出雲国風土記 神門郡 『火守社(火守神社)』
御 由 緒 |
|||||
火守(ほもり)神社略記 | |||||
一、御祭神 | 主祭神 | 櫛八玉命 | 国譲りが行われた多藝志之小浜(現武志町 鹿島神社付近で)膳夫(接待役)として館を建て、土器を作り、火を切り出し、盛沢山の料理で使者をもてなして、交渉が円満に成立するように尽力された。料理の祖神として祀られている。 ---古事記--- |
||
配祀神 | 伊邪那岐命 | 熊野神社の御祭神、明治以前は字那手の氏神神社 | |||
事解男命 | |||||
速玉男命 | |||||
応神天皇 | 八幡宮の御祭神 (熊野神社の右脇に鎮座 最古の棟札は天文十二年)西暦一五四三年 四六八年前 | ||||
息長足姫命 | |||||
武内宿禰命 | |||||
木花咲耶姫命 | 朝間神社の御祭神 神社は村内共和の井下の後の岩山に鎮座 創立は明和二年現在は社殿も新築され、太平、西谷の有志の方により篤く崇拝されている。 | ||||
大歳神 | 大歳神社の御祭神 元は宇那手下集会所の地に鎮座、今も廻の方々に依り二月七日に午前は祷家祭、午後は神社で例祭が斎行され崇敬されている。創立は明和二年(一七六五年) | ||||
御歳神 | |||||
若歳神 | |||||
一、祭日 | ◎祈年祭 四月一日 ◎例祭十月第二日曜日 ◎献穀祭十二月一日 | ||||
一、由緒 | 創立年代は不詳なれど、出雲國風土記に式外社『火守社』と記されており、これ以前と云うことになる。宇那手村右谷の屋敷の下に有る火鑚瀧の淵付近に『火鑽社』として鎮座されていたと言い伝えれる。 村内には、熊野神社 八幡宮 朝間神社 大歳神社 も鎮座され、戦国時代には領主古志氏から篤く崇敬を受けていたと云う。 火鑚社は、明和二年(西暦一七六五年)江戸中期に村内平林に遷座されている。 明治以前は熊野信仰が盛んで、村内でも産土神社は熊野神社であった。明治四年に「火切大明神」は社格が『郷社』に昇格し、熊野神社に代わって産土神社となった。この時に神社名を、出雲國風土記に 記載された社名の【火守神社】に改名することになる。 明治四十年に火守神社 八幡宮 朝間神社 大歳神社を熊野神社(現在の社殿)へ合殿合祀することになる。同時に、産土神社である火守神社が主祭神となって今日に至る。 現在の社殿は寛政七年(西暦一七九五年)江戸時代末期に建立されたもので、約二一六年前のことになる。因に、火守神社の棟札で最古は、天正三年(西暦一五七六年)で四三五年前のものである。 |
||||
一、境内社 | ◎秋葉社 御祭神 迦具土命 ◎若宮 御祭神 建御雷命 布津主命 ◎稲荷社 御祭神 宇迦之御魂 ◎ 御碕社 村内に邪神悪神の侵入を防ぐ先祓の神 ◎天満宮 御祭神 菅原道真命 |
||||
一、神事 芸能 | ★獅子舞((伊勢流十段) 昭和三十四年 出雲市無形文化財に指定される ★神代神楽 |
||||
一、付記 | ◆ 昭和四十八年三月 櫛八玉命の御分霊が岐阜県下呂温泉 飛騨高崎神社に料理の祖神として奉斎される |
御 祭 神 |
櫛八玉命
|
---|---|
配 祀
|
伊邪那岐命・事解男命・速玉男命・応神天皇 ・息長足姫命・武内宿禰命・木花咲耶姫命・大歳神・御歳神・若歳神
|
本殿
|
本殿
|
拝殿
|
拝殿
|
狛犬
|
狛犬
|
拝殿前の鳥居
|
入口の鳥居
|
参道
|
社号標
|
火守神社 略記
|
|
左...秋葉社 迦具土命 右...若宮社 建御雷命・布津主命
|
|
稲荷社 宇迦之御魂神
|
御碕社 村内に邪神悪心の侵入を防ぐ先祓の神を祀る
|
天満宮 菅原道真命
|
包丁塚
|
何かの碑??
|
地図
|
問い合せ
|
|
住 所
|
島根県出雲市宇那手町1314
|
電 話
|
0853-48-1657
|
ホームページ
|
--
|
メールアドレス
|
--
|
駐 車 場
|
出雲方面から県道26号線を三刀屋方面に進み、来原大橋から1.8km先の市道を右折し、さらに1.3km進むと左手奥にあります。鳥居の左手niに2~3台程停められる場所があります。
|
0 件のコメント:
コメントを投稿