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出雲国風土記 意宇郡 『賣布社(賣布神社)』 

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出雲国風土記 意宇郡 『賣布社(賣布神社)』 松江市和多見町に鎮座する賣布神社は、出雲国風土記に『賣布社』に記載され、速秋津比賣神を主祭神としてお祀りする古社です。 出雲國神仏霊場 の第六番札所で教えに因む文字は『浄』です。 拝 殿 拝殿の内部 本 殿 御祭神 主 祭 神    速秋津比賣神 相 殿 神    五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命 摂 社 神    櫛八玉神 御由緒 風土記の社 延喜式内社 賣布神社御由緒 一、御祭神 主祭神 速秋津比賣神(水戸ノ神、祓戸ノ神)                 相殿神 五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命(樹種ノ神)                  摂社神 櫛八玉神(漁労、調理、製陶ノ神) 二、御神徳とその意義       当社は遠く神代において摂社の御祭神である櫛八玉神が潮の流れの中にあるとされる速秋津比賣神を生命の祖神としてお祀りになったことに始まり、後に樹種の神とされる相殿の三神が合わせ祀ら たと伝えられています。  このことは、海の潮の働きと地上の樹木の働きがあいまって海河山野の幸がもたらされ、人々も生かされていることが示されているのです。  神ながらの道の原点は、大自然の営みに畏敬の念をはらい、自己の生き方を律して、諸々の禍いや過ち、そして気枯れ《穢れ》などあればこれを見直し、人本来の生き方や生命力を甦らせることにあり、それが「祓え・清め」の真の意義でもあります。そのための活(気)は、「潮の気(水気や塩気)そして、樹木 の気に宿る神々によってもたらされる」と、信仰されてきたのです。   三、社名と神社の歴史にっいて   当社は、「出雲国風土記」に「賣布社」、「延喜式」には「賣布神社」と記された古社であり、社名の『めふ』とは、海藻や草木の豊かに生えることを意味しています。当社の元の鎮座地は、古代名の...

出雲国風土記 出雲郡 『立虫社(立虫神社)』

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出雲国風土記 出雲郡 『立虫社(立虫神社)』 出雲市斐川町に鎮座する立虫神社は、出雲国風土記に立虫社と記載された古社で、五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命を主祭神に大名牟遅命・伊弉冊大神を配祀神としてお祀りする神社です。 境内には、神々の宴と旅立ちの社として有名な万九千神社も鎮座します。 拝 殿 お建て替え中の拝殿 本 殿 本殿裏の彫刻 御祭神 主 祭 神    五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命 配 祀 神    大名牟遅命 伊弉冊大神 御由緒 立虫神社 ◆御祭神  主祭神 五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命       配祀神 大名牟遅命 伊弉冊大神    主祭神の三柱は、父の素戔嗚尊と共に斐伊川の源流、烏上の峰に天降り、本種を四方に播き植えながら当地に鎮まられたとされる。古くより神立、千家地域の人々の暮らしを守る産土大神として篤い崇敬を集めてきた。また、御祭神の神徳にあやかり、林業、土木、建築、耕地の開発発展に霊験あらたかとして関係者のお参りも多い。配祀神の二柱は、出雲国造家ゆかりの旧千家村に鎮座 していた客神社の御祭神で、大正九年に本殿内に合祀された。 ◆社史概要 立虫社、立虫神社の社名は、「出雲国風土記」や「延喜式』に見えるが、その起源は定かではない。元は、ここから南西方向へ約七八百米ほど隔てた斐伊川の中洲に鎮座していた。ところが 江戸時代の寛文十年(一六七〇)、大洪水に伴い、万九千社の境内へと遷宮された。近世以前は神立大明神などと呼ばれていたが、明治維新以後は立虫神社と改称し村社に列せられた。大正九年には、旧千家村の客神社を合祀。昭和二十一年以後は神社本庁の包括下となり、昭和五十年、島根県神社庁から特別神社の称を賜った。 ◆主な祭日 一、一月一日     歳旦祭 一、三月二十七日   祈年祭 一、七月二十五日   夏祭 大祓(※現在は二十五日に近い日曜日) 一、九月二十八日   例祭 一、十月 第一日曜日 秋祭例祭奉祝祭 一、旧暦十月二十七日 新嘗祭 一、十二月三十一日  大祓 社号標   御朱印 田園空間博物館標柱 稲荷社 ...