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出雲国風土記 大原郡 『日原社(大森神社)』

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出雲国風土記 大原郡 『日原社(大森神社)』 雲南市木次町に鎮座する大森神社は、出雲国風土記に日原社に比定される神社で、 素戔嗚尊・稲田姫命・大己貴尊・天日腹大科戸美大神を御祭神として祀っています。 他に、雲南市大東町にある『日原神社』を日原社とする説もあります。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神    素戔嗚尊 稲田姫命 大己貴尊    天日腹大科戸美大神 配 祀 神    市杵島命 倉稲魂命 菅原道具霊神 御由緒 特別社 大森神社 御由緒 鎮座地 島根県雲南市木次町東日登一三四五番地 主祭神 素戔嗚尊 稲田姫命 大己貴尊 天日腹大科戸美大神 配祀神 市杵島命 倉稲魂命 菅原道具霊神 沿革  当社は出雲國風土記に載っている「日原社」で有ることが定説と為っており雲陽誌には「大森大明神」と記されている  此処は素戔嗚尊が八岐大蛇を退治され稲田姫を救い須賀の地(大東町須賀)に赴かれる途中この大森の地下暫し宿られ御大婚の諸要事を準備された処と伝えられている 其の後大己貴尊が御大婚に関わる業また妖賊退治に関わる遺業を継承されし処と云われている  当社社殿が参道正面より横向きに鎮座なされているのは社殿正面を横切るのは畏れ多く不敬であるとされ因って安泰を願い横向きに鎮座為されたと伝えられている。  また当大森神社(日原社)旧跡地付近より銅鐸及び土器等が出土 なかでもこの銅鐸は弥生時代中期前半頃のものと推察され Ⅱ式の「外縁付鈕式」の四区小型袈沙文銅鐸」で同型の銅鐸は荒神谷遺跡・賀茂岩倉遺跡からも出土している  この銅鐸は「伝木次銅鐸」として現在京都物館に保存されている 境内社 事比羅神社 若宮神社 鷲神社 八坂神社 社日神 枳佐加比社 牛荒神社 例大祭日 毎年十月二十三日 『大森神社御由緒』より 枳佐加比社   枳佐加比売命を祀る。 境内社 右から、鷺社・事比羅社・若宮社・八坂社でそれぞれ、稲背脛命・大国主命 金山彦命・大山祇命・素盞嗚尊 稲田姫命を祀る。 社日碑 狛 犬 参 道 鳥 居 何かの跡 風 景 伊...

出雲国風土記 神門郡 『波加佐社・同波加佐社(波加佐神社)』

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出雲国風土記 神門郡 『波加佐社・同波加佐社(波加佐神社)』 出雲市西神西町に鎮座する波加佐神社は、出雲国風土記では 波加佐社・同波加佐社に比定される古社で、猿田彦命・天鈿女命を御祭神としています。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神    猿田彦命 天鈿女命 御由緒 波加佐神社 御祭神 猿田彦命 天鈿女命 御由緒  「出雲国風土記」神門郡の「波加佐社」と「同波加佐社」を合祀した神社に当たると思われる。 中世以前のことは不明であるが、「雲陽誌」では西神在の頃に「田中明神」と記載してあり、また「出雲神社巡拝記」では、「田中大明神、記云波加佐社」と書かれている。社伝によると「もと本社の東南数十歩の田中にあり、何時の頃にか今の地に移転せり」とある。昔の神門水海が干拓や湖面低下によって耕地が造成され、この地に住み着いた人々が奉斎した神社だと思われる。 波加佐神社社務所 『波加佐神社御由緒』より 境内社   境内社 狛 犬 境内の鳥居 神 紋 扁 額 鳥 居 地 図 問い合わせ 所在地  島根県出雲市西神西町641 TEL  0853-43-1256 ホームページ  -- Email  -- 駐車場  鳥居横に停めれそうな所がありますが  宮司さん宅の駐車場なのか不明。  神社手前の広い場所に同乗者を  残して参拝しました。 御朱印  有無は不明

出雲国風土記 意宇郡 『加豆比乃社(富田八幡宮境内社勝日神社)』

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出雲国風土記 意宇郡 『加豆比乃社(富田八幡宮境内社勝日神社)』 富田八幡宮境内社の勝日神社は出雲国風土記の加豆比乃社に比定される神社で島根県安来市にあります。 富田八幡宮の参道は杉や欅の大木に囲まれ、神秘的でパワースポットと言われています。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神    応神天皇(誉田別尊) 配 祀 神    天照大神 神功皇后 仁徳天皇 御由緒 富 田 八 幡 宮  とだはちまんぐう (島根県安来市広瀬町広瀬)  総説 当社は島根県安来市広瀬町広瀬勝日山に鎮座し、社有風致保安林共三万坪、参道は苔むした石畳が両脇の杉、欅の大樹に覆われ、神秘的な森厳さが保たれており、パワースポットと呼ばれています。社殿の構成については、精細かつ巧緻であり、近辺のお社にはそれを比較するものはありません。本殿、中殿(幣殿)、拝殿、神饌所、楼門、随神門、末社、手水舎、社務所などを備えています。 祭神 主祭神 応神天皇(誉田別尊) 配祀神 天照大神 神功皇后 仁徳天皇 神紋 三つ巴 祭日 例祭 十月十五日 春祭 四月十五日 新嘗祭 十一月二十三日 有形文化財 島根県指定 昭和五十年八月十二日 本殿 (流れ造) 山陰地方では稀有の神社建築 中殿 (切破風) 石畳造り 拝殿 (入母屋造) 十二枚通しの板張り 能楽殿の形式 能面二面(社宝)・面 孫次郎(女性)・面中将(男性) 由緒概要  欽明天皇三十一年(五六〇)に創立。当初は富田月山に鎮座。保元年間(一一五六~一一五九)に平家の武将悪七兵衛景清(藤原景清)が富田の城郭を築くにあたり、月山頂上の勝日高守神社は城内鎮守とし、それまで山麓の里宮勝日神社(延喜式内社)と共に霊地を求め現在の地に奉遷しました。(奉遷の際の話は「景清の矢中松」と言われ、境内の旧跡の一つとして、今なお保存されています。)  その後歴代の国主、藩主は領内の大氏神として崇敬し、神領の寄進、社殿の造営、境内の整備等奉仕しました。明治維新後、明治五年に郷社に列せられ、昭和二年九月九日には県社に昇列しました。(県社昇列は島根県下の八幡宮としては最初でした。) 第二次世界大戦後は当社も一宗教法人として再発足いた...