形座像・銅像千手観音像懸仏・獅子頭等があり、室町時代の製作との所見。他に5尺5寸の随神2体。毛利尼子の合戦で焼失し、棟札によると天文22年尼子誠久等によって再建されている。 島根県神社庁 境内社   3っつの扉のある合殿社...右は秋葉神社、真中は粟島神社・若宮神社・稲荷神社、左が天王神社 武内神社 惣荒神 石 碑 大山大神...?何かが書かれているがわからない。 社日碑 鳥 居 鳥 居 手 水 境 内 地 図 問い合わせ 所在地  島根県雲南市三刀屋町乙加宮2206 TEL  0853-22-8817 HP  -- Email  -- 駐車場  三刀屋から国道54号線を掛合方面に向かった三刀屋川の右手にあり、  駐車場所は神社前に広くなった場所があります。 御朱印  有無は不明

出雲国風土記 飯石郡 『井草社・毛利社(井草神社)』

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出雲国風土記 飯石郡 『井草社・毛利社(井草神社)』 雲南市三刀屋町に鎮座する井草神社は、出雲国風土記に井草社と記載された古社で、天津彦火邇々杵尊と万幡豊秋津師比売命を御祭神としてお祀りする神社です。 また、1699年に合祀された『市森大明神』は毛利社に比定されています。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神  天津彦火邇々杵尊 万幡豊秋津師比売命 御由緒 井草神社 御由緒 御祭神 天津彦火邇々杵尊 万幡豊秋津師比売命  御神徳 国家安泰、五穀豊穣、子宝・安産の神 御祭礼 春 祭 三月二十九日  夏祭 七月十五日     例大祭 十月二十九日  新嘗祭 十一月二十九日 当井草神社には、二柱の神が祀られている。  天津彦火邇々杵尊と万幡豊秋津師比売命である。  高天原において天照大御神は孫の天津彦火邇々杵尊に葦原中国(日本)に降りて統治せよとの勅命を下され、三種の神器と稲穂そして大勢の神々を授けられた。地上界に降臨された幼い邇々杵尊は、神々と力を合わせて日本の国の形をつくられ、国を治められたことから国家安泰の神、また邇々杵とは、稲穂が豊かに実っているさまを表わすところから五穀豊穣の神として崇められている。  万幡豊秋津師比売命は、邇々杵尊の母神様(別名千々姫命)である。 神名に幡の字が使われているが、これは神聖な織物を意味し、織物の神、そして豊秋津とは秋の豊かな収穫の事であり、穀物の神として崇められている。  今からおよそ千三〇〇年前(西暦七百三十三年)に編纂された「出雲国風土記」に〝伊我山の麓に井草神社あり〝と記されているほどの、古い歴史をもつ由緒ある神社である。 元々は同じ伊萱地内の宮の谷に杵瀬大明神(井草社)という神名で天津彦火邇々杵尊が鎮座されていたが、元禄十二年(千六百九十九年)、水難の恐れがあり現在の地に、又、同じ伊萱三田原に市森大明神(毛利社)として万幡豊秋津師比売命が祀られていたが、一緒に遷られた由、棟札に記されている。 ただ二社であったものを一社になすことは甚だ難しく、神座中央の大柱をもって中間を隔て、別々に鎮座されているという他社には見られない特異な神社である。 ...

出雲国風土記 飯石郡 『粟谷社(粟谷神社)』

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出雲国風土記 飯石郡 『粟谷社(粟谷神社)』 雲南市三刀屋町に鎮座する粟谷神社は、出雲国風土記に粟谷社と記載された古社で、吉備津彦命を主祭神に、菅原道真命・誉田別命・足仲津彦命・気長足姫命を合祀神としてお祀りする神社です。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神    吉備津彦命 配 祀 神    菅原道真命 誉田別命 足仲津彦命 気長足姫命 御由緒 一、主祭神 吉備津彦命   合祀神 菅原道真命 粟谷地内に鎮座の天満宮の御祭神であって明治四十年粟谷神社に合祀誉田別命 足仲津彦命 気長足姫命 粟谷地内に鎮座の八幡宮の御祭神であって明治四十二年粟谷神社に合祀 二、御由緒 出雲風土記にある粟谷神社で式外社、雲陽誌には吉備津大明神と記されており主祭神は第七代孝霊天皇の第三皇子吉備津彦命であります。崇神天皇の古代に出雲振根が朝廷の命に背いたので四道将軍吉備津彦命が勅命を奉じ、之を鎮めるため出雲に降られた。備後路から仁多郡を経てこの地にご滞在になり振根の動静をうかがわれたと記されています。  後、この遺跡に人々が命の遺徳を偲ひ宮を建立したのが、粟谷神社です。 往古の社域は現在地の西方約一00米の天辺という丸い小山の上にありましたが、明和年間火難に遇い、文化十二年現在地に移遷されました。 三、御新徳 文教、農耕、畜産、商工業の発展及び病難諸災厄除の守護神として、古くから信仰され、人間が生活してゆく上において総てにご利益のある広大無辺の御神徳があります。特に幼児の夜尿症には霊験新たかな神として、近郊、近在からの参詣があります。  四、境内神社 社日神社 稲荷神社 木山神社 五、年中主なる祭事 一月一日       歳旦祭    七月三十日       夏祭 二月十一日    建国記念祭    九月十九日       稲荷神社祭      ...

【出雲国風土記】飯石神社(飯石社)・託和神社(託和社)|出雲国風土記の神秘・磐座信仰の聖地|島根・三刀屋町

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【出雲国風土記】飯石神社(飯石社)・託和神社(託和社)|出雲国風土記の神秘・磐座信仰の聖地|島根・三刀屋町 出雲国風土記に記された「飯石社」=飯石神社。 本殿の奥に鎮座する 巨大な岩が御神体 という、 日本最古の信仰形態 を今に残す神秘の神社です。 境内には鳥居も狛犬もなく、 古代の聖地そのもの のような空間が広がっています。 目次を開く ▾ 飯石神社の特徴 御祭神 御由緒(出雲国風土記より) 現地写真ギャラリー アクセス・駐車場情報 まとめ 飯石神社の特徴 御神体は巨大な岩 (磐座信仰の典型例) 本殿・鳥居・狛犬・灯籠なし → 古代の聖地そのものの姿 出雲国造が参向する例祭 (11月4日) 境内から祭祀遺跡が発見 → 学会も注目 御祭神 主祭神 伊毘志都幣命 (飯石神社) 境内社 吉備津彦命 (託和神社) 御由緒(出雲国風土記より) 出雲風土記によれば、飯石郡の地名は「 伊毘志都幣命がこの地に坐すため 」と記されています。 命は天照大御神の孫・ 天穂日命 の御子であり、 出雲国造家の祖神 。大国主命の国譲りにも関わった重要な神です。 境内社の 託和神社 は吉備津彦命を祀り、明治44年に現在地に遷座。旧社地付近では 西日本最古の縄文土器 も出土しています。 現地写真ギャラリー 拝殿 :幣殿を通って正面から御神体(岩)を拝む珍しい構造 幣殿 :出雲国造が御幣を奉る神聖な空間 御神体 :玉垣で囲まれた巨大な岩。まさに「神が降臨した石」 境内社・託和神社 :吉備津彦命を祀る。旧地では縄文土器も出土 アクセス・駐車場情報 所在地 島根県雲南市三刀屋町多久和1065 駐車場 神社の手前にあり(スロープあり) 御朱印 有無は不明(要確認)...