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出雲国風土記 出雲郡『神代社(万九千神社)』

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出雲国風土記 出雲郡 『神代社(万九千神社)』 出雲市斐川町に鎮座する万九千神社は、出雲国風土記に神代社と記載され、神在月に八百万神が集まり直会と神等去出を行うという有名な古社で、櫛御気奴命・大穴牟遅命・少彦名命・八百萬神を御祭神としてお祀りする神社です。 境内には出雲国風土記に『立虫社』と記載されている立虫神社も鎮座しています。 拝 殿 拝殿にある大きな絵馬 磐 境 拝殿の後ろに本殿はなくて、磐境を直接拝む形なっています。 御祭神 主 祭 神    櫛御気奴命 大穴牟遅命 少彦名命 八百萬神 御由緒 万九千神社御由緒 万九千社 通称 万九千神社  ◆御祭神 櫛御気奴命 大穴牟遅命 少彦名命 八百萬神  御祭神は、国土開拓 国造り 縁結び、諸産業・医業の道を開かれた。万物の生命と 生業の弥栄に霊験あらたかである。  当社では、神在月、日本中の八百万神が出雲路の締めくくりに立ち寄られ、神謀りと直会ののち、各地へと旅立たれると伝えている。そのため旧暦十月の神在祭、神等去出 祭にお参りすれば、諸願成就するという。  とりわけ縁結びや、病気平癒をはじめ、会議や宴会の円満成就、旅行安全、飲食 宿泊・旅行業の繁盛 、人生の岐路例えば結婚・起業・就職・進学などにお導きがある。  また八百万神の神集いにあやかり、旅路の末に当社で願を結ぶ「結び参り」や、心朗らかに 「なおらひ」をする人々も多い。 ◆社史概要  この地は、古代の出雲郡神戸郷にあたる。神戸とは熊野大神と杵築大神の御神領のこと、水路と陸路における交通の要衝であり、神名火山を仰ぎ見て、斐伊川下流に広がる稔り豊かな大地の鎮めとして重要な祭場である。  当社の創祀は不詳である。「出雲国風土記」や「延喜式」にみえる神代社、 神代神社が、のちの万九千社にあたると伝えている。中世には神立社や神達社、 近世には神立大明神や万九千大神などと称された。明治維新以後は現社名となり、人々は親しく「まんくせんさん」と呼んでいる。 ◆主な祭日 一、四月二十六日       春祭 一、五月初旬         春祭奉祝祭 大なほらひ 一、神在月(旧暦十月) 十七日 龍神祭 神迎え           二十五日 前夜祭  ...

出雲国風土記 出雲郡 『立虫社(立虫神社)』

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出雲国風土記 出雲郡 『立虫社(立虫神社)』 出雲市斐川町に鎮座する立虫神社は、出雲国風土記に立虫社と記載された古社で、五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命を主祭神に大名牟遅命・伊弉冊大神を配祀神としてお祀りする神社です。 境内には、神々の宴と旅立ちの社として有名な万九千神社も鎮座します。 拝 殿 お建て替え中の拝殿 本 殿 本殿裏の彫刻 御祭神 主 祭 神    五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命 配 祀 神    大名牟遅命 伊弉冊大神 御由緒 立虫神社 ◆御祭神  主祭神 五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命       配祀神 大名牟遅命 伊弉冊大神    主祭神の三柱は、父の素戔嗚尊と共に斐伊川の源流、烏上の峰に天降り、本種を四方に播き植えながら当地に鎮まられたとされる。古くより神立、千家地域の人々の暮らしを守る産土大神として篤い崇敬を集めてきた。また、御祭神の神徳にあやかり、林業、土木、建築、耕地の開発発展に霊験あらたかとして関係者のお参りも多い。配祀神の二柱は、出雲国造家ゆかりの旧千家村に鎮座 していた客神社の御祭神で、大正九年に本殿内に合祀された。 ◆社史概要 立虫社、立虫神社の社名は、「出雲国風土記」や「延喜式』に見えるが、その起源は定かではない。元は、ここから南西方向へ約七八百米ほど隔てた斐伊川の中洲に鎮座していた。ところが 江戸時代の寛文十年(一六七〇)、大洪水に伴い、万九千社の境内へと遷宮された。近世以前は神立大明神などと呼ばれていたが、明治維新以後は立虫神社と改称し村社に列せられた。大正九年には、旧千家村の客神社を合祀。昭和二十一年以後は神社本庁の包括下となり、昭和五十年、島根県神社庁から特別神社の称を賜った。 ◆主な祭日 一、一月一日     歳旦祭 一、三月二十七日   祈年祭 一、七月二十五日   夏祭 大祓(※現在は二十五日に近い日曜日) 一、九月二十八日   例祭 一、十月 第一日曜日 秋祭例祭奉祝祭 一、旧暦十月二十七日 新嘗祭 一、十二月三十一日  大祓 社号標   御朱印 田園空間博物館標柱 稲荷社 ...