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出雲国風土記 仁多郡 『大原社・石壺社(石壺神社)』

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出雲国風土記 仁多郡 『大原社・石壺社(石壺神社)』 雲南市木次町に鎮座する石壺神社は、出雲国風土記で『石壺社』又は『大原社』に比定される神社で、 武雷命・齋主命・天児屋根命・比咩大神を御祭神としてお祀りしています。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神    武雷命 齋主命 天児屋根命 比咩大神(春日四神) 合 祀 神    譽田别命 玉依姬命 息長足姬命 御由緒 石壺神社概記 鎮座地 雲南市木次町平田一九六〇番地 御祭神 武雷命 齋主命 天児屋根命 比咩大神 合殿  若宮八幡宮 御祭神 譽田别命 玉依姬命 息長足姬命 境内社   社日社 天照皇大神 大己貴命 少彥名命 倉稲魂命 殖安命 杵築神社  大山祇命 素盞鳴命 大己貴命 尾呂地神社 蛇神 荒神社 御由緒および地名記  当神社は「出雲の国風土記」(七三三年)に「大原社」岩坪大明神と記された古い社でその創立は詳らかでない。  昔は仁多郡の三沢村郷内であって「尾原村」と言われていた。社地は簸の大川(斐伊川)の屈曲した川に囲まれて独立した岩山で真にその名のとおりの「岩壺」であって清廉閑雅の神域である その山容はあたかも巨大な亀が大川に対するが如して「亀山」と呼ばれてきた。  「神代藻塩草」(江戸時代)の「出雲社記」には雲州仁多の佐白と大原郡中久野村の境に「八頭坂」がある。素盞嗚命が八岐蛇を斬られた所である。八頭坂を西に下った斐伊の郷には「八本杉」があって大蛇の頭が祀られてあり「尾原村」には大蛇の尾が祀られてあるその故に「尾原」と言うと記されてある。  当社の上流の北原と尾原地区に大規模な「多目的ダム」が建設されることになり その造成工事のために当神社をはじめ周辺の田畑や道路等を改修整備するために神社は平成十一年五月六日に仮殿遷座祭を斎行翌十二年十月二十八日移転新案成った社殿にて本殿遷座祭を斎行した。 『石壷神社御由緒』より ※ 加藤義成氏の 『出雲國風土記』 では『石壺神社』を石壺社に大原社を奥出雲町上阿井にある『大原神社』に比定しているが、大原社を『石壺神社』に、石壺社を雲南市木次町平田にある『日御碕神社』に比定する場合もあります。 社日碑   ...

出雲国風土記 神門郡 『美久我社(彌久賀神社)』

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出雲国風土記 神門郡 『美久我社(彌久賀神社)』 出雲市湖陵町に鎮座する彌久賀神社は、出雲国風土記に美久我社と記載された古社で、主祭神に天之御中主大神を、合祀神として宇賀御魂神をお祀りする神社です。 境内には数多くの摂社・末社や少し変わったものがあります。 拝 殿 拝殿の内部 拝殿の扁額 本 殿 御祭神 主 祭 神    天之御中主大神 合 祀 神    宇賀御魂神 御由緒 彌久賀神社 御祭神 主祭神 天之御中主大神 合 祀 宇賀御魂神 神 紋 二重龟甲遠鷹祠  由 緒 当社の大神さまは、神代の昔天地いまだ漂う時初めて宇宙を治められた神代最高の位の大神、天之御中主大神さまで 天照大神さまの御祖父さまであります。何時頃からこの地に奉られたか定かでありませんが、文字が我が国に伝来し 聖武天皇天平五年(七三三年)出雲風土記、延喜式、出雲国巡拝記等の古文書等に記されており古社なること明らかです。 又社名は、出雲風土記(美久我の社)、延喜式(彌久賀神社)、慶長時代から文政時代(若一玉子権現御社)と言い嘉祥四年に正六位に叙せられ、明治四年に郷社となり遠い昔の私達の先祖から今に至るまで多くの人々の心の支え として敬仰される神社であります。 『彌久賀神社境内御由緒』より 苗鹿神社   苗鹿神社 御祭神 天太王命  本社は、元大池村字苗鹿原に神社として奉られていたが明治四十年に摂社として境内地に移転遷座、何時頃から苗鹿原に奉られたか定かでありませんが「由緒」この神様は、 山から鹿に乗り鹿の背に稲を取かけて下り里人に苗を与え 農耕を広めし神と言われ、歴史的に明らかなことは享保元年から文政八年頃まで苗鹿大明神御社と云い以後社名を苗鹿神社となり、明治四年に村社となりました。 恵比寿神社 恵比須神社 御祭神 大己貴命 事代主命 本社は、元大池村字明神に無格社恵比須神社として奉られ 明治四十年に末社として境内地に移転し奉られし社であります。 疫病神社 疫病神社 御祭神 八十禍津日神 大禍津日神 本社は、疫病の流行を防ぐ社で何時からこの地に奉られたか不明。明治初年から昭和二十五年頃ま...

出雲国風土記 秋鹿郡 『多太社・同多太社(多太神社)』

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出雲国風土記 秋鹿郡 『多太社・同多太社(多太神社)』 松江市岡本町に鎮座する多太神社は、出雲国風土記に多太社と記載された古社で、衝桙等乎而留比古命・稲背脛命を御祭神としてお祀りする神社です。 拝 殿 本 殿 御祭神 主 祭 神    衝桙等乎而留比古命(つきほことおるひこのみこと)       稲背脛命(いなせはぎのみこと) 合 祀 神    伊弉冊命 速玉男命 御由緒 多太神社 御祭神 衝桙等乎而留比古命  稲背脛命 御神徳 占い・勝負事・五穀豊穣・交通安全 御由緒 創立年代は不詳ではありますが、出雲風土記の秋鹿郡多太郷の項に「多太社」と記載されている古社であります。 須佐能乎命と櫛稲田姫との五番目の御子衝桙等乎而留比古命が国を巡っておられました時、この土地を訪れると「我が心は明るく汚れのない正しい心持ちになった。我はこの土地に鎮まろう」と言われました。 故にこの「正しい」をとって「多太郷」という地名が付けられました。 中世には、羽鳥大明神とも呼ばれていました。同祭神、同社名の神社は、全国でも二社のみにて、もう一社は石川県小松市に鎮座 されています。 恒例大祭日  三月十八日   祈年祭        十月二十日   例 祭        十一月二十二日 新嘗祭 境内神社   稲荷社        八幡社        社日碑 飛地境内神社   鱸田神社 鎮座地    松江市岡本町羽鳥八七六 境内社   鳥 居 手 水 手水の亀 社号標 全 景 鱸田神社 飛地境內神社   鱸田神社  (同多太社)地図 地 図 問い合わせ 所在地  島根県松江市岡本町876 TEL  -- ホームページ  -- Email  -- 駐車場 宍道湖方面から行くと神社の鳥居を過ぎたあたりに 砂利の駐車場がありま...