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出雲国風土記 意宇郡 『賣布社(賣布神社)』 

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出雲国風土記 意宇郡 『賣布社(賣布神社)』 松江市和多見町に鎮座する賣布神社は、出雲国風土記に『賣布社』に記載され、速秋津比賣神を主祭神としてお祀りする古社です。 出雲國神仏霊場 の第六番札所で教えに因む文字は『浄』です。 拝 殿 拝殿の内部 本 殿 御祭神 主 祭 神    速秋津比賣神 相 殿 神    五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命 摂 社 神    櫛八玉神 御由緒 風土記の社 延喜式内社 賣布神社御由緒 一、御祭神 主祭神 速秋津比賣神(水戸ノ神、祓戸ノ神)                 相殿神 五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命(樹種ノ神)                  摂社神 櫛八玉神(漁労、調理、製陶ノ神) 二、御神徳とその意義       当社は遠く神代において摂社の御祭神である櫛八玉神が潮の流れの中にあるとされる速秋津比賣神を生命の祖神としてお祀りになったことに始まり、後に樹種の神とされる相殿の三神が合わせ祀ら たと伝えられています。  このことは、海の潮の働きと地上の樹木の働きがあいまって海河山野の幸がもたらされ、人々も生かされていることが示されているのです。  神ながらの道の原点は、大自然の営みに畏敬の念をはらい、自己の生き方を律して、諸々の禍いや過ち、そして気枯れ《穢れ》などあればこれを見直し、人本来の生き方や生命力を甦らせることにあり、それが「祓え・清め」の真の意義でもあります。そのための活(気)は、「潮の気(水気や塩気)そして、樹木 の気に宿る神々によってもたらされる」と、信仰されてきたのです。   三、社名と神社の歴史にっいて   当社は、「出雲国風土記」に「賣布社」、「延喜式」には「賣布神社」と記された古社であり、社名の『めふ』とは、海藻や草木の豊かに生えることを意味しています。当社の元の鎮座地は、古代名の...

ちょっと寄り道...出雲國神仏霊場

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出 雲 國 神 仏 霊 場 全く興味のなかった島根県...(笑)!  興味を持つ(特に出雲地方)ようになったのが10年ほど前に生まれて初めて訪れた『出雲大社』でたまたま見かけた『出雲國神仏霊場』の文字...良くないことが続いていたので『よしっ...これ巡ってみよう』と思ったのがきっかけです。 平成22年10月に1回目の満願をむかえ、現在は出雲国風土記の掲載社を巡りながら2回目をコツコツと巡っています。 2巡目は10年かかって2023年10月に峯寺で満願を迎えました。 『出雲國神仏霊場』とは...   宍道湖・中海の周りを囲む出雲地方(島根県東部および鳥取県西部)の20の神社とお寺が結成した『 出雲の国 社寺縁座の会 』が主催する霊場巡りです。 参加寺社は... 第1番:出雲大社 第2番:鰐淵寺 第3番:一畑寺 第4番:佐太神社 第5番:月照寺 第6番:賣布神社 第7番:華蔵寺 第8番:美保神社 第9番:大神山神社・奥宮 第10番:大山寺 第11番:清水寺 第12番:雲樹寺 第13番:平濱八幡宮・武内神社 第14番:八重垣神社 第15番:熊野大社 第16番:須我神社 第17番:峯寺 第18番:須佐神社 第19番:長浜神社 第20番:日御碕神社 地 図 巡拝帳 各社寺に参拝て頂く御朱印を収められるようになっています。見開きページになっていて左側に御朱印を差し込み、右側に社寺の説明が書かれています。(授与料 1,500円) 護縁珠 各社寺に参拝して御朱印を頂くと、その社寺の番号や名前・教えに因む文字の書かれた奥出雲町の雲州そろばんの技術を使って作られた護縁珠がいただけます。(授与料 500円) 頂いた護縁珠を『護縁珠むすび』(授与料 1,500円)という組紐に通すと首から掛けられる巡拝の証になります。 注 護縁珠単体では頂けません  ※2023年12月から御縁珠500円、御朱印500円に改定されるそうです。 満願之証 20社寺をすべて巡って、最後の社寺の窓口に巡拝帳か護縁珠を見せると、希望する人に『満願之証』が頂けます。 『満願之証』にはメノウに満願と彫られた『満願勾玉』も頂けます。護縁珠むすびの一番大きな親玉の先に結べばいいとか...

出雲国風土記 飯石郡 『須佐社(須佐神社)』

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出雲国風土記 飯石郡 『須佐社(須佐神社)』 今回は出雲国風土記の須佐社に比定され,須佐之男命御魂鎮めの御社『須佐神社』の紹介です。 出雲国神仏霊場 の第十八番札所で教えに因む文字は『素』です。 交通安全や厄除の祈願には必ずこちらにお願いしています。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神    須佐之男命 配 祀 神    稲田姫命 足摩槌命 手摩槌命 御由緒 須佐神社は、神話の国出雲地方を潤す神戸川の上流に祀られている延喜式内の古社で須佐之男命と稲田比売命の御子の子孫と伝えられる須佐家が代々仕えている神社である。 『出雲国風土記』には「須佐之男命が『この土地は狭いところであるが住み良い所である。だから自分の名は木や石には付けず、この土地 に付けよう』と仰せられて自分の御魂を鎮め、大須佐田、小須佐田 をお定めになった。それゆえに須佐という。」と記されている。   現在の本殿(大社造)は天文二十三年(一五五四)尼子晴久が改築、 文久元年(一八六一)藩主松平定安が修造した正統的な大社造で、栩葺の出雲を代表する堂々とした構えをもつ。  社宝には、尼子晴久奉納・兵庫鎖太刀(国指定重要文化財)、 室町時代の作である舞楽面「納曽利」・南北朝から室町初期の 黒韋威鎧残欠(県指定文化財)、などが残されている。  須佐之男命が自ら御魂を鎮め、名を土地に付けられた御魂鎮の 聖地、御名代としての霊跡の地の社として朝廷を始め国守、藩主等の 崇敬を集めた由緒ある神社である。 『須佐神社御由緒』より  神話の国出雲地方を潤す神戸川の上流に祀られている延喜式内の古社。 出雲国風土記に「この国は小さいけれ共よい国なり、我名を岩木にはつけず土地につける」と仰せられ大須佐田、小須佐田を定められたので須佐という、と見えている 須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮の霊地、又御名代としての霊跡地であり、須佐之男命と稲田比売命の御子の子孫と伝える須佐国造が代々仕えている神社で、大神奉祀の神社中 殊に深い縁を有する。  須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮、天文年間には十三所大明神という。出雲の大宮と称えられている。須佐之男命が稲田姫の両親、足摩槌...