投稿

11月, 2023の投稿を表示しています

出雲国風土記 意宇郡 『佐久多社(嘉羅久利神社)』

イメージ
出雲国風土記 意宇郡 『佐久多社(嘉羅久利神社)』 安来市広瀬町に鎮座する嘉羅久利神社は出雲国風土記に佐久多社と記載され、御祭神に素盞嗚尊と韓国五十猛命をお祀りする古社で、 嘉羅久利神社の「カラクリ」という名称は、機械の古語「カラクリ」の語源になったとも言われています。  慶長5年(1600年)に毛利氏から寄進を受けました。寛永12年(1635年)の大洪水で本社が流失しましたが、天明元年(1784年)に現在地に遷座されました。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神    素盞嗚尊 五十猛命 御由緒 社伝に依れば出雲風土記に佐久多社、延喜式神名帳に佐久多神社同社=坐久韓国伊太氐 神社と記載されるのが当社なりと伝う。聖武天皇の天平年間(729~748)以前には三笠山の中腹に鎮座したが、寛永十二年(1635)の 大洪水により当社も流出する。 寛永十二年広瀬藩初代近栄公一夜夢に五十猛命の神告を受け、其の指示に依り殿町に在る藩医並河家の邸内を発掘された處、 木製神像二体中に石を挟める形にて発見される。是こそ御神体なりとし藩邸内に礼拝殿を設け祈願社として奉斎される。 正徳・享保・宝暦年間に遷座祭執行。天明元年神告により社殿を元の鎮座地に近い三笠山北麓の現在の鎮座地に奉遷される。 島根神社庁HPより ※ 嘉羅久利神社は出雲国風土記に記載されている佐久多社2社(15番目と36番目)のうちのひとつだが、参考にしている加藤義成氏の出雲国風土記では2社とも上来待の来待本宮(本宮神社)を、 出雲神社探訪では2社とも嘉羅久利神社を、解説出雲風土記では15番目を佐久多神社とし36番目を嘉羅久利神社としている。 随神門   鳥 居 御神木 狛 犬 扁 額 扁額に「嘉羅久利神社 佐久多神社」と書かれている。 地 図 問い合わせ 所在地  島根県安来市広瀬町広瀬364 TEL  0854-32-2904 HP  -- ...

出雲大社荒垣外摂末社を徹底解説!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 荒垣外摂末社編

イメージ
出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 荒垣外摂末社編 出雲大社のホームページに記載されている11社の境外摂末社を巡ってみた。 場所等の詳細は下記から確認していただければと思います。  ※ 出雲大社の他のところは👇👇👇    全国の神々が集う!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 本殿・拝殿編     出雲大社の荒垣内摂末社に参拝!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 荒垣内摂末社編 出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 番外編 神魂伊能知奴志神社(命主社)   神魂伊能知奴志神社(命主社)は、出雲大社の境外摂社で、島根県出雲市大社町にある神社です。出雲大社の境外摂社であり、祭神の神皇産霊神で天地万物の生じる大本を掌り、大国主大神の父神としても知られています。 阿須伎神社 阿須伎神社は、島根県出雲市大社町遙堪に鎮座する神社で、出雲大社の摂社であり、733年に編纂された『出雲国風土記』に「阿受伎社」と記され、かつては、出雲国に39社もの阿須伎神社が存在していましたが、現在は当社だけが残っています。御祭神の阿遅須伎高日子根命は、大国主大神と多紀理毘売命の御子神であり、国土創生の神として知られています。 大穴持御子神社(三歳社) 大穴持御子神社は、出雲市大社町杵築東にある神社です。出雲大社の境外摂社であり、祭神は大国主大神の御子神である事代主神と高比売命です。 大穴持御子玉江神社(乙見社) 出雲市に鎮座する大穴持御子玉江神社は出雲国風土記で「企豆伎社」の「同社」の一つに比定され、一般的には「乙見社」と呼ばれています。御祭神は高比売命、又の名を下照比売命をお祀りしています。 上 宮 稲佐の浜の駐車場から200m程の所(徒歩でも3~4分)にあります。 神在月に全国から訪れる八百万の神々が会議をされる場所です。 ここで会議が行われるのか...?? 出雲大社摂社 上宮 御祭神 素戔嗚尊     八百萬神 由緒 一般に旧暦十月は神無月と云われていますが、これは全国の八百萬神々が大國主大神の許にお集りになるからです。その為、出雲ではこの月を「神在月」と申してい...

出雲国風土記 大原郡 『船林社(船林神社)』

イメージ
出雲国風土記 大原郡 『船林社(船林神社)』 雲南市大東町に鎮座する船林神社は、出雲国風土記に船林社と記載され、御祭神として阿波枳閉委奈佐比古命をお祀りする古社で、 御祭神の阿波枳閉委奈佐比古命は、農耕の神として信仰され、船林神社も古くからこの地の守護神として尊崇され、農耕の神社として信仰されています。 拝 殿 本 殿 本殿の右側 本殿を左後方から 本殿の裏側 御祭神 主祭神    阿波枳閉委奈佐比古命 御由緒 船林神社 御由緒 御祭神 阿波枳閉委奈佐比古命 ( あわぎへわなさひこのみこと ) 当社は出雲風土記所載の 「 船林社 」 にして同風土記によれば 「船岡山」 郡家の東北一十六里(今里在二里二十四町)阿波枳閉委奈佐比古命の曳き末、すえませし船化してこの山となる故に船岡と言う」 とあり、命は往古この山を中心に粟を主とした農耕の道をお開きになったので後命の遺徳偲び奉り祖神として奉斎したのであるが、中世の頃一次衰微して社殿も消滅し山野となったことがあった。  その頃、麓に高島十助と言う者があり 此の地を畠となさんと開墾中に、方三尺許りの切り石で社の土台らしきものを発見し驚きこの由を馬川与左衛門に告げ、共に謹み更にくわしくこれを視るに、全く祠蹟に間違いなきを認めたので、文化八年 ( 皇紀二四七二年 西暦一八一六年 ) 夏社殿を再建立命の神魂を安鎮奉斎し後北村の里の氏神として崇敬し今日に及んでいる 船岡山は船山或いは大船山とも称し 標高一四〇米 遠望すればその名の如く船を伏せたる形をなし 頂上に立てば海潮の地の中心をなす南村北村の里を一望に納め風光明媚である。  境内社 山神神社 社日社 荒神社 祭日  例大祭 十一月八日     祈年祭 三月十九日     新嘗祭 十二月五日      後共祭 麦祭 山神神社祭 七月十四日     昭和五十三年十一月吉日 宮司 新田省一 識 山神神社   荒 神 社日碑 たいていは六角柱や八角柱だけどここは自然の石の社日碑ですね...。 記念碑 何の記念碑か...『村社船林神社 墓本金寄附記念碑』と彫られているみたいだけど...! ...