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出雲国風土記 嶋根郡 『爾佐加志能為社(爾佐加志能為神社)』

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出雲国風土記 嶋根郡 『爾佐加志能為社(爾佐加志能為神社)』 松江市島根町に鎮座する爾佐能加志能為神社は出雲国風土記に爾佐加志能為社と記載され、大己貴命を御祭神としてお祀りする古社です。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神   大己貴命 御由緒 爾佐加志能為神社 (野井浦) 祭神 大己貴命 歴史の足跡 現在、野井の神社といえば『出雲国風土記』、そして『延喜式』にみえる 古社「爾佐加志能為神社」である。同じ「爾佐」を冠する爾佐神社とは関係が深かったと思われ、立地も近いことが想定される。「爾佐加志能為」の社 名の「能為」が現地名(野井)であることも気がつくと思う。  「宝永七(一七一〇)年の「雲州四十二浦之詠歌」にみえる野井の神社は日御崎神社であった。当時、古代の爾佐加志能為神社の系譜を引く「加無利明 神(神守大明神)」は零落し、椎の木を祭っていた。当然、参拝客は社殿をもつ新しい日御碕神社に参拝したが、明治に入り『延喜式』重視により、日御碕神社に「加無利明神」を相殿にし、社名を古代の「爾佐加志能為神社」にして今日に至っている。「爾佐加志能為神社」の旧社地は野井の漁業組合附近であった。 地域祭礼として一月第二日曜に行われる野井とんど、宮練がある。かつての旧社地字「神守様灘」に隣接して字「どんどが鼻」があるので、野丼のとんどは江戸時代にさかのぼることがわかる。 島根半島四十二浦巡り再発見研究会 境内社   狛 犬 社 頭 扁 額 参道階段 巨 石 境内左手にある巨石。 地 図 問い合わせ  所在地  島根県松江市島根町野井155 TEL  -- HP  -- Email  -- 駐車場  神社正面の道路沿いに広い場所があります。 御朱印  有無は不明

ちょっと寄り道...『須佐の七不思議』

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ちょっと寄り道...『須佐の七不思議』 須佐神社 周辺には『須佐の七不思議』といわれる場所があります。 ※本文は案内板より 塩ノ井(しおのい)   境内に湧出している塩の井は大社の稲佐の浜に続いているので、微かに塩味を感じる。湧水に間渇があるのは潮の干満のためである。須佐之男命自ら潮を汲みこの地を清められたという。(社記) 神 馬(しんめ) 常立の馬と言い、神社に奉献された神馬は、どんな毛色の馬でも後に必ず白馬に変わるという。吉凶禍福や国の大事を予知したといわれている。(社記) 相生の松(あいおいのまつ) 本殿の裏に、一本の松に雄松と雌松の両肌のものがあった。昭和のはじめに枯れて今は残っていない。(社伝) 影無し桜(かげなしざくら) 昔、隠岐の国に木の陰がさして耕作不能の処があった。 これを知々井の者が占った処、影は出雲の須佐大宮(須佐神社)の境内の桜の影であるとのことで、願い出て切ってもらい耕作が出来る様になった。その切り株から生じた桜は、以後大木にならずに今に至っているという。(社伝) 落葉の槙(おちばのまき) 須佐之男命の妃姫である稲田姫が誕生山で御子をお産みになったとき、産具を柏の葉で包み、それを松葉で綴って川に流され、その包物が流れついたところに繁茂して、今日に至る。今でも柏の葉の縁に松葉で刺したような穴がある。(雲陽誌) 星 滑(ほしなめら) 神社の西方、中山の頂上近くになめらかな岩肌が見え、その中央辺に光るものがある。 これは星の光りを映したものだといい、大きく光ればその年は豊作で、小さくて、光沢がなけ れば不作であるという。(社伝) 雨 壺(あまつぼ) 神社の西を流れる須佐川の下流、 道路下の田の畔に大きな岩がある。この岩の穴をかきまわすと神の怒りで風雨が起こり、洪水が出るという。(社伝) 地 図

出雲国風土記 飯石郡 『須佐社(須佐神社)』

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出雲国風土記 飯石郡 『須佐社(須佐神社)』 今回は出雲国風土記の須佐社に比定され,須佐之男命御魂鎮めの御社『須佐神社』の紹介です。 出雲国神仏霊場 の第十八番札所で教えに因む文字は『素』です。 交通安全や厄除の祈願には必ずこちらにお願いしています。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神    須佐之男命 配 祀 神    稲田姫命 足摩槌命 手摩槌命 御由緒 須佐神社は、神話の国出雲地方を潤す神戸川の上流に祀られている延喜式内の古社で須佐之男命と稲田比売命の御子の子孫と伝えられる須佐家が代々仕えている神社である。 『出雲国風土記』には「須佐之男命が『この土地は狭いところであるが住み良い所である。だから自分の名は木や石には付けず、この土地 に付けよう』と仰せられて自分の御魂を鎮め、大須佐田、小須佐田 をお定めになった。それゆえに須佐という。」と記されている。   現在の本殿(大社造)は天文二十三年(一五五四)尼子晴久が改築、 文久元年(一八六一)藩主松平定安が修造した正統的な大社造で、栩葺の出雲を代表する堂々とした構えをもつ。  社宝には、尼子晴久奉納・兵庫鎖太刀(国指定重要文化財)、 室町時代の作である舞楽面「納曽利」・南北朝から室町初期の 黒韋威鎧残欠(県指定文化財)、などが残されている。  須佐之男命が自ら御魂を鎮め、名を土地に付けられた御魂鎮の 聖地、御名代としての霊跡の地の社として朝廷を始め国守、藩主等の 崇敬を集めた由緒ある神社である。 『須佐神社御由緒』より  神話の国出雲地方を潤す神戸川の上流に祀られている延喜式内の古社。 出雲国風土記に「この国は小さいけれ共よい国なり、我名を岩木にはつけず土地につける」と仰せられ大須佐田、小須佐田を定められたので須佐という、と見えている 須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮の霊地、又御名代としての霊跡地であり、須佐之男命と稲田比売命の御子の子孫と伝える須佐国造が代々仕えている神社で、大神奉祀の神社中 殊に深い縁を有する。  須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮、天文年間には十三所大明神という。出雲の大宮と称えられている。須佐之男命が稲田姫の両親、足摩槌...