出雲国風土記 神門郡 『大山社(大山神社)』
出雲国風土記 神門郡 『大山社(大山神社)』 出雲市小山町に鎮座する大山神社は出雲国風土記には大山社と記載された神社で大山津見命をお祀りしています。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神 大山津見命 御由緒 大山神社 (由緒) 出雲市小山町一一〇番地鎮座 御祭神 大山津見命 祈年祭 三月(第三土曜日) 例大祭 十月十日(当面は体育の日) 新嘗祭 十一月(第二日曜日) 御神紋 二重亀甲 に大の文字 大山神社は、日本で最も古い書物である『古事記』、『日本書紀』に続く『出雲国風土記』(七三三年)に「大山社」としてその名がみえる。さらに、『延喜式』(九二七年)にも「大山神社」と記載される式内社である。創立年代は詳かではないが式内社であることから推考しても、千年以前の創立であることは明白である。 また、古老の伝承によると現在の小山町東北端、大塚町との境辺りに小高い丘陵地があり、そこに大山社として祭られ、地域住民の信仰の対象として尊崇されていたらしい。その当時、斐伊川は西折して神門の水海すなわち神西湖に注ぎ日本海にながれていた。その後、しばしば川の氾濫、洪水で地形は様変わりして、大山社は元の地から下流に押し流され、現在地に留まって鎮座まし坐したと言う。 御祭神は伊邪那岐神と伊邪那美神の二柱の御子神であつて、富士山にある浅間神社の御祭神、木花咲那姫命の父神に当たり、昔より農林業守護の神と伝えられてきた。 一説によると、この神は自然への感謝と畏敬の念から祭られた山の神とされる。後世には食物の神、あるいは農耕の神としても祭られるようになった。 明治五年村社に列せられ、村から神饌幣帛料が供進されていたが、先の大戦を経て、昭和二十一年以後は神社本庁包括下の宗教法人とな って今に至る。 平成二十三年十月十日 大山神社社務所 式内社とは 古代において、当時の中央政府が管轄する全国の重要な神社を掲載した台帳がいわゆる「延喜式」神名帳(九二七年)である。その台帳に載っている神社を、一般に「式内社」と呼び慣わしている。 土貢神 荒 神 狛 犬 何故か相方のいない狛犬。 手 水 ...