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ちょっと寄り道...ヤマタノオロチ伝説を巡る旅 『尾留大明神旧社地』

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ちょっと寄り道...ヤマタノオロチ伝説を巡る旅 『尾留大明神旧社地』 雲南市加茂町三代に位置する尾留大明神旧社地は、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」が発見された場所とされています。この剣は、またの名を「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」ともいわれ、三種の神器の一つとして熱田神宮(名古屋市)の御神体として祀られています。   スサノオノミコトがヤマタノオロチの尾を開いて「天叢雲剣」を得たのが、この地だと伝えられています。 斐伊川の氾濫により、延享元年(1744年)に大津の丘陵中腹に移転し、明治4年に御代神社と改称されました。現在、大津の丘陵中腹の「尾留大明神旧社地」には「天叢雲剣発祥之地」の碑が建てられ、神蹟地として残されています。 全 景  石 碑 八岐大蛇ゆかりの伝説 尾留大明神天叢雲剣発祥地 石 碑 御代神社旧社地趾 説明板 尾留大明神旧社地(天叢雲剣の発祥地)   八塩折の酒に酔いつぶれた大蛇を退治した須佐之男命は、この御立薮で大蛇の尾を開いて宝剣を 得られたが、その宝剣の上に怪しき雲があったの「天叢雲剣」と名づけて天照大御神に献上になり、 後、三種の神器の一つとして今も名古屋の熱田神宮に祭られている。この御立薮(現在は畑地)は 須佐之男命と稲田姫を尾留大明神と称し広く崇拝されていたが、斐伊川の氾濫により、 延享元年(一七四四)約二〇〇メートル南方のここ大津の丘陵中腹に移転。明治四年に御代神社 と改称され、更に大正元年日吉神社地に移転合祀して今の御代神社(南方五〇〇メートル)となっている。 木 御神木ではないだろうが...! 地 図 情 報 所在地  島根県雲南市加茂町三代518 駐車場  駐車場はありません。近くに同乗者を残して路駐して行ってきました。

出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 番外編 

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出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』番外編 ※ 出雲大社の他のところは👇👇👇  全国の神々が集う!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 本殿・拝殿編   出雲大社の荒垣内摂末社に参拝!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 荒垣内摂末社編 出雲大社荒垣外摂末社を徹底解説!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 荒垣外摂末社編 宇迦橋大鳥居   宇迦橋大鳥居は、出雲大社の参道の入り口に位置する鳥居です。高さ23m、基部柱間14m、柱径1.8mの巨大な鉄筋コンクリート造の明神鳥居で、高さは御本殿の24mを超えない23mで造られています。 1915年(大正4年)、北九州市小倉の篤志家・小林徳一郎が、大正天皇御即位の大典を記念して寄進したものです。 勢溜から眺める神門通りと宇迦橋大鳥居 勢溜の鳥居 現在の二の鳥居:2018年に新しく竣工され、非常に耐久力に優れたCOR-TEN®(コルテン)という耐候性鋼で造られていて、高さは8.8m、幅12m、総重量約10tもある。 それ以前の鳥居は1968年に造られたもので、木製(杉材)で、高さは約8.8m 幅約10mだったそうです。 松の参道の鳥居 準備中(毎年何度も出雲大社に行っているのにこの鳥居の写真がない...笑) 銅の鳥居 下り参道 出雲大社の参道は全国的にも珍しい下り坂で『下り参道』と呼ばれています。 松の参道(松の馬場) 参道の中央は、神様の通り道であり、松の木を保護するために通行禁止となっていて左右にある歩道を歩きます。 縁むすびの碑 大国主大神と須勢理毘売神が出雲大社に仲睦まじくお鎮まりになられた由縁を象徴しています 出雲大社の縁むすびの碑の近くにあるウサギの像は、夫婦の契りの盃を交わしている...。 縁むすびの碑 即ち宇伎由比為て   うながけりて    今に至るまで鎮り坐す すなわち、夫婦の契りに盃を交わされ うなじに手を掛け合い寄り添い合われて 今日に至るまでお鎮まりです  『古事記』(七一二)に綴られた、大国主大神と須勢理毘売神が出雲大社に仲睦まじくお鎮まりになられた由縁を語る神話の一文です。  二柱の神は、様...