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出雲国風土記 意宇郡 『宍道社(大森神社)』

出雲国風土記 意宇郡 『宍道社(大森神社)』 御 由 緒 大森神社(通称 大森大明神)  主祭神 大穴牟遅命 配祀神 須佐之男命 少名彦神   事代主命  安閑天皇   出雲建雄神 合祭神 建御名方神 譽田別尊 伊弉册尊  國之常立神 天御中主尊  祭 日 十月十九日 大拔祭 八月二十日 歲旦祭一月三日 社殿構造 本殿  大社造変態 間口二間奥行二間            幣殿  間口二間奥行二間            拜殿  間口四間奥行二間 其他建物 随神門 間口二間三尺奥行二間 由緒・沿革 本社は、大字佐々布字大森にあり、宍道駅南方佐 布川辺にある。当社は、元宍道鄉式内宍道神社なり と伝え、もともと神籬ヶ坪という所にあったのを、 中世同地より約一粁川上の大樹の茂る現地に移転し て大森大明神としたが、社殿の広壮社頭の壮麗は町 内のその比を見ない。又、現在の大森神社より佐々 布川沿い約一粁 川下に近いところ、宍道町南方 広島 街道に沿った山寄りに、猪岩或は女夫岩と呼ばれる。 同形の岩が二つ並び、中央に小詞を祀っている。  一つの長さは二間七尺、一つは二間五尺、高さは共に 八尺、周りは四間一尺と四間のものである。  太古、大神が猪を追い詰め給い、其の猪が石となった ものと伝える。尚、大森神社所有の女夫遺跡は平成 九年三月二十八日に島根県指定史跡に指定された。 『神社境内説明板』より 中世に約1km川下の地より大樹の茂る現地に移転して大森大明神としたが、社殿の広壮社頭の壮麗は町内のその比を見ない。 『 宍道神社巡拝スタンプラリー 説明書』より  ※ 出雲国風土記にある「宍道社」は 白石石宮神社 、 宍道氷川神社 に合祀された三崎神社とする説もあります。 御 祭 神 大穴牟遅命 配  祀 須佐之男命 少名彦神   事代主命  安閑天皇   出雲建雄神 合  殿 建御名方神 譽田別尊  伊弉册尊   國之常立神 天御中主尊 本 殿 本 殿 本 殿 拝 殿 狛 犬 狛 犬 狛 犬 狛 犬 灯 籠 灯 籠 隋神門 手 水 御神木(!?) 神社境内説明板 鳥居 全景 駐車場 地 図

出雲国風土記 飯石郡 『粟谷社(粟谷神社)』

出雲国風土記 飯石郡 『粟谷社(粟谷神社)』    御 由 緒 一、 主祭神 吉備津彦命       合祀神 菅原道真命     粟谷地内に鎮座の天満宮の御祭神であって明治四十年粟谷神社に合祀                 誉田別命                足仲津彦命                気長足姫命                  粟谷地内に鎮座の八幡宮の御祭神であって明治四十二年粟谷神社に合祀 二、御由緒                  出雲風土記にある粟谷神社で式外社、雲陽誌には吉備津大明神と記されており主祭神は第七代孝霊天皇の第三皇子吉備津彦命であります。崇神天皇の古代に出雲振根が朝廷の命に背いたので四道将軍吉備津彦命が勅命を奉じ、之を鎮めるため出雲に降られた。備後路から仁多郡を経てこの地にご滞在になり振根の動静をうかがわれたと記されています。 後、この遺跡に人々が命の遺徳を偲ひ宮を建立したのが、粟谷神社です。 往古の社域は現在地の西方約一00米の天辺という丸い小山の上にありましたが、明和年間火難に遇い、文化十二年現在地に移遷されました。 三、御新徳 文教、農耕、畜産、商工業の発展及び病難諸災厄除の守護神として、古くから信仰され、人間が生活してゆく上において総てにご利益のある広大無辺の御神徳があります。特に幼児の夜尿症には霊験新たかな神として、近郊、近在からの参詣があります。 四、境内神社 社日神社 稲荷神社 木山神社 五、年中主なる祭事 一月一日 歳旦祭 七月三十日 夏祭 二月十一日 建国記念祭 九月十九日 稲荷神社祭(紀元節) 十一月八日 例大祭 四月八日 祈年祭 十一月二十三日 新嘗祭 四月二十九日 天長祭 十二月 三十日 大祓式 粟谷神社宮司 巨 勢 史 記> 社務所 島根県雲南市三刀屋町給下一二二七 電話 〇八五四-四五ー二七六八 『神社境内説明板』より 御 祭 神 吉備津彦命 配  祀 菅原道真命  誉田別命    足仲津彦命  気長足姫命 本 殿 拝 殿 拝 殿 境内社 境内社:稲荷社 社日碑 鳥 居 社号標 粟谷神社概記 全 景 参 道

出雲国風土記 意宇郡 『狭井社(佐為神社)』『狭井高守社(佐為高守神社)』

出雲国風土記 意宇郡 『狭井社(佐為神社)』『狭井高守社(佐為高守神社)』 御 由 緒 天孫降臨の神話がありますが、このとき、邇邇芸命の道案内を勤めたのが「猿田彦」です。雨鈿女命は、邇邇芸命と共に葦原中国に降り、出迎えた猿田彦命と結ばれました。 『 宍道神社巡拝スタンプラリー 説明書』より 当社は延喜式内の社として白石村の内佐為谷人民の産土神にして創立年代不詳ではあるが、出雲風土記所載の古社にして風土記には狭井社とあり、延喜式神名帳には佐為神社とみえている。当社の東方小丘は字高守と云う風土記の佐為高守の社の旧所在地であったと伝えている。 『 宍道 神社巡拝 氷川神社HP 』より 御 祭 神 御祭神:猿田彦命 本 殿 本 殿 本 殿 拝 殿 境内社:金刀比羅社 荒神社(⁉) 社日碑 狛 犬 狛 犬 隋神門 手 水 鳥 居 全 景 参道階段 出雲国風土記登場地標柱 佐為神社境内佐為高守神社(同狭井高社) 御祭神:天鈿女命 佐為神社(狭井社)を佐為高守神社とし、 境内社の佐為高守神社(同狭井高社) を佐為神社とする説もあり、 又、安来市西松井町の出雲路幸神社を 狭井社に、宍道町白石の高宮神社を 狭井高守社に比定する説もある。 地 図 問い合せ 住 所 島根県松江市宍道町白石1464 電 話 0852-66-1825( 氷川神社社務所 ) ホームページ 佐為神社   ( 宍道 神社巡拝 ) メールアドレス yokoya1961@yahoo.co.jp  ( 氷川神社社務所 ) ご朱印 有無は不明 駐 車 場 無し(同乗者を残し近くに路駐して参拝しました)

出雲国風土記 神門郡 『小田社(小田神社)』

出雲国風土記 神門郡 『小田社(小田神社)』 御 由 緒 小田神社由緒記 【主祭神】 火遠理命(=彦火火出見尊:山幸彦) 【配祀神】 豊玉毘売命(=豐玉姫) 鵜葺草不合命(=鸕鷀草葺不合尊) 玉依毘売命(=玉依姫) 【御由緒】 約一三〇〇年前の奈良時代に書かれた『出雲国風土記』(天平五(七三三) 年)に「小田社」として登載されており、はるか古来より小田の里の守護神として信仰された。神威霊徳は顕著にして殖産興業、海上安全に霊験高く、また安産育児の守り神として「御守大明神」とも称された。 古くは現社地の西方海上にあった「鸕鵜島」に鎮座していたが、波風災害をおそれて字>元宮の地に奉遷したと伝わる。さらに寛永五(一六二八)年に現今の尾山の地に遷され今日に至る。 【御神徳と神話】 主祭神である火遠理命は元は山の幸を司る神であったが、あるとき失った釣針を求めて海神の宮殿を訪ね、そこで海神から潮を操る不思議な力をもった宝玉を渡される。これによって海原を統べる御力を新たに得られ、地上・海洋双方の恵みを司る、偉大なる御神格となられた。豊かな山・田畑と海とを擁する小田の里の守り神としてふさわしい御神徳である。  また火遠理命は海神の娘である豊玉毘売命と結ばれ、やがて海辺の産屋で産まれられたのが鵜葺草不合命(初代神武天皇の御父神)であり、この御子神を養育されたのが玉依毘売命である。当社はこうした配祀神の御神徳により、出産や子守子育ての守護神としても篤く信仰された歴史を有する。 【神社殿】 現本殿は一間社大社造りで明治二十年造営。床下の来待石製心柱を亀形礎石が支える特異な構造をとる。これは主祭神が海神の宮を訪ねた神話に因む意匠造形であろう。屋根は当初栩葺で昭和五十六年遷宮時より銅板葺。土砂流出を避けるため平成十二年に殿舎を西方へ奉曳遷宮し現在に至る。 『小田神社由緒記』より 御 祭 神 火遠理令 配  祀 豊玉毘売命・鵜葺草不合命・玉依毘売命 本 殿 本 殿 拝 殿 隋神門 狛 犬 狛 犬 三穂社・金刀比羅宮 恵比寿社 稲荷社 道祖神 荒 神 五穀成熟碑 心柱亀形礎石 社号標 鳥 居 参道階段 小田神社由緒記 地図