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出雲国風土記 意宇郡 『山代社(山代神社)』

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出雲国風土記 意宇郡 『山代社(山代神社)』 松江市古志原町に鎮座する山代神社は出雲国風土記に山代社と記載された神社で、 山代郷 と名付けられた由来を持つ山代日子命を祀る神社です。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神    山代日子命 御由緒 山代神社 由緒 祭神 山代日子命 (大国主命の御子)  出雲の国風土記並びに延喜式神明帳(日本で最も古い全国神社調査書)にしるされ、 意宇郡山代郷(現在の山代町、竹矢町、八幡町、矢田町、東津田町、西津田町、上乃木町、浜乃木町、古志原町)の郷社として、もと神名樋山(今の茶臼山)の中腹に鎮座す。(現在も此の地に岩室の古跡あり)  往時古志原村に産土神社なきため、天災凶作つづき移住者定着することなく、 民生安定せずとなし、鎮守社として藩許を得て、延宝八年(一六八〇)現社地に奉遷す。  尓来、民生安定、厄除解運、家内安全を祈念し崇敬あつし。 祭日 三月九日  祈年祭    七月三一日 輪越祭    十月九日  例大祭    十一月二七日 〇〇祭 (なんて書いてあるのか読めない) 境内社 幸神社(さいわい神社)  祭神 猿田彦命  出雲地方人参栽培の祖:小村新蔵についでその子小村茂重は、これが開発振興に一生をささげた。その間特に猿田彦命の霊験をうけ、ためにその守護神として、文化十二年(一八一五)三月十二日、松江藩人参方御会所(現在中組内郵政省アパートの地点)に奉斎す。人参方御会所廃止 にともない、明治二十二年九月十二 日現社地に新宮をつくり(幸神社) 祭神(大来目命)を合祀す。尓来、幸運祈請、危難除け、家運隆昌、家業繁栄の守護神として尊崇さる。 和田積神社  祭神 豊玉彦命  天明 (一七八一~)の期、旱魃飢饉の時、雨を請いその霊験を得、ために穀物の豊熟を得、境内に社殿を造営奉祀す。 現在も雨請祭を斎行す。天災解除、五穀豊穣を祈請する。恵比須神社祭神 八重事代主命もと山代神社東北約三百米の地に寛文八年(一六六八)藩の許可を得、牛馬市を開設し、その守護神として奉斎したが安永年間(一七七三 )牛馬市の廃止にともない現在地に遷宮す。家畜安全、商売繁盛を祈請する。 須我神社  祭神 須佐之男命  寛延年間(一七四...

ちょっと寄り道...出雲國神仏霊場『月照寺』

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ちょっと寄り道...出雲國神仏霊場『月照寺』 今回は松江市にある山陰のあじさい寺と言われ,大亀伝説や歴代の松江藩主松平家墓所で有名な『月照寺』を紹介します。 出雲国神仏霊場の第5番札所、教えに因む文字は『昧』です。 本 堂 月照寺本堂(阿弥陀堂)  昭和二十九年の建立で二間半に三間。 本尊阿弥陀如来は、松平直政公の生母月照院の冥福を祈って造立したものである。 堂内には狩野永雲の十六羅漢、本堂外の額は十代定安公の筆である。 本堂の内部 本堂の扁額 御本尊 御 本 尊    阿弥陀如来 御由緒 由緒 月照寺は、もと禅林のお寺で、洞雲寺と称したが、松平直政公(徳川家康公の孫)が生母月照院の霊牌を安置するため、寛文四(一六六四)年、浄土宗の長誉上人を開基として、蒙光山月照寺と改称復興したものである。第二代綱隆公は父直政公の遺命により廟所を営み、山号を歓喜山と改めた。以来、松江藩主松平家の菩提所ならびに念仏道場として、江戸時代二〇〇年間、松江城下寺院の筆頭の格式を誇り尊崇をうけてきた。  一万坪に及ぶ霊域には、九代にわたる藩主の廟が整然と鎮座し、その廟門には、それぞれの時代の特色がみられ、匠の精魂を傾けた跡が遺憾なく示現されている。また境内には、歴代の藩主ならびに奥方の奉献による刀剣、染織、絵画、仏具などを展示した宝物殿も公開されている。 初代直政公墓所(高真院)   初代直政公御廟 松平直政公は将軍徳川家康公の孫にあたり、慶長十九年(一六一四年)大坂(阪) 冬の陣に、十四歳で初出陣。 その見事な武者ぶりは、敵将真田幸村も思わず軍扇を投げて賞賛したという。 直政公は信濃国松本から、禄高十八万六千石で松江に移封された。 富国殖産をめざし、松江藩の基礎をつくった名君であった。 この廟門は「薬医門」の形式をとり、切妻造の屋根の正面と背面に、軒唐破風を付けている。特に、その下の「竹に虎」の彫刻は桃山時代の技法を受け継いでおり、山内廟門中の傑作である。 天井裏に残された墨書や記録によると、延宝七年(一六七九年)に、地元の棟梁(田鹿弥兵衛)によって建てられた。 県指定文化財 二代綱隆公墓所(宝山院) 三代綱近公墓所(隆元院) 四...